どうも、出産以来、できなくなってしまった、夫と。といって、別の人としたいわけでもない。どうしたものか。
最近、本を読んでる時なんかにふと嫌な記憶が思い出されて、内容を反芻してるうちにイライラして読書を中断することがある。
関連する言葉や物語があったわけでもないのに。
解決策を求めて調べてみたら、根本的な原因は自己肯定感の低さだと。
海外のコメディドラマで、親に愛情を貰えなかった子供は自己肯定感が低く他者からの評価でしか己をはかれないため、表現者になることも多いって話をしてたけどまさに自分がコレ。
別に親を恨んでいるわけでもないし、完璧な親がいないことも理解してる。
理由はどうあれ、自己肯定感が低いから「あれは理不尽だ。自分が正しい」と思いながらも、相手の理不尽な言葉のほうが正しいのではないかと不安になってしまう。
そんな自分を裏切るようなことをする自分自身にもまたイライラしてしまう。
しかし今更自分で自尊心を養うってどうすれば…途方に暮れてしまうわ。
優れた体操選手は側転をやすやすと行うので、その演技を見ていると自分もできるような気分になります。でも、実際に側転をやってみたことはありますか? それほど簡単にできませんよ。「転倒しない」と自分に言い聞かせながら、バランスをちょうどいい具合にとり、適度の勢いをつけて回らなければなりません。でも、いったんコツを習得すれば、後は自転車に乗るのと同じこと。興味深いアイデアがひらめくでしょう。ところが、そのアイデアを実行に移そうとすると、あまりにも複雑なのでやる気が失せてしまうかもしれません。だからと言って怖気づいてはなりません。経験者に正しいやり方を尋ねたら、すぐにコツを習得できますよ。
二人きりで出掛けたかったけど
みんなで仲良くしていくことが良いんだろうな。
最寄り駅が同じことなだけで満足しよう。
二人きりになる時間は今も存在しているのだし。
私ってイタい人かなぁ。
分からないけど
とにかく自然に、ナチュラルに、シンプルに。
そう思うようにしてる。
喜怒哀楽という言葉があるように、人間の感情って喜びや楽しさだけじゃ語れない。
だけど、表に出していいのは「喜」と「楽」の部分だけだったりする。
こういうネットとかでは、「怒」や「哀」も出しやすいとは思うけど、近年ではそういうネットの場所でさえ慎重に選ばなくてはならなくなった。
喜怒哀楽が25%ずつ、上手く配分されているわけでもなく、人間の感情なんて一瞬一瞬で違う。
自分の感じた喜怒哀楽を真っ直ぐに出せる場所こそ、人間には必要なんだとは思っているけど、そういう場所ってどこにあるのかな?
本当の意味での喜びや楽しさは、怒りや哀しみの部分を隠しちゃ伝わらないのになぁと、ここ数年思っていることです。
表面に見えている喜びや楽しさには、怒りや哀しみという裏側ではなくて、それはまた違った表面なんだよと言いたい。
何かを手に入れたければ、何かを手放す。対価交換。手放したものの為に、その分まで、手に入れたものを大切にする。絶妙にバランスを保ち、その上に成り立っている事も沢山あるのかもしれない。気づいていないだけで。
私は雑貨メーカーに勤めてる。
開発部にはデザイナーやプランナー
オペレーター。いろんな人が精一杯
良い商品を作ろうとして、
そんな商品を喜んで買ってくれる人がいて。
昔デザインなんて、後はゴミになるだけじゃん。って思ってたけど、
いつかゴミになるとしても
そのキラキラとした一瞬を作れる事が
尊くてただ幸せなんだと思った。
作業してたら消費者の表情とか見えないけど
自分なりに動いて趣味で商品作って
売って、そういう活動の中で気付けた事。
辞めていく先輩と一緒に頑張った日々の事。
全て無駄じゃなかったと思う。
会社の仲良くしてる先輩が
1人辞めていった。
泣きながら、思い出や
仕事の楽しさや悔しさを語っていた。
人の心に馴れ馴れしく入ってくる人だから
私は最初警戒してた。
あと心が弱いところのある人だし。
でも一緒に大変な仕事をして
たくさん助けられて結局沢山の思い出が出来てしまって気付いたら私も泣いていた。
きっとこれから先会う事は無いと思う。
飲みに誘ってみたけどスルーされたし。
周りにもそういう対応らしい。
社内ではその先輩にだけ
私が転職活動を始めるという事を教えてる。
見送る側も辛いんだと気付いた。
私は昔から同じ場所に留まらないから
人と深く関わらないように気をつけてきた。
けど、
転職先で右も左もわからない中、先輩は
無条件で私を人の輪に入れてくれた。
だから私はこの会社に溶け込めてる。
恋活も愚痴大会も、楽しかった。
さよならだけが人生かもしれない。
でもさよならまでの時間や思いが人生なんだろうな、って思う。
私もこんな風に別れるのだろうな。
耐えられるだろうか。
ぼんやりそんな事を思った。
正直、子供や学生時代のやる気や興味って、周りの大人にかかってると思う。
いま、大人になって、同僚や上司と接して痛感する。
例えば、こちらがアイデアを出したとする。
自分としてはいいアイデアで、他の人も同意してくれた。
会社の為を思って言った。
やる気を持続させる上司は
「お、いいね、じゃあちょっと見せて。時間あるときに見てまたこれについて話そう」
ってなる。例えばこれが社交辞令でも一回ほめてくれて、目を通してくれる。
やる気をそぐ上司は
「いや、興味ない。余計なことしないで」
ネガティブなワードでぶった切る。
本心で興味があろうがなかろうがポジティブに返してくれれば
相手もこの人の為、組織の為とかに頑張ろうって気になるよね。
それを求めてるのに下の人間を育てないのはどうしてなんだろう。
勉強できる子にしたいのに、勉強していても「当たり前」って言っちゃうのはどうして。
「あなたの為なんだから」って言ってもそれが実感できないから
すぐに面倒くさくなるんだよ。どうして、ためになるのかやさしくポジティブに
教えてほしいんだよ。
楽しい、やりたい、おもしろいが勉強でも仕事でも大切なんじゃないの?
それを感じさせられない「義務」だから大体が興味を失って
ただこなす作業になり、ただの作業になってしまう。
悪いのは本人のやる気がないからだ。
みんな言うけどその周りの環境も悪いと思うんだよ…。
ねえ、余裕がないのかもしれないけどさ
「これ○○で営業の方がまわってきて資料おいて行ったので見てください」って伝えたら
「え、興味ないからいらない」
…別に個人的に渡したものならいいよそれでも。
会社の資料で、取引先にするかしないかを役員であるあなたに聞いたんですけど…。
まあ、やる気ないなら別にいいや。会社の経営は別に私に関係ないし。
給料分しか働かないのは当然だよね。
なのになんか「仕事楽しい?」って聞いてくるの何なんだろう。
あと、仕事って楽しむものなの?
ならこの会社で働くの辞めたいんだよね。
この上司含め、人間関係疲れるから。
「業務内容は苦じゃないけど、あなた含め何人か苦痛です」って言いたい。
仕事辞めたい理由なんか業務内容よりも人間関係でしょ…。