色々困っているけど、誰にどう相談していいかがわからない。市役所にも行ったりした。
この年になって私は何もわからないんだ。
自分のことも、他の人のことも、仕事のことも。
活字は何でももっともらしく見えるようになるな。どこかわからないが、何か引っかかる文章は一度全部コピーして、他のソフトに貼り付けて手書きの書き殴ったようなフォントに変えて、できれば印刷して、なるべくアナログっぽい形に近づけて読んでみるといいかもしてない。良く見えるフィルターをできるだけ外すと、本質が見えてくるから。
体罰に関する記事があったのでちょっとだけ。
体罰が何であるかかと言うと、トラウマの刷り込みだ。昔の動物を大切にしないサーカスのライオンが言う事を聞くのは、ムチの痛さのトラウマを埋め込んでいるから。きっと、虎視眈々と機会を狙っていた事だろう。軍隊で体罰指導するのは、絶対的な命令服従のロボットにする為。その人間も仲間も命令無視による命の危険はアウトだからだ。体罰は、トラウマの埋め込みのロボット育成で、相手の尊厳を無視した行為と言う事だろう。きっと、自分に厳しくできる人間ができたとしても、相手の気持ちを尺計る人間は育たないだろう。他人に尊厳なく育てられた人間が他人をリスペクトする事は難しい事になるだろう。方法がわからないのだから。
じゃあ、どうすればいいかなんだ。
思春期時期の子供は、親離れの時期で世の中の事をよく知らないのもあって、自分の中で根拠のない自信を持ってしまうものだ。自分の事をまだ等身大に見れてない状態だ。その時期に何かに打ち込んで他人と切磋琢磨していれば、次第に自分というものが等身大に見る事ができるようになるし、挫折や悔しさの中で他人を思う気持ちやリスペクトの気持ちが育ってくるようになる。
自立心や他人の気持ちを理解できるようになるには、自分の人生の中の作られた物・用意された物じゃない人生としてのリアルな体験で、挫折や悲しみを体験するのが一番なんだろう。
世間的なお盆休みが終わって、少しホッとする部分も。
そして世間的な夏休みが終わるまではあと10日ほど。
なんとか生き延びよう。
以前の職場が自宅の最寄り駅にあるので、駅を使うとそこで働いている人を見かけることがあります。
昨日は私が辞めた原因のひとつであるあの人を見かけました。
その人私と干支が確か一緒だけど3周くらい違うのです。なのでもう年齢的には後期高齢者なんですよね。
いくつになっても働いたっていいと思うし、人によっては働かなきゃならない人もいるでしょう。自分だってこの先どうなるかわからない。
だから何歳になっても働くことには異論はないけど、その人のせいで辞めるって人が私以外にも何人もいたと想像出来るし、そういう人をいつまでも働かせるのはいかがなものかと思うのです。
その人が働いている”風“にするために、私が働かなければならなかったのです。どういうことかというと、例えば両替という作業も仕事のひとつなのですが、それをその人がやらないように私やその他の人がやっておかないといけない。両替なんてある時はあるしないときはないから、自分が働いている時は必要ないときはけっこうあるんです。だけどその人が両替作業をしなくてといいように必要以上に両替したり先を読んだりして疲れました。自分では絶対両替したくないから、やっといてくれなかった、やっといてくれなかったって騒ぐのです。でも、それも仕事のひとつなんですけどね。あなたの仕事でもあるよ?って思っていました。これは一部のエピソードですが、他の仕事に関してもこれが通常運転でしたね。
こんな感じで私の仕事はあの人の仕事風味を全うするために仕事するになっていったのでバカらしくて辞めました。
辞めて1年ちょっと経ったけど、昨日見かけてまだいるんだと思いました。もうあと30年くらいは働いてる風でやるんでしょうね。それならそれでいいんじゃないかなと思います。
とりあえず何年も生きるんじゃないでしょうか。何年も生きるからその後のことを誰も考えない。それでいいんじゃないかなと。私はそこにいたくないから辞めた。それでいいんです。後は残った人がどうにかすればいい。最寄り駅だから時々こういう風に思い出しちゃうのが嫌ですが。職場が近すぎるのは楽だけどこんなデメリットもあるんですよね。
Rows and flows of angel hair
And icecream castles in the air
And feathered canyons everywhere
I've looked at clouds that way
But now they only block the sun
They rain and snow on everyone
So many things I would've done
But clouds got in my way
I've looked at clouds from both sides now
From up and down and still somehow
It's cloud illusions I recall
I really don't know clouds at all
…ステキな訳を見て…
武士の情けもあまりせず、武士道ばかりを要求する滑稽さ。未だ試合の技のキレに重点を置いて報道する方が少なく、選手の立ち振る舞いばかりを報道するマスコミの滑稽さ。
いったいオリンピックの何を見てたんだろ。
きっとずっと頑張ってきた事があっという間に無くなる事を体験した事がないのかもしれないな。そんな事滅多にないだろうって言うのは、きっと全員参加のコロナ禍も運良く上手くいったんだろう。
統計で世界から見てコロナの影響での失業者数は日本は少ない方だって言って、数百万人の総数に自分の人生を統計のただの1の加算で数えられてしまって、まだ世界的には良い方だって言う世間の中にいた人達がいる事を。
数十年かけてやってきた事がよくわからない社会的束縛であっという間に無くなった人達がいる事を。
その人達はコロナ禍の異常な就職環境の中、もがきながら、なんとか今いるって事を。
たぶん、その絶望感と崖っぷち感を知らないし理解できないんだろうな。
だから、手を伸ばしても伸ばしても手が届かなく落ちていく絶望感にとても共感できるんだよ。
30歳にしてピアスを開けた。さっき病院で開けてもらった。
周りの友達だと開けてる人は20代前半にすでに開けているし、今開けていない人はおそらく一生開けなさそうなので30歳で開けているのはきっと私くらいでしょう。
何かきっかけになるイベントとかがあったわけではないし、むしろ先月に結婚式を終えている。
結婚式に間に合うように開けることも考えたけど、準備でバタバタしている中ちゃんとアフターケアできるのか…とか色々ごちゃごちゃ悩んでいたらタイミングを逃した。
可愛いアクセサリーショップでピアスを見るたびにいいなあ、これ付けたら可愛いだろうな…と思っていた。
イヤリングに付け替えもできるけど、イヤリングは重いものを長時間付けていると痛いし、かなり落としやすい。
一目惚れして買ったイヤリングをつけて最初の外出で落としてしまってからは小さめの安物しか買わなくなった。
ピアスなら落とすことも少なくなるから好きなデザインをもっと買えるかもしれない。
あと開けたかった理由としては、ナメられやすそうな弱々しい見た目から少しでも脱却できればいいなと思ったから。
背が低くてタヌキ顔でやたらヘラヘラする癖があるのでまあ周りにナメられやすい。こんなことで劇的に変化が起こるとは思えないけど、まあ、気の持ちようでね!少し強気になれるかもしれないしね!
結婚式も終わったことだし美容院で髪をばっさり切ったあとにピアスを開けてもらった。
ビビりだし痛みにあまり強くないから痛そうだなあやっぱ開けない方がよかったかなあとか思いながら麻酔の注射(があるなんて聞いてない…)を打たれ、直後にブスッと開通していた。激痛ではないけど、麻酔もピアッサーもコロナのワクチンよりは少し痛みが強かった気がする。麻酔したのに。
今は耳たぶがジクジク痛んでるようなそうでもないような変な感覚。無事に穴が安定してくれますように。ビビりなので怖くて耳たぶとピアスに触れていない。
私の母親も確か30歳(すでに兄と私を出産済み)でピアスを開けたと言っていた気がする。
ピアスホールが安定するまで1ヶ月らしい。プールに行きたそうな素振りを見せていた夫、今年は一緒に行けんかもしれん。ごめんね。
ジョニ・ミッチェル
「青春の光と影」〈一部変更〉
列をなす天使の髪の浮氷
空に浮かぶアイスクリームのお城
羽毛の渓谷がいたるところに
雲のことをそんな風に見ていました
でも今となってはお日様をさえぎるだけ
みんなのところに雨や雪を降らせるもの
私はたくさんことができたのに
雲が邪魔をしたのです
雲を両側から見てきました
上側と下側から
でもどういうわけか
思い起こすのは雲の幻影
私は雲のことなんか
全然わからないのです
月の満ち欠け、巡りくる六月、観覧車
どんなおとぎ話も
本当になる気がするほど
めまぐるしく踊っているような感覚
“夢”をそんな風に見ていました
でも今やありきたりなショー
去るときは笑わせておけばいいのです
気にしていても
それを悟られてはいけません
わざわざ自分をさらけ出すことなんて
ないのです
“夢”を両側から見てきました
与える側ともらう側から
でもどういうわけか
思い起こすのは“夢”の幻影
私は“夢”のことなんか
全然わからないのです
涙、恐れ、誇りを感じること
「夢があります」とはっきりと言うこと
企み、サーカスの群衆
人生をそんな風に見ていました
でも古い友人が最近おかしいのです
首を振りながら「あなた変わった」
なんて言うのです
たしかに失うこともあり、
得ることもあった
毎日を生きてきた中で
人生を両側から見てきました
勝者の側と敗者の側から
でもどういうわけか
思い起こすのは人生の幻想
私は人生のことなんか
全然わからないのです
英語別に嫌いなわけじゃないけど、「俳句に最上川と出て来たら最上川そのものより紅葉の赤色とかあるいは戦の跡をしみじみと感じる」みたいなちょっとめんどくさい(褒め言葉)感性の日本語がやっぱ一番面白くて
ところでこの文章は先週打ってほっといたやつなんだけどここオートセーブ機能もあるのね かがくのちからってすげー