万年筆デビューである。
ネットに書きこみに来てる時点でなんか矛盾してるけど、仕方ない。
なぜなら思考速度と書きこむ速度がマッチしているのはブラインドタッチなのだ。
書き直すこともできるし、書いてるうちに訳わからなくなったら、いったん離れて戻ってこれる。そこはこのブログのいいところでもある(前回の途中が残っている)
そして万年筆。一番最初にとても安いけどコンバーターとカートリッジ、軸と蓋と、色を選べる仕様にした。てらてら明るい色は好きでない。全部透明。
書き味は悪くなかった。これは沼だ。インクでお絵描きもできるという。インク素敵とつぶやいたらワラワラと沼の住人が現れて嬉しくなってしまった。
それで無印の万年筆を買ってみた。カートリッジ式。先は銀色で見た目すっきり。テンションが上がった。
が、書き味が悪い。びっくりした。最初買ったものと雲泥の差だ。思考速度と書く速度の話で言えば、横からいきなりタックルをかまされるような気分になる。書いてて気持ちが悪かった。1行も書かないうちに元の筆に戻した。ぬるぬる進む筆。にっこりした。
きっとこれは万年筆にはまり始めた人が出会うポイントなんだろう。書き味は個人差あり。
とても興味深い。
とても沼。
シフォンケーキはふわふわで美味しい。ふわふわだからカロリーないのか?と思うけど普通にカロリーはあるから食べ過ぎ注意。
カラオケが好きでよく行きますが、もちろん1人です。
1人で好きな曲を好きなようにという思いがもちろんあるからですが、その好きなようにっていうのは、身振り手振りを使いながら歌うということも含まれます。
身振り手振りというか、手がリズムを取るために動いちゃうんですよね。そして解放感から歌手がライブをしてるように腕を拡げたりもあります(笑)
この手でリズムを取りながら歌うって、歌手にならないとやっちゃいけないのでしょうかね?本来なら歌手になると手でリズムを取ったり出来るようなるんですかね?
なぜこんなことを書くかというと、子どものときに家族でカラオケに行ったときに母に「歌手でもないのにそうやって手を振って歌うんだー」と嫌味のようななんとも言えない言い方をされたのを覚えているからですね。他のきょうだいは言われてなかったので、私だけがその動きが特に目立ったんだと思います。
母はカラオケが好きじゃなかったんですが、私は歌うのが好きだったし行きたかったんですよね。だから無理して連れていってもらったから、こんな微妙な思い出が増えることになったのですが。
1人で気持ち良く歌っていて自然に身体が動くと、あの時のことを思い出してしまうのですが、私はもう自由なんですよね。
日本の物価はそんな高くない諸外国に比べたら
日本が先進国ではなくなってきているからなんだろうけれど
野菜果物花は高いとおもう
ガソリンも外食もそんなにお金かからないけれど
ほぼ輸入に頼ってるところもあるけれど圧倒的に弱いところ
3輪で450円とか高すぎるだろ
旅行用にトラベルコイルヒーターを買った。
1カ月前に注文して、やっと届いたよ。
パッケージが全て中国語の不安。
恐る恐るキャンプ用のマグカップに入れてお湯を沸かしてみると、ちゃんと動いて6分ほどでお湯になって一安心。
嬉しい。
ホテル備え付けの電気ポットは色々言われているので、これまでは折りたたみできる電気ケトルを使っていた。
しかし、重い。
車で行ける距離にホテルステイなら問題なかったけど、公共交通機関を使っての遠出となると、いくら小型でも辛く、前回、旅先から思わずポチッた。
コイルヒーターなのでスマホ並みの軽さ。
コンセントも纏めれば場所を取らないので、リュックの隙間に入れて持ち運べるのがいい。
もっと早く買えばよかったかも。
トラベルケトルは、結局、自室で活躍してるので、良しとしよう。
旅行にしろ、普段の生活にしろ、とにかく軽いが正義。
重たいものを持ち運ぶのが本当につらくなった。
旅行ならキャリーバッグで運べば?と言われるけど、あれ、空港や駅構内ならいいけど、アスファルトの上とか転がすのが辛いのよ。
ゴゴゴゴゴゴゴと振動が手に響いて、腕がしびれるし、キャリー自体が重いから階段とか持ち上げるのが大変。
昔はキャリーバックを見ると「旅行いいな」と思ってたけど、今は、重そう、と思うようになった。
バスとかの預け荷物になったりして、メンドイ。
よほど長期以外は、リュックのほうが結果的には楽なのだ。
何だかんだで1泊から3泊くらいなら、無印のリュックで事足りる。
旅慣れた女の自意識で内心ドヤって見たりして。
これまでは荷物の2割くらいをトラベルケトルが占めてたから、今後はもっと快適に旅行できそう。
次はどこに行こうかな。
完全に喉の調子が治りましたー嬉しい
一回拗らせると治るのが遅いから本当に気をつけて生きるふりをしていかなきゃならない年齢になりましたよー
プレゼントって改めて難しいよね。
貰ったもので、コレは……と思うようなことはやっぱりあります。
思い出すのは学生時代付き合っていた人からもらった、趣味に合わなさすぎる置き物。
水晶で出来ていて、水晶だけならばまだマシだったけれども、水晶で女の子2人を作ったもので「水晶姉妹」とこっそり後ろに書かれていました。
その人目線では、私と母が仲良く見えたらしく、その和やかな感じを水晶で表現した置き物を是非!ということだったらしい…
あ…でも水晶「姉妹」って書いてるんだよね…その水晶「母娘」ではないんだね…あ、でも気持ちは…嬉しい…よ…でも、なんか、母もコレについては困惑していた…困惑というよりは、はっきりと嫌悪を示していたかな?と思う。「水晶姉妹」という文字を見つけたのも母だったような記憶がある。とりあえず絶句と困惑と悲壮しかない気持ちでした。
ちなみに、母娘が仲良く見えたって言われても、やっぱり色々ありましたし、水晶姉妹事件から20年以上経ってますけど、その時だって色々あったし、時が経って母を好きか?と問われたら素直に好きとは言えないんですよ。感謝できる部分をわざわざ抽出しないと感謝出来ない部分がある。だから、勝手にそんなことを思われて意味不明な置き物を贈られても…って感覚は未だに感じます。
あげたいものって、その人の欲しいものじゃないときがけっこうあるんですよね。だから何かあげるときってすごく困るし、あんまり喜んでないな…迷惑そうだな…って感じたこともあります。それでお互いの価値観や気持ちが表面化して淘汰されていった様々な人間関係もあります。難しいけど、贈りたい!って気持ち100%にならないように気をつけていくしか出来ないですよね。
あの水晶姉妹はやっぱり、ちょっと、受け入れ難いな…
告白する、されることについて
向こうから来てくれないかな、と思うと大抵来ない。何故かわからないけど。
こちらから、ああもう告白しよう。どうなってもいいさ。という心境になると大抵先に告白される。
これは欲しいものに関してもちょっと似たことがあり、欲しいなーなんかひょいっと手に入らないかなーと思ってると8割方来ない。
きっぱりと、これはもう絶対買おう。と思うと大抵買える。
10年前にちょっとお高いけどいつか買うぞ!と思ってた物が忘れた頃にひょいと手に入ってた(10年前にSNSで宣言してたのをこの間発見してびっくりした)こともある。
目標を明確に定める。
覚悟を決めることが、結局何かを手に入れる上で大事なのかなと思う。
とりとめがなくてごめんね、自分の備忘録として投下しておきます。
何かを手に入れるのが上手くいかなくて悩んでいる方に届けば嬉しい。
私もね、人間なので。
そう言葉が思いうかんで笑ってしまった。そういや私、人間だった。
ほんの少しだけ達観して、年齢も重ねたし、理性的社会的であれと理想は掲げるが、いくらなんでもモヤとすることはある。
ある日、つらいことがあると言ってSNSを削除した子がいた。
まあそういう時もあるよね、仕方がない。説明もなく私たちの前から消えた。所詮わたしらは重要な人間ではなく、彼女は自分が傷ついたことが大きく、それは仕方がない。
でもディスコードなどの通話鯖には何食わぬ顔で現れた。削除したことも触れない。あえて触れないでいたら、自分から言ってきた。私はどうにも彼女の「察してますよね?なんで聞いてこないの…?」が好きでない。それにそのことについて彼女は裏で「私がリードしているのに反応がない」「みんな受け身だ」と言ってたらしい。
なんかもう爆発したいなという気分である。
だから冒頭の、私も人間なので、となる。
別でつながっているからいいよね?ではない。
いきなり相手の面が一部でも見えなくなったら、誰だってびっくりするでしょう。彼女にとってはびっくりしないのかもしれない。それはこっちが重要ではないと言ってるようなものなのだ。
それはままあること。
だけど、私もね、人間なので、悲しみメーターがたまるわけである。
カフェ会について、続編。
終わった後は、正直、どっと疲れた。
緊張してたのもあるし、人に酔ったのもある。
ただ、同時に思ったのは、
「これで、老後の社会とのつながりの場は確保できるな」
ということ。
今は仕事があって、毎日いろんな人とオンラインとはいえ、話をしているからいいけど、老後、一人暮らしになった時、さすがに孤独になるのではないかと。
カフェ会で友達なんて求めてないけど、ちょっと人と話したくなったときに、フラッと参加して、「その場限りの」雑談を楽しくできればいい。
終わった後は、疲れて「しばらく、1人でいいな」と思えればいいのだ。
孤独しは避けられないし、発見してもらえるようなサービスは別途申し込む。
ただ、一人きりで生きてていいのか、と迷ったとき、こういう場に参加して、自分の社会性がまだ生きていることを確認できれば、自分らしい生き方を否定せずに済む。
つくづく、新卒で接客業についたこと、もっと言うと、大学時代にマックでバイトしたのは正解だった。
大学入るまでコミュ障だった私に、朗らかな販売員のペルソナを作ってくれたのが、マックであり、新卒で入った会社だったから。
会社員時代、散々、カウンセリング販売をしてきたのが、今のコンサル業に生きてるし、その場限りの会話を楽しむ力になってる。
まったくやりたくない仕事だったけど、すべてのことに意味があるんだよ。
今カフェ会に参加している人たちの年齢が今後上がっていくだろうし、もしくは、シニアカフェ会なんてのも将来的にはできるだろうしw
そっちに月1くらいで参加して、何となく、人と関わる時間を持っておけばいい。
その場限りだから、わずらわしさもない。
結婚することも、数年前に縁が切れた最後の親友のような友人を作ることも、もうないだろう。
普通にお茶する友人を作れる気もしない。
人と立ち入って関わることに疲れてしまった。
カフェ会、行ってよかったよ。
ほんと、ちょうどよかった。
次行くのは、半年後になるかもだけど。
(やっぱ疲れたー)