何で嫌われやすいか考えてみた。
みんなで一緒に楽しいことはないと思っている。でも、この世の中にはみんなで楽しまなきゃならないことも多く存在している。ライブとかのように、観たい人は来て!とかだったら、みんなでいても楽しいということにはなるけれど、こういうのは例外的だし…
行きたくないけれど、行かなきゃならない。そういうのばっかり。だけど、私なりにみんなが楽しい部分にも視点をなるべく合わせるようにしている。楽しいことは視点なんか合わせなくても本当に楽しいのにね。
視点を合わせる努力しているのに、視点を合わそうとしない人、自分ばかりが楽しんでいる人、あからさまに楽しくなさそうな人。
こういう固まりの中にいるのに結局バラバラなのに気がついたら、やっぱりイライラしてしまう。そういうイライラな部分が私も隠しているつもりだけど、チラッと外に出る。そういうチラッと見えた部分を「みんな」が目撃する。「みんな」の人数が多ければ多いほど、私がイライラしているという認識を多くの人にもたれてしまってそれが「みんな」の共通認識になってしまう、それは要するに嫌われる原因だと思う。
あからさまに楽しくない!ってのを出している人。これだって本当なら嫌われたっていいはずだけど、そういう人はイライラの出し時を理解しているから嫌われない。本能的にそれを出していいときを調節して出しているんだと思う。私と違うのはそういうところだと思う。私のイライラは「出てしまう」けれど、あっちは「出している」のだから。
楽しいことにも疲れは付き物。ただ楽しい楽しいと言っているにも疲れる瞬間はあると思う。そういう人と疲れる瞬間が合わないのもイライラが出てしまう原因ではある。
こうやって考えて見ると波長が合う人って私には少ないんだなと思う。どうせ集まりに行っても行かなくても何か言われるなら行かないほうがいいんだし、それでも無理してることもあるけれど、行かないのが自然な人になっていこうと思っています。そして、昔より自分の考える自然な自分が出てきているかな