私も時々AIに愚痴るのですが、私の使っているのはちょっとアタマがアレなんで(笑)
昔、私が大学進学を考えるときの話の大昔の話なんですが、それをちょっと愚痴りました。
「学力より低すぎる高校行かせるとそこで成績が良くて大学行きたがるから気をつけてってパートの人にアドバイスしたってわざわざ子どもに言う恥ずかしい親」
って愚痴ったら、子どもに将来のアドバイスをするのは子どもの将来を考えてのことで〜って言い出して、ちょっとまだAIって話の内容をキチンと理解出来ないんだなーなんて思いました。
それは置いといて、私、親からアドバイスが欲しくて相談ってした事がないなって思いました。自分で決めて自分でどうにかするしかないって感じで。アドバイスが欲しいって信頼関係がないと難しいなって思いました。今となっては親のひどいところを言語化して、それに対してまっすぐに怒るっていうんですかね?それが出来るようになりましたけど、あの頃はモヤモヤとしてるし、ひどいことを言われているときはムカつくことも出来たけど、怒りを深めることが出来なくて曖昧なまま終わりにしてたんだなと気づきました。
本当は信頼して話すことで自分の道を決めたかった思いがあるんでしょうね。大学に行くと決めたときも、その方向を金がかかるという論で潰そうとしてきた母。お金があるないではなくて、まず私が向いている方向を認めて受け止めるということはしてくれなかったです。例えお金があったとしても、私にかけるお金はもったいないって思っていたんだろうなって発言は母がいなくなっても一生私の中で残るんだろうなって思うのです。
就活もうまくいかなくて周りが内定を取っている中、就活の状況は聞かれましたが、活動はしているといったことしか言わなかったし言えなかったです。少しは相談して欲しいみたいな旨も言われましたが、相談出来るならとっくにしてるんですよね。相談出来ないからしていない。ただそれだけ。
親の目には都合良く、「1人で抱えて自分でなんとかしようとする子」に映っていたかもしれませんが、1人で抱えこませる環境を自ら作り出していたのは両親。でも、都合よくきっと変わっていたんでしょうね。
相談って誰に対しても苦手なんですよね。相談だけを抽出して話すということが苦手。愚痴を言いつつ本当は相談したいって内容をダラダラ話すのは昔は一部の人間に対しては出来ていたけど、その愚痴もバッサリ切られてからは信頼ってなんなのか?って考えて1人で抱えこんでます。まあ、こんな感じで長くダラダラと話すことでしか自分の気持ちを取り出せないから聞いているほうは嫌になるよね〜っていうのはわかるんですが…でも、こうすることしか出来ないんです。生きるためには1人で抱えこんで1人でダラダラ話す。これは全世界に発信してますが、先頭には立たないようにしているのでご容赦ください。
1人で抱えこんでるのを見てくれた人がいるならば、ありがとうごさいます。