バカにしたくはないのですが、蓋をしている気持ちが勝手に浮き上がってくる人がいるのです。
そういう人とは離れたほうがいいとも思います。でも、それはなかなか簡単ではなく。
バカにされたくはないけど、自分はどこかで誰かをバカにしたりしてしまうもんなんですよね。人間っていやだなー
早く地球での勉強を終えたいです。
3年間、割と真面目に自粛してきて、やっと今年の秋、思い切って
長距離旅行しようと思ったら、コロナ感染。
旅行先でもなく、近所で。
完全在宅勤務で、いつだって一人でいた友達のいない人間なのに、
何で??
症状はそこまで酷くなかったけど、1か月くらい声がかれてて地味にきつかった。
そんな経緯があって、まだ旅行行くの実は怖い。
自分だけなら自己責任だけど、同居の家族にも感染させてしまった。
すごく申し訳なかった。
んだけど、なんか、私の周りの人たち、どんどん海外とかいってて(仕事や移住)
私、隣の市の県庁所在地行くのすら控えてんのにマジかー。
すごーく焦ってる。
私、英語だって喋れるし、仕事だってどこでもできる。
なのにずっとこんな片田舎でひっそり過ごしてて。
自分、このままくすぶってていいのか?
別に海外今すぐ行くのはやっぱちと怖いし、何なら大阪に行くのもまだ不安だし
でも何だろう、モヤモヤする!!
なわけで、とりあえず、京都いってくる。
んで、来年こそ、東京行きたい。
別に何があるわけじゃないけど、東京行って無事に帰ってきたら、海外は余裕な気がする。
海外旅行だって人よりたくさんしてきたはずなのだ。
なのに、コロナでずっと引きこもってたから、誰よりもインドアになってもーた。
もう、狭い世界やだー。
私はSDAMと呼ばれている脳現象を持っている。SDAMはSeverely deficient autobiographical memoryの略称であり、日本語に訳すと、「重度の自伝的記憶障害」という意味になる。
自伝的記憶障害とは言っても、自分の体験したことを覚えていないわけではない。事実としては記憶しているが、五感・感情が付随したリアルな体験として、思い出せないのだ。
SDAM持ちの人間は通常、人類が備えているはずの心的時間旅行という機能が上手く働いてないのだと私は考えている。この機能はエピソード記憶を利用して行われる。この機能が正常に働くことで、自分の未来を仔細に空想したり、過去を再体験出来るのだ。
私はそれが出来ない。自分の未来を脳内でリアルにイメージできないし、過去の思い出に浸れない。というか、思い出というものが分からない。私には自分が体験した記憶とその他の知識との違いが分からない。
自分が書いた日記も後日見れば、他人が書いた文書のように感じてしまう。「自分」が体験したという実感が湧かないからだ。
自分以外の未来を想像できないわけではなく、意味記憶的に想像することは出来る。そこにイメージは付随しない。
こういう人間も居るのだということを世の人にもっと知ってほしい。
行きたければ、行けるように調節してまで行くもんです。
予定が先過ぎてわからないという人は、もっと早く言ってくれたら行けたのにという人です。
予定が先でも後でも行きたきゃ行くのです。行けない理由を何個も並べるときは行きたくない気持ちが勝ってるのです。
信頼とは何だろうと考えてしまいます。
感謝出来る人だからといって、信頼出来る人とは限らない。感謝と信頼は必ずしもイコールではないって、ここ数年思ってきて概ね自分の中では間違いではないのですが‥
じゃあ、信頼出来るって何だろう?と戻って来てしまいます。
自分の話を聞いてくれること?否定しないこと?拒否しないこと?
そうなのかもしれないですが、それだけじゃないなって思います。それが何なのかはわからないのですが。
何も言わないということは出来ませんし、何かの拍子に隠してた感情が見え隠れたりすることもあると思うんです。そういうタイミングで出てきてしまったものを拒否されないってことが信頼なのかな?うーん、難しいです。色々あってそんなことを考えてしまいました。
最近みたとある歌詞です。日本語じゃないから間違った解釈かもしれないけど、信頼することは痛みに深入りすることとイコールだみたいな歌詞を見て、ああ、そうかもしれないと思いました。信頼するって誰かや何かに対して安心感という頂点に登っていくものかもしれない。でも登っても無事に下山出来るとも限らないし、何かあって滑落したりするかもしれない。そういうことなのかもしれない。
最初から登山をしなければ、登山による達成感は得られなくとも、それによる危険は絶対にない。しかし、私はなんだかんだで下山も出来なければ登ることも出来ないような状態で今苦しいのはそんな状態だからかもしれないです。
結局、モヤモヤをモヤモヤで終わらせるような文章を書いてしまいました。痛みをとるか達成感をとるかを選択し続けていくことが信頼で、大袈裟にいうと人生なのかもしれないですね。
痛くないほうがいいんですけどね、知らないうちに登ってしまうこともあって自分がめんどくさいです。
こうやって書いてるのもココに対する信頼なんでしょうが、痛みを感じたいわけじゃないのです。信頼は怖いのに信頼したくなるのがまた怖いかもしれないです。
もう本当にあの人に何を言ってもムダだな。
第三者は助けてくれるときだけしか何かを言っちゃダメだと思う。
昨日は久しぶりに飲みました。まあ、色々あるからしょうがない。そんな日もある。私に非はない。そう言い切らないと、みんな私が悪いことにして丸く治めようとするからさ。私は私だけに優しくしてあげたいよ
ここの日記、公開と非公開を選べるのは嬉しいな
誰かに見てほしい、あわよくばいいねが欲しいという欲求があるときもあるし
非公開で支離滅裂だったり自分にしかわからんよーな文章をつづりたいこともあるし
後、スマホじゃなくてPCからカタカタ打ち込んで日記をつけている。
それが妙に楽しい。文字を打ち込んでいるという実感があるのが好き。
といってもスマホの直感的な感じも好きなんだけどね。
久しぶりに手紙を書いた。
小さな贈り物に添えて。
その間もメッセージのやり取りがあったものの、荷物の追跡記録で到着を知る。
なんだか、落ち着かず、変なこと書いたかななどと余計に気に病んでしまった。
届いたよ、のひと言が、たぶん、欲しかったんだと思う。
配達済みの記録よりも、そのひと言の方が大事だった。
ただそれだけのこと。
手紙を書くわくわくとした気持ちから、少しずつ静かになって、いつもの通りになっていく。
落ち着いて、超特別対応で面会もさせてもらえて。
今週は上向き上向きでぐんぐん進歩していた彼。
本当は家に直接帰れたらいいけど、どうなるやろうか。
絶賛引きこもり人間。
二か月ぶりに外を長時間歩く。
といっても、小一時間程度だけど。
ATMに行って、スーパーに行く。
それだけ。
それでも、好きな曲を流しながら夕焼けを見ながら歩くのは気分が良かった。
道中、帰宅途中の家族とばったり。
帰ったら宅配ピザが届いていて、私の分を取り分けてくれていた。