2024.07.29Mon
非表示 05:46

外の気温とエアコンガンガンの室温の差が具合悪くなる原因のひとつかもな〜昨日、暑いけど気分転換にカフェ行ってちょっとした買い物したけど、その温度差に疲弊して頭痛になってしまった⋯


非表示 05:43

サボることすらやりたくなかった時代があったな。サボるって何をやらないか何をやるかを考えて実行しなきゃいけないことだから。“考える”をやりたくなかったんだろうね。
そもそも、普通の基準が私にとっては高すぎるんだよね。何もしなくても50点とれる人がいるとしたら、努力してようやく50点とれるのが私という感じでしょうか。
だから私がサボるとなるとホントに何も出来なくなっちゃうんで、一般的な、ほどよくサボるって難しいんだよな〜
でも、やっぱりずっと走り続けてるってシンドイ。努力してなんとかとった50点の部分じゃなくて、出来なかった50点の部分を突かれるからもう今は極力何もしなくなった。
もし努力するとしたら、自分がやりたい努力だけすることにしている。そうしないと人生がもったいないからね〜


非表示 01:28

あれだ、彼に対する未練。
東京の人ってだけだ。価値観とかそういう部分に強く共感できるので、離れがたい。
電車待ちの列がない、エスカレーターは片方に寄らない、店の中で大声で通路で話す。
西側に近い土地なんだけどみっともない。会話してて思うけど、他人への配慮という文化がまるで育ってない地域。びっくりする。
そんなわけで彼と話すときに時折感じる公共でのマナー的な部分が、しごく納得できる部分である人なのですっぱり切るのは良くないというか、いま彼より利用しやすい人がいない。

2024.07.28Sun
非表示 22:08

素直に頼れる人が羨ましいし、大嫌い。

私はヒトに頼れない性質。

いいな。と羨んでいるだけ。
頼らなくても生きていけてるところはあるのだけれど、
頼れた方が生きていきやすいだろうな。と思う。

頼れる人が身近にいることが羨ましいのかな。

嫌悪を抱くのは、嫉妬が大半だ思うようになったから、
嫌いとか言わないようにしているけれど、
まだ心のバランスがとれていない。

私がどう生きるのか定まってないからかな。


非表示 19:09

久しぶりに電動自転車購入した。
前の前に住んでた所は駅前からずっと坂道で、電動自転車一択の地域だったんだけど、前の所はそこそこ平地で、普通の自転車でも生活出来てたので普通自転車使ってた。
今住んでる所は若干起伏が激しくて、今の体力では普通自転車だとちょっと辛い。
距離的に自転車移動で行ける所も多いから自転車で行きたいけど、途中にけっこうな坂あったな…と思うと二の足踏んだりしてたので。
原付バイクも持ってたけど、バイクは重いし燃料代とか維持費考えたら電動自転車の方がいいなと思って、この春に売却した。
大したお金にならなかったけど、そのお金も使う事にした。
今回購入するまでにかなり迷った。
というのも、基本的には買い物に使うので、前カゴも後ろカゴも欲しいから荷台が欲しい。
車で運ぶ事を考えて(何かとそういう機会があったから)小径、出来たら折り畳み。
安定した駐車したいから出来たら普通のスタンドがいい。
お安いとなお良い。
そんな自転車、当然ながらなかなか見つからなくてずっと探してたんだけど、やっと見つけた!
流石にスタンドだけは無理だった。でもそれ以外は理想的だった。
ちょっと遠くの量販店で買ったので、配送頼んだけどサービスなくて、乗って帰るが持って帰るかの2択になって早速車に積み込む事になった。
折り畳みだったので小さくなって、後部座席片側倒したら余裕で乗った! ちょっと感動。
帰って駐車場で試乗したら、軽々乗れる。駐車場から自転車置き場までに坂あるけどスイスイ。
昔持ってた頃よりもかなり進歩してるんだろうね。
これから楽しみだな。


非表示 06:22

誤字脱字ってもちろんしちゃいけないとは思うんだけど、最近自分ではちゃんと変換したつもりなのに、変換になっていないときが結構あるって感じるんですよねー。そういう人いっぱいいるんじゃないかなーって思う。


無意識の相対評価

非表示 06:09

似たような性質や属性というと堅苦しいけど、そこに所属してると誰かを上げるために誰かの評価を落とすというようなことはけっこう当たり前に行われてるなーって改めて思うのです。
テレビやネットを開けば、そういうのにすぐ遭遇してしまうので疲れてしまいます。
例え話になってしまうけど、二人組のアイドルだったらAちゃんは今は立派にやってるのに、Bは落ちたなとか。
数年前の評価は真逆でAは常識がない、Bちゃんはカワイイと評価がまるで違ったりします。
比べる対象が2つしかない場合は、どっちかをあげてどっちかを落とすというやり方が無意識に使われているので恐ろしいんてすよね。
なんで人って比べないと気がすまないんだろうって思います。勝手に比べられて勝手に落とされてるっていうのは私もいくつか経験してるので、この手の毒を感じると自分にされているわけでなくともシンドイ。
数年経てば人の評価や見方も変わるのは仕方のないことだとは思うけど、近くにいる誰かが勝手に比較対象になって、その場合、どっちはか必ず低評価。どっちも高評価になることも低評価になることはないんですよね。それがニンゲンの嫌なところだなって感じるのです。
私は低評価側が多いのですけどね。自分の高評価のために誰かが低評価になるなら、何も評価されないほうがマシなのかもしれないです。だから比較されないように隠れながら生きたいです。

2024.07.27Sat
非表示 10:44

時計を修理に出してそろそろ3週間経つけど、時計がないことに慣れて来たような…
何でも慣れれば、良くも悪くも過ごせるんですよね〜


自由研究と読書感想文に思う

非表示 06:50

読書感想文とか自由研究とか面倒だからやりたくないというのもあるけど、何を読んだとか調べたとかを周りに知られることが本当に嫌だったんだよなって思う。
この感覚、今でもずっと持ち続けている。他人に自分の嗜好を知られたくないって。
なぜこうなったか?と考えると、私の嗜好って誰かのネタにされることが多かった気がするから。褒めるとかそういうのではなくて、バカにするための肴みたいな感じ。別に褒めたり共感出来ないことを無理にして欲しかったというわけではない。むしろ無理矢理褒めなきゃならない共感しなきゃならないっていうのはシンドイことだとわかっているからしてもらいたいわけではない。
でも、バカにはされたくない。貶されたくない。自分なりに考えがあってそれを述べても、お前が?あんたが?みたいな感じだし、だからあまり力を入れないようにすると、やる気がない、だからダメなんだという雰囲気に持っていかれる。
これ、家庭でそうだったんです。私の両親ですね。私をバカにすることで他の家族のメンバーが仲良くなるみたいのはあったと思います。そういうのが染み付いて外に出て家庭以外でも私の嗜好をバカにするみたいな流れは合ったように思う。
だから趣味とか言うの苦手だな。昔、入社した会社で趣味、お菓子作り、読書と書いたことがあるけど、部長に「それ、本当なんだかね?」って言われたことがある。そう感じさせない私にも原因があると考えられるけど、やっぱり私の嗜好はバカにされたり皮肉に使われたりするんだなって今思い出した。
だからあまり自己を紹介したくない。だからそういうのを言いたくないから周りの人と関係を築きにくいのかも。普通なら仲良くなるために自分の趣味や紹介をするものだと思うけど、私は仲良くなってからじゃないと言いたくないんだよね。この感覚があるから読書感想文とか自由研究は当たり障りのないものにしなきゃならなくてつまらないし、疲れたんだと思う。当たり障りにないものを作るってどんなものも事も、自分にとってはつまらないんだよね。でも、そうしないと本当に好きなものを守れないからね〜難しいです。

2024.07.26Fri
非表示 23:29

今の仕事辞めたいな〜と思っても生活するためにはやめられないかなって。夫婦2人とはいえ生活がかかってるから…

何の気なしに旦那さんに「月いくらもらってんの?」と聞いたら私のが10万近く多く貰ってて尚更やめられない。
今の生活を諦めるか、私が頑張るのか。

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