言葉は誰が言ってるとかの思い込みがない方がいい。どこで誰がが無くてスッと自分の中に入り込んでくる言葉が自分に必要な言葉。生のまま食べる野菜と同じだ。そして、知ってる言葉が自分の行動の限界になりがちになる。だから、語彙を増やす事、物事を一度自分の中に入れて咀嚼して飲み込んで、自分の考えを自分目線でそこから構築していく事。世界を自分だけから見える景色を拡げる方法はこれだろう。
今日も暑いということで適温な穴蔵に籠もってやり過ごしたいと思います。静かに穴蔵で過ごせる時間もあと2週間です。自宅が海の家みたいにワイワイガヤガヤしますが、それは本意ではありません…
流石に体温超えの気温が各地で予想されてるのに、ランニング行くなんて…ランナーズハイとか言ってるけど、それ暑さでおかしくなってるだけだよって本気で思う。
なんでこんな時にランニングしたことをわざわざ記事にあげるのかも疑問だよ。そんなに走りたいならこっそりと走りなさいよって思う。わざわざ自分からアピールしていたら、誰かから“ご意見”も出るのは当たり前だと思うかな。
わざわざ何かをしなくてもいい日にわざわざ何かをして、わざわざアピールする…こういうタイプの人って多いよね?やらないほうがいいと誰しもが言いそうなことをどうしてもその日に自分のタイミングでやりたいなら自分の中だけで終わらればいいのに。
なぜそんな単純なことが出来ないのだろう?「こんな日でも走って偉い!」て言われたいのかな?まあ、あの人も褒められたいタイプの人間だから、それもあるのかもね。
でも、まあ全然理解出来ないよね。もし、猛暑日でのランニングが褒められたいがためなら、こういうことは褒められるどころか批判される事案って学んだほうがいいかと思う。シジューこえてるのに褒められたい感情爆発ってキツイ。確かにこの年齢になると相当なことしないと褒められることはないから、ちょっとハードなことを達成しないとインパクトないもんね。でも、そこまでしたくないって思えないと年齢を重ねた意味もない気がする。
言わないけど、本人に褒められたいんでしょ?って聞いたら、私はそんなことない!って言うだろうけど、あの人は本能的に褒められたがってるからね。そういう種類の人間っているよね。疲れるけど。
こっそり自由になることが1番自由で、自分を救う気がする。誰にも意見されない穴蔵を見つけて、そこで自由に一人で宴をするのが最高なのだ。今日も暑いねー穴蔵の中で吐いた今はアナグラーズハイで自由だ。
やってきました!日曜日の夜の鬱々タイム!
イェーイ!!
今日もたくさん食べましたが、お酒は我慢しました!えらい!
お昼寝たくさんしたので、夜眠れるか心配ですが、お酒飲んでないから眠れると信じております。
鬱々したことを書こうと思いましたが、出だしで失敗したので、元気な感じで終わります!
またあした!
おやすみなさい!
SNSは人生の補助輪、自分勘違い装置だ。だから、ある程度自分が堂々としてられる自信がついたら、人生の補助輪を外すようにSNSから離れるのがいいのだろう。人は誰でも何者でもない、それは歳を重ねれば自然と自覚せざるを得ないようになってくる。例えば、会社の役職もSNSならインフルエンサーもカテゴリーの名前でしかない、そのカテゴリーに付随した言動をしているだけなのだ。どんなにやってもカテゴリー自体にはなれない、ずっとそこの中で自分自身がそれをやっているだけ、カテゴリーを離れれば素の自分自身に戻るだけの話。自分は何者でもない事を知って、同時に誰もが何者でもない事と思えるようにすると、全ての人と自分がフラットな関係だった事が見えてくるだろう。
上手くいかない時は自分より苦労してる人を探して自分はまだマシな方だと思い、上手く行った時は自分より凄い人を探して自分はまだまだと思うようにすると、色々上手く回りはじめるかも。
「夏休みに家計の事情で旅行できない家庭」X「人手の足りない旅館・ホテル」ってすると夏休みはWin-winになりそうだけれど。
選挙なんて行ってみればいいだけの話だ。あの図書館に似た静寂の中で自分のする事だけをする、紙に字を書いて入れるだけの行為だけで、まだ何も決まってないのに、自分の中の世の中に対するもやもや感が少しスッキリしてしまう。やってみればわかるだろう。それは、ちょっとした非日常体験。終わった後に喫茶店でコーヒー飲みたくなるのはなぜだろう。
坊主にするのにバリカンの15mmにするか10mmにするかで悩める。髪の長い人が1センチ切ってみたって言う次元の話ではないのだ。1センチ切ったら無くなってしまうのだ。ボウズは髪と頭皮のデッドヒートなのだ。
アイス食べたいけと、暑くて動かないからカロリー的に食べない方がいいんだろうな。夏は暑くて動かないから太りやすいかも