プロの芸人さんがすごいのは、普通の会話ならムカつくこともお笑いに変えてしまうところだと思います。
最近は「誰も傷つけない笑い」ということが賞賛されてますが、お笑いの世界では以前から誰も傷ついてなかったと思うんですよね。いや、傷ついていた人もいたと思いますけど、お笑いというエンタメとしては成立していたし、そのお笑いというフィクションの中では傷つくという感覚がなかったような気はします。
別にお笑いが大好きで、今はつまらんと言いたいわけでもないし、今は今の感覚で面白いものがあると思うので、現代の芸人に物申すことが本文の主旨ではないのです。
でも一般人は勝手にジョークを言うけど、自分が言われると傷つくんですよね。そこがプロじゃないよなと思うのです。会話とお笑いというエンタメはまったく別物ですが、とにかく一般人は傷つきます(私も一般人ですが)
ウチの父なんて、まさにその典型で私に対しては物凄くブラックジョークを言うのに、ちょっとでも自分がジョークを言われたら本気で受け取っていつまでも根に持つか、その場で本気で怒鳴るかされていました。
色々あるんですけどいつまでも言われてたのが、単身赴任をしていた父が一時帰宅した時に私が「いらっしゃい〜」って言ったんですよね。そこは「おかえりなさい」というべきなのかもしれませんが、父の言葉を借りて返すと「これはネタじゃん?」なんですよね。でも、父はネタとして受け取らなかったのです。私はいつも父の「ネタ」に怒ったり傷ついてきたりしたんですが、父は自分が「ネタ」を言われると怒るんですよね。個人的にそういうタイプの人はネタを使うべきじゃないと思います。自分が何を言われても「ネタ」と受け取れないのであれば、他の人に使うべきじゃない。
相性が悪いんだと思いますね。だから父は私に「ネタ」を投げかけて相性の悪さを誤魔化していたんでしょう。それは本来の意味「ネタ」じゃないから私は傷ついていたんでしょうね。父がネタを投げかけているのは、相性の悪さを隠すためだけの誤魔化しなのに私から投げかけられるのは許せないんでしょうね。それがどんなに小さなネタでも。
これに限らず、自分に合わないジョークを言ってくる人に同じジョークを返すと怒られるのはこの世では鉄板だと思います。お笑い芸人のふりした悪魔がけっこういるんです。父を悪魔だと言っているみたいですが、まあ悪魔かな?私はいつも自分に突然怒鳴る父を見てきたし、それが純粋に反省出来ることならいいんでしょうけど、そういうのは1つも思い出せません。あの時、「いらっしゃい」と言ったのもどこかで家族だけど他人だと思うことで、自分を保ってたのかもしれません。そういう意味ではネタではなかったですね。
ミュージカル映画
「The Greatest Showman」の曲
「Rewrite the Stars」を覚えようとここ数日繰り返し歌っている。
ほぼ歌えるようになり、次は歌詞を見ずに通して歌えるかに挑戦だ。
思えば小学生の頃から、曲を覚えたくて、紙と鉛筆を手にテレビの前に陣取り、好きな歌手が歌っているのと同時に懸命に書き取った。
録画して一時停止しながらならともかく、同時だと書き切れることはなく、何回も何回もその歌が流れるのを待っては書いた。
昭和の歌謡曲は懐メロになったのだろうか。
直立不動でマイクの前に立ち歌った歌手の名前が今出てこないが(東海林太郎さん?)華麗に舞い踊りながら曲を披露する今の歌い手やグループを見たらその方は何と言われるだろうと時折り考える。
「やりたくないことも後からやるよりは楽だから自分から進んでやる」←これ、私には最も向いていない考えでした。
生きていたらやりたくないことに遭遇してしまって、やらざるを得ない状況にどうせなるんだから、そういうときはイヤイヤやるしかないです。
イヤイヤやってるほうが「本当はやりたくないのに頑張ってて自分えらーい!」って気持ちに持っていきやすいから自分が楽なんですよね。
やりたくないのに後からやるほうが大変。という理由でも、自分で進んでやった以上は周りから立候補したみたいに見えるし、だからちゃんとやらなきゃならないって思うと本当に心理的に負担が凄かったことがあってもう2度と嫌なことには自ら手を出さない!と誓ったのであります。
それでもあの頃はすごい頑張ってやってたつもりなんですが、周りとの熱量が違ってたのがシンドかったです。あんなに消耗してたのにやる気のない人扱いされてシンドかった…まあ、やる気はなかったかもしれませんが、自分ではやるべきことはやっていたつもりなんでシンドかったです。
これからは嫌なことからは全力で逃げます。どうしてもしなきゃならないときは自分からではなくて、しょうがなく引き受けるという雰囲気の中で何かをやり遂げているほうが自分らしくて頑張れます。
人生は、不思議だな。なんかさ、何のために生きてるんだろうと時々ふと思うけれど、私たち、一体どこに向かってるのかなとか。会いたい人に会いたいな。会えたら、いいな。
めちゃくちゃ不安だった猫たちの白血病 検査。
無事に2匹とも陰性。
エイズも陰性だった。
その場で泣いたよ。
半年前に白血病で先住猫をなくしてたから、もうあんな辛い思いはしたくなかったもん。
2匹ともすごい強い子。
きっと なくなった先住猫と先住犬が守ってくれたんだと思う。
本当に本当に良かった。
ずっと不安で検査の予約してから毎晩 寝れなかった。
金銭的な不安もあったし治らない病気の発症をずっと心配しながら生活するのも怖かった。
ひとりぼっちになる 不安も。
長く元気に生きようね。
一緒に生きていこうね
今年のクリスマスプレゼントに最高な知らせを私はもらったよ。
本当に良かった。
現実逃避したい時、近所の星乃珈琲店にモーニングに行く。
コーヒーとスフレパンケーキで450円というコスパ良さと、アンティークな雰囲気が好き。
普段絶対自炊だから、たまの贅沢。
雑誌が読めるのもいい。
年代だけが合致する雑誌「物語(仮名)」を読むのが好き。
高級なアクセサリーやファッションが満載のキラキラ奥さん雑誌。
あり得ない設定、嘘でしょな着回し物語を半笑いで読んでるといい塩梅にトリップする。
でも一番好きなのは、巻末連載の
「更年期」「介護」などの話。
お受験特集について独身の私からは大変だなあ、としか言えないけど、それ以外のキラキラ主婦希望な女性たちがリアルに不安や葛藤にホッとするのだ。
あーどんな服着てどんな生活してても、みんな抱える悩みや不安は共通なんだなって思える。
誌面の9割のキラキラがまばゆいほど このページが響く。
独身 既婚 子の有無 仕事があるかないか お金持ちか否か
みんな立場も状況も違うけど、避けて通れない事が同じで、みんなそれをいろんな形で目隠ししながら生きてる。
違う世界の人たちと思って 読んだあと、わかるわーって共感して、最後のページだけしっかり読んでやっと腰を上げる。
また頑張ろうって思えるのよ。
チープシック と言い張るシンプル服が好きな私にはこの雑誌の きらびやかさ、ガンダムみたいな袖の膨らみやインナーが透けた服、背中が がっつり開いた服とかありえない細さのピンヒールは正直ないなって思うけど、でもこの雑誌はあったら見る。
実際にそういう人たち見ると苦手意識が出るけどちょっとだけ 親近感が湧くようになったんだ。
会社のデスクにつくと泣きたくなる感情を、
マスクで隠しながら今日も仕事をする。
我慢できなくなったら、利用者が少ないトイレで泣く。
赤く泣き腫らした目を、周りは気づかないふりをしていてくれる。
それを優しさと捉えるのか、冷たいと捉えるのかは私次第で。
後者だとしたら、人見知りで周りと打ち解けられない私の自業自得なんだろうなと思いながら、
いつになったら私はここから抜け出せるのだろうとぼんやり考える。
足掻いたり頑張ったりするのが少し、疲れました。
相変わらず、自分が苦手な人やどうでもいいって思ってる人ばかりに好かれる。
自分がいいなと思ってる人には避けられる、もしくは好かれない。
この現象に名前があるなら教えて欲しい。
そろそろ一人(と猫一匹)で生きていく覚悟を決めなければいけないのかもしれない。
寒い朝。
えらいぞ!起きた自分。
身支度整えていつもの通勤電車。
乗客は毎日ほぼ同じメンバー。
見ず知らずの他人が毎朝同じ電車に乗って
顔を合わすことって、
考えてみればなかなかの偶然、
なかなかの奇跡。
そんな変わらないはずの日常は、
職場に出勤して一変する。
異動してきた上司。
出勤してこない同僚。
毎朝、変わらない通勤風景なのに、
自分の職場だけが
目まぐるしく変わっていることに
違和感しかない朝。
明日も何か変わるのかな?
もうどうでもいいけどね。
自身の冠婚葬祭の時に己の人望や周りの人との本当の関係が判明するなんていうけど、確かにそうかもしれない。まだシんでないし葬式は生きているうちに知ることは実質的に不可能だけど、結婚は自分が生きているうちに自身でそれを感じることになるイベントではあるかもしれない。
私自身は結婚式も家族のみでやったので、誰を呼ぶとか来てくれないとかそんなことを考える暇はないだろうなーと思っていたけど、呼んでいない親戚が来ようとしたり呼んでいない親戚に日にちをずらすように言われてたりしたそうです…
ある意味、やっぱりあの親戚は私にとっては無理だなということは改めて判明したので良かったなと思います。
友達も最初から呼んでいないので、来てもらったから自分が呼ばれたら行かなきゃ!みたいなプレッシャーもなく、お祝いしたいという純粋な気持ちで招待されたときは参加出来たのも良かったかな。
もし、普通のオーソドックスな披露宴をやっていたら、友達の枠スカスカ問題が発生していたと思います。元々呼べる友人は少ないのにその友人が必ず来てくれる保証はどこにもないし…「行きたかったー」とリップサービスでも言ってもらえたことだけで満足だし、実際来てくれなかったらモヤモヤしてたんじゃないかなーと思うのでやっぱりあの形で良かったです。
それと、余興を頼む人もやっぱりいないので…メッセージビデオとか祝辞を引き受けてくれる人、受付を頼める人…
あれからかなり年数経ちましたが、改めて頼める人がいないということが判明したな(笑)
私の葬式のときは本当に直葬というかすぐ火葬でとにかく粉々にしてもらいたい。迷惑をかけたくないという思いもあるけど、交友関係が狭すぎる事をバレたくないし、普通に生きていただけなのに人望なかったみたいに勝手にまた例の親戚が言って来そうだなと予想が出来る(笑)私より年上だけど私より長生きしそうなんだよな〜とここでだけ言っとく。
まだまだ最期は先だけど色々判明するのが怖いからあえて一般的なことをしないのが私という人間なのかもしれない。