最近カラオケに行くときは高めのサラダを買って持ち込みで食べるのがマイブームです。
ほんのちょっとでなかなかなお値段だけど、あまり食べると胃もたれで歌えないのでちょうどいいです。
あの自意識過剰さんがいなければもうちょっと違う空気感だったのなとは思うのです。
自分のことを自意識過剰だなんて思ってもいないのだろうけど。
突然ですが、5年経過するのって早いですね。
子供のときは、やっと1年経過!って感じで、ノロノロとした時の流れを感じてたのに。
5年単位で人生がパパッと進んでいるようだわ。
まあ、5年の間にいろいろありすぎたから、そう感じるのかも。
各駅停車のように、のんびりいくのが丁度いいけど。飛ばしたい駅は飛ばして、ゆっくり進みたいときは各駅で…なんて、自分流に運転出来たら楽なのに。
なかなかそうもいかないですね。次はどんな駅かしら?
この季節になると開催されるあのマラソン、東の都を走るアレです。
もう10年以上前になりますか?あの時友人だった子がこのマラソンに出場する権利を当選したとかでその話をよくSNSにアップしてましたね。
マラソンっていうか、特にこの東の都のマラソンは庶民ランナーも特別視しすぎて、もうちょっと落ち着かない?なんて思ってしまうのです。
このマラソンの話題性とマラソンという長距離を達成する感覚が合わさって変な風に使われているような気がします。
スポーツとしてのマラソンはあっていいんですが、ドラマを作るためのマラソンって感じのマラソンにもう食傷気味であります。
この元友人ももちろんドラマチックマラソンランナーで、当時のSNSのドラマ感がすごかったです。元々周りの出来事を全部ドラマ仕立てにしてしまう子ではありましたが、この話題性のある大会とマラソンが合わさって、ものすごく濃いめの味付けにされていた日々を綴っていたなと。
ゴールした瞬間に友達に電話したみたいな事が書いてあったんです。それ、私ではないんですけどね。ドラマチックなことを書きたいからドラマチックなことを言ってくれる友達を選んで電話してるのかな?なんて思いました。まあ、私に電話されても困るんですよね。ドラマじゃなくて現実を生きているから。
そういうのも本能的に嗅ぎ取って、自分の作った脚本を演じてくれる人しかあの子の前には残らないのです。だから私は今残っていない。現実を生きているから。マラソンはただのスポーツで感動のためにあるものではない、スポーツをスポーツとして全うしたときにだけ感動のような何かがあるだけなんだと思うのです。
ドラマのためのマラソン、ドラマのための友人、ドラマのための⋯
私は現実を生きているからドラマには出場しないし、出演もしません。
今読んでいる小説が面白くならないのですが、そういうときって最後まで読んでもたぶん面白くないままなんですよね。それが分かっているのに読んでいるのが不毛。
言ってやりたいことを言わないのが大人だと思って今まで我慢してきたけど、そうしないほうが幸せでした。言葉だけ切り取ればすごい酷いこと言ったことがあったんですが、本人を傷つけたとかそういう後悔はなかったです。むしろスッキリ。ただ周りの関係のない人には迷惑はかけたかもしれませんね。そういう意味の後悔ならあります。
昔は古着とか興味あったけど、今はないですね。自分が古くなったのと勝手に古着に成長した服が家にあるからそれでいいかなということです。
昔よりはアレじゃないとコレじゃないとというのはなくなりました。高い服を買わないというわけでもなく、安い服ならOKというわけでもなく⋯
オシャレを放棄したというわけでもなく、でもオシャレが脳内の占有面積が少なくなったのは確かですね。
気に入ってる春先も着れるセーター、国民的衣料品店の「湯に黒」で数年前に500円で買ったんですが、まだ現役です。今だに色違いとか欲しいなとか思うし、なんなら同じのでいいから欲しいなって思ってます。定価はもっとしたと思うんですが、あのワゴンの中からの出会いで何年も付き合って相性がいいんでしょうね。
相性のいいものと何年も付き合いたいです。背伸びもしたくないけど、どうでもいいやというわけでもないものにはこれからも出会って長い付き合いがしたい、それだけなのです。
今日は親友と遊んでとっても楽しかった。
とっても楽しかったのに、悲しくなってきた。
私は心が少しおかしいので気分が上がって下がると、「悲しい」という認識になってしまう。「楽しい」から「普通」に戻った、だけなのに。
楽しいが怖くなるという原理、本当に怖い。
早く心の病気が治りますように。
フレッシュネスバーガーのアップルパイ美味しかったー
コーヒーも美味しくて量も多めで。土日祝はちょっと休みたいときにカフェ難民になることが多いので穴場かも〜
お手軽なカフェでも空いていたり、端と端にしか客がいないという状況だとラッキーだと思ってしまう。
人がいない場所を見つけるとラッキーだと思ってしまうし、自由なんだなと実感するのです。