自分の意思のようで自分の意思じゃないことってやっぱり溢れていますよね。これまでの人生、果たしてどれだけのことが純粋に自分の選択だったたんだろうと考える日々です。
とある試験ダメだったーーーー
勉強したのにこんなもんかとも思うけど、勉強のセンスがやっぱりないのかも?ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
過去に縋って生きるのはみっともないのかもしれませんが、縋る過去があるって羨ましいなーとも思います。
縋る過去がある人はどんどん縋れーー!とワケワカランことを言ってみたい。
進学校と言われる高校に通ってみたかったなーと。もう高校生なんて四半世紀前ですが。
褒められたいというよりは、勉強しないと置いていかれる雰囲気ってどんな感じなんだろうなと興味があるのです。
私が通っていた高校は勉強しなくても出来なくてもそこに注目されることってないんですよね。逆に勉強が出来ても特別な感覚を持たれている人もいないのですが⋯もうちょい学力レベルを下げる高校だと、勉強している人はダサいなんて感覚もあるそうですが、それはなかったけど、多くの生徒は高校生というブランドを獲得するためだけに通っていたと思います。私も最初はそんな感じでした。
きちんと勉強しておけば良かったと多くの大人が思うようなことを感じながら生きてますが勉強もそうですが、雰囲気をもっと違うものを感じたかったのです。
勉強は出来ないくせに、性格だけは内向的なので性格だけなら勉強出来なくても今が楽しけりゃOKみたいなノリの良さってないんですよね。だから、せめて付いていけないとしても違う高校に入って自分がどうなるか見てみたかったです。
こんなタラレバばかり言ってもしょうがないのですか、タラレバワールドはある意味パラレルワールドだったりするのです。
お土産のリクエスト、なかなか難しいものですよね。せっかく「何がいい?」と尋ねてもらっても、いざ手元に届くものは、伝えたものとは微妙に違う……。そんな経験、私もよくあります。
例えば、欲しかった特定の品物のリンクを送っても、なぜか同じお店の別の商品だったり、似て非なるものだったり。もちろん、「絶対にこれが欲しい!」と強く願っているわけではないので、少し違っていても「まあ、いいか」と納得しようとはするんです。でも、心の中では「これじゃないんだよなぁ……」という小さな声が響くのも事実です。
きっと、お土産を買ってきてくれる方は、親切心からその行為を楽しんでくれているのでしょう。ただ、残念ながらこちらの細かな要望は、あまり頭に入っていないのかもしれません。もういくら伝えても変わらないだろうなと思うと同時に買ってきてくれたことへの感謝の気持ちを大切にしよう、と落ち着かせる自分がいます。
相手の好意を受け入れつつ、自分の本音との間で折り合いをつける。お土産一つにも、人間関係の機微が表れるものですね。
暑いけど、枝豆を電子レンジで加熱するようになったので少しはマシです。ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
いつまでこんな放蕩な生活を続けるんだという思いもあるにはあるけど、別に100%放蕩っていうわけでもないしな⋯というのが今の私現状ですかね。
そもそも、アレもコレもと一気に色々やるのが向いていないので今の時間の流れが自分に一番合ってたりもします。ちょっと働くだけでも、時間を気にしたり予定を気にしたり、今思えばすごく疲れてました。あれをやっていた私、本当に私なのかな?と疑問が沸くほどです。
それと、以前労働を始めたキッカケがお金がもらえる仕事がしたいってだけだったんですよね。子どもの幼稚園の役員をやっていたんですが、もちろん、お金は出ません。お金出ないのに次から次へと面倒が起こり、そして、ハッキリ言うと一緒にやっていた保護者との相性が最悪でした。こんなことに時間も気力も使っている暇があるなら、働いてお金貰いたいと思ったのがスタートなので。
今はそういったタイプの無償の労働には関わらないようにしてるので、ある意味起爆剤がないんですよね。だからといって起爆剤のために無意味で無賃金な労働をやる気力は皆無なので⋯
個人的にはあの時間、無駄だったなーと。別に役員がいなくても幼稚園は回るというのが感想です。すごくポジティブに書くと無駄なことって最後までやり遂げても無駄だったなという実感しかないんだなということが学べました。
「子どもの幼稚園の役員」というだけで、それは無駄だったと言いづらいんですよね。母性ないのか?とか子どもが可哀想とか言われがちなので。でも、やっぱり無駄なことは無駄です。実際に時間や気力を使った私が言うんだから、無駄!!です。ただ、それを純粋な気持ちでやってくださる方の邪魔は絶対にしないのです。でも、もう1回言いますが、無駄!でした。
そんな感じで無償の労働はしないと決めてるのですが、有償の仕事も色々トラブルや不満が出てきたので辞めたんです。ただ、純粋にコレがやりたい!ってことじゃないと私の場合、モチベーションを保つことが出来ないのでしょう。それはみんな同じか。でも、改めて振り返ると有償の仕事というだけで有り難かったのは事実です。お金って無条件に人にやる気を与えますね。そんなことも実感しました。ただ、私、まだ放蕩してるかも⋯
そこまで親しくないけどそこそこ上手く付き合っておきたい人にLINEとかのメッセージを返信するのがとても苦手だ。
特にご家族か亡くなられたとか病気とか、ペットロスだとか、いわゆる「弱い部分の慰め」系が苦手。
自分が多分人より心の痛みに鈍感な自覚があるので、どの程度の共感を示して何と声かけていいのか正解?が分からない。上手く寄り添えない。
今回は自分の方に弱みがあって、でもそんなに気を使わせたくない、でもそのせいでしばらく会えない旨の返信をしたかったけどどうしてもいい文章思いつかなくて、AIチャットに投げてしまった。
伝えたい項目、ママ友相手であると告げて3つ例をあげてもらったら、そこそこ砕けた(『友』
の部分を拾った?)例文が来た。
もうちょい距離感持って…と指定したら今度はビジネス文章になってしまい、うーん、この中間くらいなんだがなーと考えて、閃いた距離感が「クラスメイト程度の距離感で」だった。
そしてこれが丁度良かった。ほどほどに丁寧で。
そうか、ママ友さんってクラスメイト程度の距離感だから何となく親しめないのかと改めて思った。
もちろんその中から友達になれる人もいるんだろうけど、私はついに見つけられなかった。
AIチャットありがたい。最近割とこういうメール関係でお世話になってる。
程よい文章のお手本として活用してる。
それにしてもAIチャットを使ってると、いつも昔読んだ漫画を思い出す。
すごい人口知能を持った高性能家政婦ロボットなんだけど、ベテラン凄腕家政婦さんが指示して使うととんでもなく優秀なのに、とあるご家庭に来たら全く使えなくて「壊れてる!」と捨てられてしまう。
ゴミ捨て場から件の家政婦がロボットを拾って連れて帰るんだけど、指示が恐ろしく細かく的確で、一切曖昧な部分がない命令でバッチリ動いて帰っていくというお話。
その家族は「その辺軽く掃除しといて」なんて適当で曖昧な指示だからロボットは上手く動かなかったというオチ。
AIチャットはペルソナ指定をきちんとして質問したらかなり専門的で正確な答えが出るって聞いた事ある。
つまりは使う方が賢くならないと、全くの無駄遣いになってしまう訳だ。
あの漫画、当時は笑ったけど笑えない現実がもうここまで来てるんだな…
とにかく暑いのが苦手
外に出ると炙られてる感じがする。炙りサーモンみたいに中身だけ生みたいな感じ。だけど私は全然美味しくない。そこがサーモンとは違うところ。
今に始まったことじゃないけど、帰宅したら矢継ぎ早に話をされ、ちょっと疲れました。会話じゃないから疲れるのだと思います。この人は自分だけでしりとりをやっているのに、私も一緒にやっていると思い込んでるんじゃないかなと感じるほどです。
まあ、本当に今に始まったことじゃないんで、別にいいんですが、最初は本当にこうじゃなかったんですよね。この人、本当は自分が喋りたい人だったんだなと。
でも、噺ではなく話なので⋯相槌を打たなけば無視したことになるし、だけど、私が話に対して返答しようとしても、次の話が始まってしまう。ようやく私のターンだなと思うと、それを終わらせようとしてるってのがすごく伝わってくるんですよね。もう慣れましたが。
なので、こういうところに自分のペースで自分の言葉で好きな事をツラツラと書けるのは私にとっては本当にありがたい。
誰も見てなくても、それを必要とされていなくても自分が自分のために自分と会話している。本当は会話してる実感が欲しいのかもしれないけど、それは誰と話していても何処かで謎のブレーキはかかってます。親しい人はブレーキは緩めだけどブレーキはブレーキなので。
今日も一瞬だけ前に出て、また後ろに並びます。時々見つけてくれる方には感謝いたしております。