どこに行っても愚かな人はいるものです。その中で最も愚かな人は誰かというと、自分の周りにいる人々がすべて愚か者だと決めつける人です。他人をチラッと見ただけでその人が無能だと決めつけるのは短絡思考というもの。ところが、周りの人々を好意的に見ている人ほど愚か者のレッテルを貼られがちなのです。そんな人は愚か者どころか賢者だと言えるでしょう。不寛容な態度を改めようと努力している人の場合、特にそのことが言えます。生来の寛大さを発揮できるようになるでしょう。そんな態度をとるのは賢明なことに違いありません。
コーヒーとチョコレートは最高に合う組み合わせだと思う。でも、コーヒー味のチョコレートは私は好きじゃない。
コーヒーはコーヒーとして。チョコレートはチョコレートとして。お互いがそれぞれの立ち位置で存在しておけばそれでいい。相性がいいからといってむやみに一緒になってはいけない。どんなに相性が良くても距離感って大事なんだよ。
相性がいいな、楽しいな、美味しいな、と思える距離。もっと仲良くなりたい、もっと距離を縮めたいって思う。だけど、自分がコーヒーだとして、コーヒー味のチョコレートのためにコーヒーの地位を捨てなきゃならないのであれば、それは違うような。いつもチョコレートと歩みたいけど、自分がチョコレートになるのは違う!チョコレートの立場から見ても同じ。
そこそこ生きてきたけど、この人とはずっと友達かな~なんて思っていても、数年後には全然違う。と思ってたり。そういうこともあった。相手が楽しいと思うことに合わせすぎてたのかなと。本来の自分なら楽しいと思えないようなことも「みんなと一緒ならば!」と思いこまされてたのかも。これがコーヒー味のチョコレートを食べてるのと同じ感覚に思えてきた。
距離感を縮めることも大事だけど、距離感を見極めることも大事だなぁと最近思う。縮めることよりも見極めることのほうが遥かに難しいとも思う。コーヒー味とチョコレートは好きじゃないけど、紅茶味のシフォンケーキは好きだから。でも、紅茶は紅茶、ケーキはケーキ!という人もいるんだろうな。相手によって違うから見極めるのが難しい。いろいろね。
人間的な、欲望的な、カテゴライズ。
私利私欲暴走し、頭にアンテナ突き刺さる。
感情という名の別人が、後ろから指さし笑うよ。
僕という名の虚像を。僕という名の虚像を。
電車に乗るとき横から割り込まれたり
コンビニのレジで前のお客さんが支払いにモタモタしてたり
いつも他人の事でイライラしてた
ぐちったーに書いたりして
人に言えないから書くことで
不満を解消しようとしてたけど
こういう発信ばかりしてるとね
常に周りに不満しか生まれなくて
結局、自分の価値観に合わないというだけで
不平不満になるんだよね
自分で勝手にイライラして
それって客観的に見たらバカみたいだな…
イラっときても
ムカつく!と思っても
そんなネガティブな感情に巻き込まれないように
思考を変えてみる
だって本人は周りをイラつかせてることに
おそらく気がついてないし
気がついてやっていたとしたら
その手に乗るのもしゃくだしね
誰得やねん?!
そう思うと
たいてい気にならなくなるんだよ
最近、精神的に健康的に思えるのは
やっぱりネガティブ発信しなくなったからかも
ストレスたまらない程度に続けていくつもり
たまにご褒美でコンビニおやつ食べたりして
おいしいもので欲求不満を昇華する
よいですよ、これ
オススメです
今日も何かと忙しかった。
幼稚園のPTAの役員会に出席。
会長さんが園児達の事をとてもしっかり考えていらっしゃるのが分かって、頼もしかった。
nisshi。(思わずNisshi!!!と叫んだ時もあったけれど、nisshiの方がしっくりくるね)
書き手が違えば表現方法も様々。
日々の思う事が綴られたり、何気ない日常・恋の行方・仕事・体調の事などが綴られたりする此処の文章を、心の中で応援しながら読む。
ああ、私も日本語が好きだ・・・これは独り言。
また明日も、精一杯生きるとしよう。おやすみなさい。
転職する。東京へ。
私はもっとスキルアップしたい。
やりたいことがある。
もし相手の男性が
仕事でやりたい事があるなら
応援するけど、
特にこだわりなく生きてるなら
私は止まれない。
家族が地元に帰って来いと言う。
結婚の2文字が頭にのしかかる。
孤独への恐怖は拭えない。
それでも
さよなら。
娘は9ヶ月を迎えた
はいはいができるようになって
ストローで上手に水やお茶が飲めるようになって
呼んだら振り向いて
いないいないばぁがなんとなーくわかるようになって
つかまり立ちをしはじめて
離乳食ももうすぐ3回食にしようかなー
できることがどんどん増えて
そのぶんいやいやもあるけど
後追いもするようになってきたし
たくさん泣いてたくさん笑って
大きくならなきゃね
8月で一歳
姉のこどもが8月に出産予定
今年のお盆もそわそわしなきゃだね
たのしみだなぁ
新生児だっこわくわく
最近もはや活字依存のような私にとっては、どんな人が書いたどんな文章も一期一会の大切な宝物です。特に、顔も名前も普段の様子も全く知らない人の言葉というものに、本当の心があらわれる気がします。これはただの持論ですけどね。言葉というのは素敵ですね。そうは思いませんか?私は日本語を扱う日本人に生まれて良かったと思っています。みなさん、もっと、言葉をください。
僕は自分自身が欲しい。
僕を肯定してくれる僕が欲しい。
愛してくれる人はいたが、
僕がその人を愛せる理由は、
僕を愛してくれることだけだった。
精一杯働いてたくさん金を貯めたが、
それで惜しまず手に入れたものは
とてつもなくあっけなかった。
あとは家族という枷に持って行かれた。
こんなに空しいことはない。
僕は僕を探したい。
僕を肯定してくれる僕を見つけたい。
あの交差点を曲がった先か、
あの高層マンションの向こう側か、
どこにいるのか全く見当もつかないが、
それでも僕はいかなきゃならない。
「~分でできる」みたいな話を聞くと(カップラーメン何個分だな)とか考えてしまうんだけど、ふと(そもそもカップラーメンのお湯の時間って製品ごとにばらつきがあるし、全部同じタイミングでお湯を入れれば1個分の時間でできるよな)と思った