早く夏終わらないかなー。暑さも嫌だけど1人で家でゴロゴロゴロゴロゴロゴロしてる時間がないのがシンドイ。
映えない生活したいわー
またしてもモヤる案件。
大昔のTVチャンピオンで、秋葉原のオタク王選手権というのをやっていた。
まだオタクが市民権を得てない頃の番組。
メイドやアニメ、声優に詳しいお兄さんたちが、どれだけコアな質問に答えられるかという内容。
それをいわゆる「リア充」側がバカにして楽しんでいた。
ギャルやお水系のお姉さんと話をさせて存在を否定されるような発言をされ
言われたお兄さんは「あ~…あはは…」と笑って大げさなジェスチャーで凹む。
それを見てまた笑う。
オタクを見下すコンテンツがまかり通っていた時代。
実はこの番組動画を知人に見せられた。
彼はオタクを馬鹿にする。こういう時代が良かったという。
よくよく聞くと、今こそ市民権を得始めているコアな趣味を持つ層(推しの意味がわかる人が増えたのでこう表現しています)が、TwitterなどのSNSでオタクな趣味を堂々を公開したり、イベントに行ったりと、他人と共有したいと思って流しそれに対して時々誰かから否定的でない賛同を得てみんなで楽しんでいる光景が、気持ち悪いという。
大昔の宅八郎のように、気持ち悪さをヒエラルキーの上にいるような層がバカにして楽しんでいた時代がいい、そして「オタクは表に出てくるなよ」と言い放った。
話は前後するが、最近わたしはFF14のコラボカフェに行った写真をSNSに流した。それに対して彼は「よく恥ずかしくないね」と言ったのだ。
私だってその気持ちはわかる。だってリアルの友達には言えないのだ。結婚こそしているが、子供も持ち家も持たずに二人でモラトリアムを楽しんでいるような夫婦なので、周りの「子育て、将来に備えて苦しいけど頑張ってる」ようなリアル知人に、オタク趣味は見せられない。だってそういう層がこの国から見て正しいとされる大人だからだ。
でもだからと言って、好きなものを好きだと、リアル知人がいない場所(SNS)でくらい流したっていいじゃないかと思う。そうしてそれにイイネなりなんなりいい反応があれば満足できる。
彼はその図がもう気持ち悪いというのだ。傷の舐めあいだという。
つまり彼にとって、オタクは傷であり、人にバカにされるコンテンツであり、楽しんで誰かと共有したいと思う人達が集まってようやく変わってきた世界では、自分がヒエラルキーの上にいることを確認できる「踏み台」が踏み台でなくなってしまうので嫌だ、ということなのだ。
まだ32なのにね、この人。
逆か、32にもなって何を言ってるんだろうね、この人。
関係を切ればいいと思うんだけど、ちょっとメリットがあるがために切れない。
前髪を後ろから掴み上げて、コミケなどのオタクが集う会場の目立つ場所まで連れて行って、その話を大声で言わせて、オタクどもから殴る蹴るでもされたらいいなぁとぼんやり思いながら、今日も彼と、関係が切れないように注意しながら交流している。
どうしてヒエラルキーの上にいる人って、痛い目みないんだろうね。
〘未来を生きるため、今日から離れる〙
たぶん、私の拙い能力で訳すとこんな感じの意味の言葉でしょう。他の言語は難しい。本当の意味は違うかもしれないけど‥
今日を生きるために過去から離れるって表現ではなくて、既に離れるという対象は今日ということが、なんかいいなーと思ったわけです。
今を生きる!ってのも大事ですけど、今を生きるを繰り返してれば未来になるし、あんまり書くとわけワカランモードになるけど、今日から離れるという感覚で今を生きるみたいな感覚って大事かもしれないです。
歌詞が苦手。
音楽は好きだけれど、いつのまにか歌詞が苦手になった。
大好きな歌に歌詞はある。
私の青春がつまっている。
年を重ねて、人の感情と自分の感情がリンクしない。
うるせぇな と感じることが多い。
だから、歌詞がストレートでない方が好き。
むしろ、インストが好き。
でもね、歌詞がある歌で好きなものもあるの。
耳馴染みがよくて、聞いてるようで聞いこえないくらい。
それぐらいがいい。
誰かを好きとかよりも、なんか壮大で、実はちっぽけな世界くらいが良い。
人の気持ちも、自分の気持ちも面倒くさい。
でも、だれかと居たいのだろう。
だから、歌を聞くのかな。
わからないけれど。
何かあった日も、そうでない日も。
毎日、家に帰ったら、たちまちやさしい気持ちになって、そのまま安心しきって深く眠りたい。
切なる願い、叶いますように。
最近、今日は気分転換にウーバー頼もう出前頼もうとアプリを開いたのはいいもののなんかやっぱいいやになって普通にごはん作ることが多々あり…
メニュー悩んだ時間がもったいないので微妙な気持ち。こういう決められない?気が乗らなくなる?のもなんか疲れてるんかね。
シュークリームはキレイに食べるのではなくて貪り食うことが自由の象徴である!と昔の私が言っていて、今もそう思うのでまた残しておきたいと思います。
「顔が丸い」「鼻が団子」と親に言われていたんで、自分の容姿は下の方だと思っていたんですよね。こう書いちゃうとアレですけど‥そこまで言うほどか?とも思ってきました。もういい歳ですけど。
身長も平均よりはあるし、体重は身長−110㌔以下なので痩せてるほうなんですよね。でも、顔が丸いからなのか、ぶーちゃんとか言われてたりしてたので痩せてるという認識がなかったときがあります。私の他の家族が痩せているので、それに比べたら『ぶーちゃん』なのかもしれないです。親しみをこめて言ってるというのもわかっていたから気にしてなかったつもりなんですけどね。
鼻が団子っていうのは、何でしょうね?スッとしてるとは思わないけど、団子団子と繰り返すほど主張もしてないのかな?とも今は思いますよ。完全に主観ですけどね。
こうやって、もう干支何周してるのかってレベルの話なのに、記憶に残っているのは、言われたことが潜在的に嫌だったのかもしれません。当時は言われたことに傷つく感情すら育ってなかったのかもしれないです。
大人になるとちょっとしたことやキッカケで昔に言われたことが遅れてグサっと傷になることが増えたなと思います。それが親に言われてされたことってけっこう多いんだよなーと、おっとまたグサっと来ましたね。
遅れてきた毒っていうのは、もう毒そのものが自分なんじゃないかと思えるくらい染み付いてるからコワイのです。
今日も化粧するときは少し気にして鼻にハイライトなんか入れたりするのでしょうね。マスクがあるから意味あるかわかんないですけどね。せめてキレイな毒になるために。
チェーン店ではあるけど、商談でも使えるような喫茶店に行ってみました。前から行ってみたかったんですけどね。最近の自分の行動範囲内にはないので忘れていました。
ちょっと値段高いんですけど、やっぱり値段が高いだけあって良かったです。
コーヒーが美味しいとか、それもそうなんですけど、店員が丁寧なんですよね。バイトなのかもしれないけど(違ったらすいません)その店に合っているような自然な丁寧さが全体的にありました。
席に案内してくれるときも、何か察してくれたのか他の客があまりいない席を提案してくれたり凄いなーと。その席は入口からは1番遠いから嫌がる人もいそうだけど、1人になりたい人には最適な席だと思ったのです。客から出てるオーラ?みたいなのを嗅ぎ取ってその人に合ったことを瞬時に提案出来るって凄いなと思っていました。
バイトに丁寧さを求めすぎ!という意見も最近はよく聞きますし、それもそうかなーと思います。でも、バイトだから丁寧じゃないとか社員だからキチンとしてるとかじゃなくて、元々そういう人なんだと思います。元々、丁寧なことがその人にとって普通で当たり前なんだろうなと。だから仕事だから!とかフィルターかけなくても当たり前に出来るんだろうなと思います。
私も今日は仕事ですが‥分厚いフィルターかけないとキツイことも多くて自然に色々出来るようになりたいなーといい年して思っていますよ。昨日の店は良かったー