逆になんで三男は次男の味方をよくしてくれるのか。
おそらく彼が思う「常識的でない・おかしい」事態に次男が陥りやすいのかと思う。
かつ、次男を「不器用でタイミングも悪く、先が読めず、損を多くしてしまう気の小さい兄」ととらえていて「かわいそう」ではなく「なんでそんな下手くそなんだよ、ちょっと貸してみろよ!」とつい口を出してしまうような気分にさせられるのかなと
普段の次男の言動で自業自得だと思えばほかの兄弟同様無視もするんだけど
自業自得の範疇を超えたりつい口を挟みたくなる事態になったとき、三男は次男を放っておけない。
ただダヨン族の時も盛大に見捨てられたのにまた味方をしてしまったというのは、視聴者の我々の知らぬところで発揮される、ちょっとした次男の優しさを三男は知っているのかもしれない。
それと、兄弟の中で三男から見て一番わかりやすく理解しやすいのが次男なのかも。理解できてるのかはさておき。
明日は、大事な予定がある。
それが終われば、きっとホッとできる。
ひとつずつ、片付けていこう。
新たな年にいいスタートが切れるように!
最高の自分を見せようとします。そんな時、とびっきりのおしゃれ着をまとい、礼儀正しく会話を交わします。華やかで、機知に富み、楽しさいっぱいの自分を演出するために最善を尽くすわけです。しかし、毎日のようにそこまでがんばれる人はいません。ある時点で、疲れて機嫌の悪い自分を見せなければならない時がやってきます。相手が私たちの本当の姿を見て、逃げ出したらどうすればいいのでしょう? 相手がどんな反応を見せるかを事前に知る方法はあるのでしょうか? 実のところ、そんな方法はありません。あの人に対する自分の本当の気持ちを確かめようとするでしょう。そんな中、先に述べたことを思い出してください。ありのままの自分を見せたら、あなたは自然な形で輝きを放つでしょう。
「“寛ぎ”と“隙”の違い」
今、油断していないだろうか。
在る人間関係は、本物だろうか。
仕事は、同じレベルでいいだろうか。
親しい間柄であっても。
継続している関係であっても。
積み重ねていたとしても。
たかをくくって気を許し、
注意を怠ったその瞬間、何かが崩れる。
寛ぎと安らぎは、
誰のもとに訪れるだろう。
頼りにできるのは、誰だろう?
サトウタカシ
また、ネット上で初めて出会った、もう会うことのないKさんのことを思い出した。
あの時、自分とKさんと話題にしてた選手が久々にニュースになってたから、Kさんは知ってるだろうか。
それより、Kさんのいる九州は復興が進んでいるのか、彼の身が無事だろうか…。
彼はもしかしたら自分のことを忘れてるかもしれない、でも自分はまだはっきりと覚えていて忘れることができない。
Kさんが、どうか無事でありますように。
願わくば、またKさんと話をしたい。
お父さんとドラマ見てたら、アレなワード出てきてちょっと気まずかった
我が家ではアレはタブーなの
でもドラマの内容は最高だった
行動が遅い人の改善策として「これくらいならしても良い」段階を自分で決めさせるというものがある。
たとえば、切符を買う⇒駅に行く
ではなく、切符を買う⇒財布のお金をチェックする など
少しずつ進ませる。
これができたら次の「これくらいならやっても良いこと」を考えさせる。
腰が重い人でもちょっとずつならできる。
全部やりかけで中途半端になるけどね。
長い目で見て、全部やり遂げるには手足を動かすところから始めると良い…って書いてて気づいた、これが千里の道も一歩からってやつか。ことわざって知恵だなぁ。
あれもしたい、これもしたい。
おかげでやりたいことの塊がアチコチに散乱している。
そこで、それぞれに「何がしたいか」を書いたメモを添えてみた。
資料⇒資料まとめ
いらないけどまだ使える雑貨⇒××に渡す
片付ける場所があるもの⇒押し入れ
洗い物⇒台所
こんな感じ。
行き先があるのに放置されてた塊は少しずつ動き始めた。
さて買った資格書に⇒教材DLと貼ってみようかな。
え、今やればいいって?
しらばっくれる⇒口笛(´・3・)~♪
他人に区切られた人員の中で無理矢理仲良しグループを作らなければ恥ずかしい高校生までの生活がしんどくて大学から社会人までぼっちライフにしたら肩の荷が下りて身軽になった。
でも人と仲良くなる努力とかスキルはかなり落ちた。
好いて優しくしてくれる人だけにしか優しくできない。
拒絶される事が怖くて。
いっぱい拒絶されたから、もうこれ以上傷付きたくないって気持ちからなんだろう。
そんなんで見た目がいい訳でもなく好きな異性にアプローチも出来ず結果アラサーの真性喪女で当然経験ナシである。
こんな人間になって人生損してるとは思う。
恋人がいた事がないから誰かに気持ちを預けた事がないってわかる人にはわかるんだろうな。恥ずかしいね。
スッキリしないわ
幼い頃から『子供』を可愛いと思えたことがない。
動物の『子供』はなんとも思わないことが多いけれど、人間の『子供』はどうしても可愛いとか、愛しいとか思えない。
愛情も愛着も安心感も擁護感も何一つ生まれない。
そこには嫌悪感と軽蔑、そして穢らわしさしか生まれない。
自分すら気持ちの悪い存在に思えて不快で仕方ない。
この息の根を止められるなら、止めたいと思うほど、自分という存在に一番嫌悪感を抱いている。
赤ん坊は私が大嫌いな存在の一つだ。
家族という概念、そして塊が嫌いだ。
親がいなければ、子もできない。
だからいつかさらに少子化が進んで、この世は老人だらけになって、いつしか人間が一人もいない世界になればいいと思ってる。
人類や生物すべてを否定することになるけれど、それでも私は思う。