人生で初めて、結婚式に参列させてもらった。
葬式しか出たことのなかった私に、なんとあまりある幸福だろうと終始感じさせてくれるそんな式だった。
ボロボロに泣いた。親族達が二人を祝福する姿を見、命はこうやって繋がってきたのかもしれないと想像した。私もその繋がりの、末端に立っている。
友人として参列したが、主役たる友人が、この先どうか相手と幸せであることを祈った。会場中が、二人の幸せをただ無条件に祈っていたと思う。結婚式とはそういう、全ての人が幸せに祈れる空間かもしれない。
人は生きていれば、悲しみに暮れ、悔しさに涙し、絶望の前に崩れ落ちそうになることが幾度となくある。著名な哲学者はよく、この世は悲しみの割合の方が高いと言っていた。
私は家族の中で一般的ではない混乱をいくつか抱えて育ったし、それに恨めしさを覚えることもたくさんあった。だが少なくともここまで生命をつなげてきて、結婚式の会場のような幸せが私の家系に全くなかったとは言えない。ただそういう幸せを維持するのに不器用だというだけで。そう思わせてもらえた。
そういう複雑さを抱えて生きてきたから、人の幸せを祈ることなどできない今までだった。
しかし教会の中で聖歌隊が歌う讃美歌に泣いた時、私自身が私をその恐怖や不安と共に許したからこそ、おそらく今日この日、人の幸せを祈れる場に招待されたのだと直感で感じた。
この複雑さで自分が結婚という閾に到達できるかは、正直今もよくわからない。
だが少なくとも、私は大事な人の幸せを祈る場にふさわしいとされる人になれたし、同時に誰かに祈ってもらえる人になったのだと、自信を持った。
結婚おめでとう。
どうか、どうかお幸せに。