お風呂に入ると強烈なやる気とアイディアが出てきて、出たらやるぞ!と意気込むのだが、出てから体を拭いて、扇風機に当たっているとどうでもよくなる。
体の熱とやる気というのは連動してるのだろうか?
だからと言って、暑い日は好きではないんだけどね。
お風呂に入ると強烈なやる気とアイディアが出てきて、出たらやるぞ!と意気込むのだが、出てから体を拭いて、扇風機に当たっているとどうでもよくなる。
体の熱とやる気というのは連動してるのだろうか?
だからと言って、暑い日は好きではないんだけどね。
あゝ。やっぱり堪らなく好きだ。
いつも表向きはしっかりしてる貴方の、こんな
夜更けに疲れ切って弱ってる感じを見ちゃうと
堪らなく…堪らなく抱きしめたくなる。
疲れた…って言葉少なに全体重をかけてきてほしい。
私が全部受け止めたい。
昔メインで活動していたジャンルでは、特に大きな問題はなく、人間関係の致命的なこじれもなかった。
活動するのは楽しかったし、時間にも余裕があったので、結構頻繁に漫画作品を出してた。1ヶ月に少なくて1本、多くて3本。やる気の鬼だった。
ただある時、私は「そのジャンル」じゃなくて「そのジャンルの人達」が好きなことに気づいた。
「そのジャンル」が好きで集まった人達が、「そのジャンル」のことを楽しそうに話してるのを改めて見て……、疎外感じゃないけど、自分の居ていい場所で無いような気がした。
私が突然アカウントを消して五年経った。
もう活動していたことも忘れかけてたのに、おぼろげな記憶を不意に思い出して、一緒に活動していた人達の顔が見たくなった。
やっぱり、見たいのは「そのジャンル」じゃなくて「人」だったけど。
そうやって何となく戻ってみたら随分歓迎されて、とても嬉しかったけど、ごめんなさい、もう作品上げる気はあんまり無いんだ。
復活して最初は作品も投稿してたけど、やっぱりというか、頻度は下がっていった。そもそも完全に熱が冷めたジャンルだったし、私はジャンルじゃなくて人が見たくて戻ったわけだし。
閲覧数も日に日に減って、やっぱり皆は「私」じゃなくて「作品」が見たかったんだと思った(いや、普通に当たり前なんだけどね)。
復活したアカウントは、徐々にROMにしようと思ってる。
自分がそのジャンルの人間とも名乗らない。昔は混ざりたいと思った会話にも混ざろうとしないし、積極的な交流もやめた(向こうから話しかけてくれればもちろん返すけど)。ネットストーカーにはなりたくないので、何か不穏な空気でも、気になる空中リプライがあっても、余計な詮索はしない。ただただ空気と同化してタイムラインを眺めるだけ。
……ここまで書いて、ジャンルよりも人が気になるなんて描き手としてどうなんだろうと、改めて自分に苦笑いした。
やらなきゃいけないことが多すぎて
精神的にも体力的にも
いっぱいいっぱい
こなしてもこなしても
新たな仕事がどんどん入る
忙しいことは有難いこと
でも
ついてこないんだよ
気力も体力も
なんとか歯を食いしばって頑張ってる
ぐちったーと違って、こっちでは非表示が溜まっても「非表示数が閾値を超えています」と警告は出るけれど、自分で非表示にしない限りまだその日誌を読む事は出来るのか。
ぐちったーならその先に通報機能があって、通報数が一定数を越えれば愚痴そのものが非表示になる。
多分、非表示と通報を同時に行う人も多いんじゃないだろうか。
そして通報数がさらに一定数貯まれば、24時間投稿もできなくなる。
一方こちらでは、どんなに他人にとって受け入れがたい内容であっても、非表示以上のことはしない。
なんとなく、ぐちったーとのスタンスの違いを感じられて面白い。
願わくばここがこの空気感を保てますように…
年をとって何を着ていいのかわからなった。
カーキもオレンジ色も似合わなくなってきた。テロテロした服がだらしなく見えてきた。ジーンズももしかしたらもう似合っていないのかもしれない。
これはいかんとファッションについての書籍を手当たり次第に読みあさっているところなのだけど、なかなか良い。
いくつかの書籍で「服=生き方」だというようなことが書かれていた。
将来どんな生き方をしたいか自分に問うてみる。
例えば芸術家だったとする。芸術家の自分はどんな服を着ているだろう。個性的な格好だろうか、それともシンプルでスタイリッシュな格好だろうか。そしていまの自分に立ちかえる。現在、自分は未来のその出で立ちに相応しい行動を起こしているだろうか。なりたい自分に向けて動いているだろうか。
ファッションとは「いまの自分自身と向き合うこと」なのだと気付かされたのは大きな収穫だった。
根底にこの考えを染み込ませつつも…
まずは手っ取り早く “ファッション迷子” から脱却するため「パーソナルカラーを知る」「骨格診断をする」「自分のテーマの3色を決める」、これらをものにすることにした(笑) パーソナルカラーや骨格診断で自分を知り、自分を3色で表す。自己プロデュースって大事。そのためには周囲からどう見られているか知るとなお良し。
進むべき方向がなんとなく決まったところでクローゼットを覗いたら、いまの自分に必要のない服が全体の約七割を占めていることに気付いた。
過去の自分が着てたイマイチな服を捨てよう。そして好きなことをして生きてる未来の自分にピッタリの服を着よう。
密かに想いを寄せている人がいる。謎めいていてそれでいて優しくて。好きというか気になるというか、まぁそんな感じ。
本当に好きになってしまったらどうしよう。困惑する私。
でも相手は…きっと私なんて見てないよね。大人数いる中の、一人に過ぎない。悲しいな。
最近時間が早く過ぎていく様に感じるけれど、それは良いことが続いてるからでは?と思うようになった
前は良いことが無いと嘆いていたけどいざ良いことが続くと嬉しく感じないんだよな~…
ほんともったいないな…
別に怒っているわけではないのだけど、
またなんか適当な感じの仕事か。と思う。
いや、適当で実際いいのである。適当じゃいけない場面も
じゅうじゅうあるとして、仕事は、意外と適当でいいところは多い。
と私は思っている。
しかしながら若い頃の私、幼い頃の私というのは
ずっと黙ってはいたが
なんとなくその案件については適当なのでは…
という気持ちがずっとあり、
今日まで適当さは変わらないことを微笑ましく感じる。
現在、そういう思いがあって専攻しているので。
ともあれ適当さを守るというのは
本当に大事なことだとも思うので感謝しきれない。
だいたい楽しさというのは
厳密性からはやってこないし、
代替的質である以上は、高尚性もおそらくはそうなのである。