知り合いレベルの人には開示したくないけど、親しい人には、ある程度色々聞いてもらいたかったりするタイプだったけれど。
ここ数年で親しい人であっても、そういうのはもういいかと思うようになってきたかなー
何も話さない、隠す!というわけじゃなくて、うまく濾したり抽出したり、時には砂糖や塩も入れながら調節して話すというか。
何でも話せるわけじゃないけど、何でも話せる風味を手に入れたのかもしれない。
風味になったことが、寂しいとか苦しいとかに置き換えようと思えば出来るけど、風味の方が楽だなーって思っている。
例えば、昔の方が本格的だった料理を振る舞っていたのに、インスタントや半調理品を使ってチャチャっとやったほうが自分も楽だし、相手も喜ぶみたいな感じに似ているかもね。
本格的に作ると、相手が喜ばないと必要以上にガッカリしたりしてしまう。相手にも好みと気分があるからしょうがないんだけどね。労力をかけると、それを相手にも自分と同じ熱量を感じてほしいって思っちゃうんだよね。人間メンドクサイです。
だからインスタントで本格的!と謳ったものが一番楽です。時間もかからず、それなりに美味しい。もし、相手の口に合わなくても、私はただ煮ただけだから〜と避難先がある。これって楽なんだよな。
人との関係もやっぱり風味とインスタント感もある程度大事。
手間暇は自分にかけよう~
終わりのないSHOWTIMEから、4週間経ちました。また巡り合うときを夢見て生きていたので良かったなーと改めて思います。
胸の隙間に種は撒けてないことも多いんですが、プランターに適当に撒いたとうもろこしの芽が出てきてカワイイです。
共感して欲しいことほど誰も共感してくれなくて、どこにいるか迷うときもあるのですが、自分が思ったことが真実なんですよね。結局、それしかないです。自分じゃなきゃどうにもなんないのです。
自分らしく舞い上がる時間を大切にしつつ、らしさに依存しないようにもしたいものです。
らしさに依存するなって言葉が好きで、何年も何年も自分の中で生きています。
自分らしくいることが大切って言葉はたくさん溢れてる世の中に、それに依存するなという言葉か入ってきて、衝動、衝撃みたいな感覚がバシっと体に走ったのを覚えています。
そうですよ、何でも依存しちゃうとヤバいのです。もちろん、らしく生きるってのも大事だし、現代ではさらに大切にされる感覚なんですけど、たまにはらしさに依存するなって言っておきたい。本当にたまにでいいかもしれないけど。
あの時高校生だった私が出会って良かったものの1つが、まだ自分の中に生きていてスゴイなーと何かに対して感心してしまいます。もう20年以上前になのに。ライフは続いていますね。
“ 亀の顔をじっと見ますと、なかなか特徴的な不思議な微笑を浮かべています。人間の知らない太古の秘密を亀だけが知っている、そういう笑いですね。“
ミヒャエル・エンデ 『三つの鏡』
コロナの影響や、ワークライフバランスを考えて、
内勤者7人でランチ会(懇親会)が開催された。
美味しそうなお弁当を幹事が手配してくれて、広い会議室でランチ。
この春に部署の再編があり、それも落ち着いたのでランチ会(懇親会)
幹事よ、美味しいお弁当の手配ありがとう。場所の確保ありがとう。
見事に人の噂話に花が開いた。
それがとてもつらかった。
このお弁当のために 上長が 寄付してくれた。もっとしてくれてもよかったんだけど と冗談めかしたり。
そこで笑っているしかできない自分が情けない。
毎月ランチ会しようよ!と盛り上がっていた。
来月から欠席したいです。
みんな大人だから、このランチ会で愚痴を言ってガス抜きをしているのでしょう。
みんな大人だから、どれだけ愚痴っても明日また にこやかに仕事をするのでしょう。
私にはそれがとてもこわい。
愚痴は 仲良しの人にしか言わない。
それか、コソコソっと 言うか。
でも、このコソコソが 今の部署だと 筒抜けになるのだろうな、と ランチ会で感じた。
再編したけど、解散したい。
いくつになっても、学校みたい。
声の大きな派手な人に 権限がある。
もちろん、仕事だから、仕事できるのが大前提なのだけれど。
私のこともどこかで言われているのだろうな、いつ言われてもおかしくないな と感じるランチ会でとてもしんどかった。
お弁当は美味しかった。ありがとう。
病気になってしばらく休みを取った。
順調に回復して本来ならもう働いていて差し支えない健康状態なのだけど、「医者から様子を見るよう言われた」ので、切りよく今日まで休んでいる。
病気を発症したときこそ、仕事の分担や周囲への負担を考えて1日も早く回復と復帰をしなければと焦っていたが、とにもかくにも休むよう家族にも同僚にも医師からも念を押されて今日に至る。
薬と安静のおかげで健康と安寧と脂肪を手に入れた。
春から家庭と仕事を両立する生活が始まり、2か月間自分なりに頑張っていたけれど、ちょうどいいタイミングで息切れをした形になる。
過去にも思ったけれど、仕事って所詮仕事なので、替えが効くのだ。
自分の責任感と良心が痛まない程度に手を抜けばもっと楽しく働けるのかな。
今日は最後の休日。
自分一人のために好きなこと、手の回らない家の掃除、何でもできる魔法の1日。
遠足の前夜のように、昨日は楽しみすぎてなかなか眠れなかった。
きっとこんなに楽しい1日は今後しばらくこない。
PCをたたく手がこんなに軽やかで気持ちがいい。
多分今週のハイライトは今。
空がこんなにも青い。
本を買うとなると急に金銭感覚が狂う。
本好きの友人ともよく面白がって話すことだ。
例えば服や食べ物などの日用雑貨に関しては、購入前にかなり自分の中でシミュレーションを行ってから購入の是非を決める。
本来一つ何かを買うにあたり、時間をかけるタイプであるにもかかわらず。
書店に入ると、その感覚が弾け飛んだかのように購入を許す。この本で得られるのはこれだろうから必要だ、そんな感じで、本の中に入っていると予想される知識を目次や冒頭の文から想定して、その喜びにすぐ手を伸ばす。気づくと10000円飛んでたりするわけだが、それを「安い」と思うのは流石に感覚が少し狂っている。服や靴で10000円は相当の勇気がいるが、好きなものに関してはアベレージを保つことが難しいのだ。
シンプルに本が好きだから仕方がないのだが、日用雑貨との購買行動の差が面白い。感覚が全く違う。服が好きだったりする人断ちもこういう感覚で服を増やしているのだろう。
ふとこうして、時折己の金銭感覚について振り返る。優先順位を考え直すためだ。
本の購入に躊躇いがないのはこれからも変わらないが、母からせっかく綺麗な肌をもらったので、基礎化粧品には金をかける。
本と基礎化粧品。この二大巨頭(?)で購買行動をしていきたい。
さて、では月々いくらくらい稼ぐ必要があるだろう。
次考えるのはそこになる。
「全然話題変わるけど」こんな感じのことを言われて、話を遮られたように感じることが多い。こっちがそれなりに盛り上がって、まだその話題について話そうとしているのに「全然話題変わるけど」って入るから消化不良なんだよね。
で、そんな消化不良のまま話された話はこっちにとってはつまらなくて。話そのものがつまらないのか、消化不良のまま聞いてるからつまらなく感じるのかわからないけど、とにかく、なんかそれどうでもいいわーってなってる率が多い気がする。
私が消化不良に感じるってことは、相手は全然私の話を本気で聞いてないんだろうなーとやっぱり気がつく。
別に他愛もない話で重要なことじゃないんだけど、重要じゃないことの積み重ねって大きいよね。
私の話がつまらないから、「全然話題変わるけど」で乗り切ってるつもりなのかなー?だとしたらそれ失敗です。
一昔前はそんなことなかったのに。だから一緒にいると決めたというのもあるのです。色々気がつくと、あの人は一体私の何が良かったのかなーと思うよね。
全然話題変わるけど、朝のコーヒーってやっぱり美味しい。玄米で出来てるらしい健康食品的なクッキーも添えて意識高いごっこしてます。どこでも買えるし美味しいよ、クリームなんとかブランって名前です。
また全然話題変わるけど、自分のタイミングで話題変えるのって心地よいね。今やってみて思いました。
それでまた話違うけど、梅雨入りしたから堂々と洗濯機の乾燥機能使ってサボってる。
唐突だけど、もう話題変えることほどのネタないのでこれにて!
数年ぶりにNisshi IIに戻ってきた。
相変わらず静かで素敵。
みなさんの日誌を読むのが楽しい。
気が向けば、またここで書いてゆこう。
“大多数の人間が普通の人(これ自体やや表現がアレだけども)な以上、多数決というのは構造的に賢人しか理解できない良策よりも愚策を選択する仕組みであるとも言える。賢い選択よりもみんなで選んだことを重視する政体なのだ。“
上記はあるSNSでフォローしている方がおっしゃってた言葉。なるほどと感心した。自分含めほとんどの人は賢人ではない。
そんな世界で賢人達はどんな気持ちでいるのだろうか?
ため息でもついてるかもね。
お昼休みに唐突に思う。
ああ、私、傷ついたんだなって。
たぶん数日経った頃に、既読マークをつけられると思うから、それまで、心が浮かんでくるのを待とうと思う。