コーヒー豆半額のときの土日は物凄い混んでるはずなのに、昨日はすんなり買えて嬉しかった。丁度コーヒーがなくなるタイミングでたまたまセールに出くわしたのが運が良かったと思うことにする。
一方的に自分の話したいことをバーッと話してから相手の話しを聞く。でも話すのが相手の番になって話し出しても、そこでまた自分の話したいことが出て来たらバーッと話してしまう。
昔はこういう感じじゃなかった。むしろ私のほうがバーッと話してる感じだったなと思う。いつからこんな風に変わったんだろうと思う。
何でも話せる人という位置づけだった。今現在の価値観は何でも話せる人はいない、そういう人はいちゃいけないという価値観に変わったのですが。
私の話を「愚痴ばかり」とか「くだらない」という言葉で締めるようになってからは明らかに変わっていったな。
世間一般的には愚痴は良くないとされているけど、だからこそ話せたときの解放感と話している相手に対する信頼感が心地良くて話してしまっていた。でもある時からうんざりされるようになってしまって愚痴以外の話も「くだらない」と言われるようになってからは少しずつ私も変わっていった。
10年くらいかけて今のスタイルに落ち着いた。普段の会話の先導はあちらに渡している。ちゃんと聞いているからこそところどころで私も反応するけどその反応にはほとんど応じず、また話したいことを話し出す。でも、私はちゃんと聞いている。その繰り返しで疲れてくることもあるけど、これは復讐なのかもしれない。ちゃんと聞いてもらえないという気持ちをちゃんと聞くことで果たす。よくわからないけど、そんな感じ。私は話をちゃんと聞いてるよ?ってところに持っていくことで保っている何かがある。
「無視するのが自分のスタイル」と返されたことがある。これも10年くらい前かな?聞きたくない話は無視するそうだ。私がエネルギーを使った言葉は聞きたくなければ無視してもいいのか。
だから私は「無視しないことが自分のスタイル」にすることで抗っているのかも?私は抗っているけど、今が1番平和なのかもしれない。
今日は寝坊して、午前中はずっと家の片づけとノートの整理をしていた。
最近自分の人生の終わりが見えてきたと感じる。年齢なんて上を見ても下を見てもきりがない、先日は80で新しいことに挑戦しよう、なんてタイトルの本を眼にして驚いたけれど、人生の時間が1日ずつ、1時間ずつ、1秒ずつ着実に失われてゆくのは事実だ。私はもう学生の頃のように仕事を選ぶことはできないし、子供の頃のように無邪気に夢を語ることもできない。なにか新しいことを始めるとき、これが最後の選択だ、などと仰仰しいことを考えてしまう。今風に言えば人生の最後のターン、というところだ。
こんなふうに書くとものすごいおばあさんのようだが、少なくとも自分はまだ高齢者という歳ではない。ただ、諸事情から結婚せず、一般から外れた人生を生きてきて、そのせいかあまり自分の年齢に自覚がなかった。それが最近自分はもう若くはないと思い知って、ショックというよりは取捨選択をしなければと考えているところ。
私の人生は普通から見れば決して幸せなものではないし、年を取るのは一般的にはあまり好ましいことではない。今書いたように、若い頃には当たり前に与えられていたチャンスがどんどん失われてゆくからだ。「若い頃」を病気で潰してしまった自分は特に焦りが強い。
ただ、それなりにものを見たり読んだり聞いたりしてきた積み重ねがあるせいか、同じものを見ても若いころより色々なことを考えられるようになった。
そう考えると、意識的に知識や経験を重ねてゆけば歳を取るのは結構楽しいのかもしれない。できれば20年後にも同じ言葉を言えるようでいたい。
お土産って基本的に難しいよね。無難なものってありふれてるからこそ難しいって思う。基本的にもらったら有り難く頂くのがいいと思うけど、お土産充実してそうな観光地で“◯◯に行ってきましたクッキー”ならちょっとガッカリするのも事実です。
振り返ってみて、相手に変なものや仰々しいものを贈ってしまったときって、その相手との関係性がおかしくなっているときなのかもなと。
その時は最適だと思っていたものか振り替えるとアレ?ってなるって相手とのことを考えすぎたり、思いやりというよりは文句を言われないように怪訝な表情されないようにとかそんな理由だ。
だから妙なものを贈る。精神的に参って退職した会社に挨拶として買ったのは瓶詰めの重たいゼリー。今思えば瓶とか重いし邪魔だったと思うけど、あの時は普通のものじゃケチつけられると怯えてたと思う。実際、そういう雰囲気だったから精神的に参ってしまったのは事実なので…たぶん、こんな瓶の面倒なもの…って最後の最後まで陰口は言われてたかも?
自然派の食事が好きになった友達の家に招かれるときも、いつもない頭を絞って手土産を持参していたけど、いつも一瞬だけ曇った顔をしていたのは見逃さなかった。この場合、決して変なものではなかったとは思うけど、コレならどうだ?こういうのならどうだ?みたいに感覚が親しい友達に会いにいくレベルをこえてたような気がする。某コーヒーチェーンの飲み物セットやデパートで買ったせんべいとか色々頑張ったけど、その頑張りは無意味だったな。
相手のことを考えて何かをするって大事だけど、それをすることですり減ってしまうような感覚が出てきたらマズイんだと思う。
ちょっと前に辞めた仕事にも挨拶のお菓子買っていったけど、我ながら無難だけど小スペースだけどそれなりに美味しそうなものを買ったなと。感想はわからないけど。ここも色々嫌になって辞めたけど、精神的に参る前に辞めたから仰々しいものを買わないで済んだんだと思う。
すり減る前に離れないと変な置土産しちゃうから気を付けないといけない。
ベランダの窓のすぐそばでセミがひっくり返っていた。生きてるのかどうかよく分からなかった。突然暴れ出したらびっくりするので、ベランダに出るの嫌だなと思いながら時々様子を見ていたら、足を動かした。生きてる。
ドライバーの先でひっくり返してあげたら、しばらくその場で 1番前の足 2本だけ動かしたりしていたが、コーヒーを淹れてる間にいなくなってた。良かった。恩返しとか来なくていいので頑張って生きて欲しい。というか、そろそろ進化して自分で起きられるようになって欲しい。
現代に普通とされている時間の使い方ってけっこうハードですよね。朝から仕事行って夜帰ってきてって…普通がハード。その後に飲み会とか他の活動とかさらにハードだったりして…私には普通は難しい
最近付き合いで高校の説明会に行くことが多いのですが、その中で出てくるフレーズが「部活も勉強も」みたいなワードなんですよね。部活もやらないと充実してないという刷り込み?を感じてしまいました。
でも、特に進学校って部活やってたから勉強出来なかったっていう人はあまりいないかもしれないですよね。元の頭の良さもあるとは思いますが、時間配分が上手い人が多いんだと思います。
私だったら部活か勉強かみたいになっちゃって、どっちかしか頑張れない。どっちかしか無理っていうのはあの頃も現在も変わっていないなーなんて思います。
あーでも、高校時代は今と比べたらアレコレやってたかな?とは思います。部活も途中までやってた時期もあったしバイトもしていたし、朝や放課後に勉強しに学校に行ったり残ったりと…
あれ?私色々やってたな…でも、基本的には両立とかできないタイプ。振り返れば、どの時間もそこにいただけって見方も出来ますね。
現代では1日にそれなりの活動量をこなすこともやっぱり求められてるので、「勉強も部活」も高校生のうちにこなしておけば、時間の使い方の鍛錬にはなるのかもしれませんね。でも、やっぱり部活に入らなきゃならない雰囲気ってシンドいかもしれないという視線も残しておきます。
生理予定日から1週間
まだきません。
不安になるしなんだか身体もだるい。
仕事早退して検査薬買って家帰って、検査してみた。
結果は陰性。
だけど生理まだ。
いつくるのよ。早く来てくれよ、、
ネット流し見してたら見つけた「部屋が汚いのはいい女の可能性が高い」え?私のこと?なんて思っちゃったけど、まあ、私がいい女かどうかっていうのはおいといて…
ちゃんとし過ぎている人って、それを他人にも強要したがる人が多いのかなって思います。もちろん全員じゃなくてその傾向が強いというだけですが…片付けることや整理整頓って一般的には正しいことだから、それが出来ない人を無条件に弾圧というと大袈裟ですけど、本人は圧をかけてる意識なく圧をかけてくるのです。
自分がダラシないわかっていても、ダラシない!ちゃんとして!って言われないって、人によっては居心地が良いと感じるのかもしれない。片付けなさい、片付けなさい、片付けなさいという呪文を言われないって単純に居心地いいなって思います。自分の身の回りのことをしっかりやってくれる保護者的な人をいい女、もしくはいい男って思う人にはわからないかもしれないけど…
私がいい女でもなければ正しいとも思わないんですけど、部屋や鞄の中をカオスにすることでバランスを保っているっていうのはあるんですよね。外ではそれなりにキチンとしなきゃと思っているので、外でキチンとした分、自分のテリトリーで発散するみたいな感じです。片付け苦手っていうのもあるんですが、私はこういう感覚は少なくともありますね。ぐちゃぐちゃにすることは正しくないことだけど、自分の中だけではやっちゃうとストレス発散のような感覚になるというか。
片付けられない、もしくはそうしてしまう心理が整理整頓ができる人得意な人よりはわかるので、誰かにうるさいことを言わない言えないってところが誰かの目に長所に映っているとしたらありがたいなーなんて思っちゃいますね。まあ、なんとか生きられるほどのカオスに留めておきたいなとは思ってます。