2018.09.10Mon
非表示 06:20

人生は時にポーカーゲームのようです。手持ちの札で どうプレーするのが 最善なのかを知るためには、他のプレイヤーたちの意図を読むことが役に立ちます。しかし、感情を露骨に表す人たちもいますが、何を考えているのか表情からは まったく読めない人たちもいます。察知力が いつも以上に研ぎ澄まされています。ただし、問題の核心を見通せているように思うからというだけで、すぐさま結論に飛びついてはなりません。重要な情報が間もなくもたらされようとしています。


非表示 06:04

昨日は久しぶりに空いてるけど美味しいカフェに行ってきた。本当に久しぶりだったみたいでケーキも新しいのもあった。
このカフェは空いてるけど、カフェが入っている建物そのものが潰れなければたぶん潰れないとは思う。カフェは空いていてもその建物全体では需要はありそうだと見ている。
とはいえ、日曜日の午後に私ともう1人しかいないのは心配になる。でも、この空いている雰囲気が隠れ家のような逃げ場のような感じがして好きだから流行ってしまったら行かなくなってしまう。
こっちが休みたいときにゆっくりさせてくれて、本当にありがたい。で、こちらの休息が終わったらこちらの都合で帰らせてくれる。カフェだから当たり前なんだけど、そういう場所ってカフェに限らず案外限られているよう気がする。
そこで使える無料のWi-Fiもいれちゃったりして、また行く気満々です。どうか、いつまでも今のスタイルでいてください。贅沢言うとカフェオレはもう少しコーヒーが多いほうが好みです。でも、直接は言わないし、それはそれでありだから。あと2店くらいはこういうタイプの店を見つけたいけど、それこそネットにはないから自分で歩いて探すしかない。


非表示 01:32

まぁ要するに勘違いなわけで
そりゃそうだよな、と思ってるけど
いくらか期待しちゃったんだよね

でも、思わせぶりだったのはあるし
おかげで私も思わせぶりなことしたけど
お互いに思わせぶりしてるのも楽しいじゃん
だからまぁいっかな

もう2人きりでは出掛けるつもりなさそうだ
そんな気がする
行きたいけどな
ごはん行くくらいで我慢かな

2018.09.09Sun
非表示 21:29

怠けたり手を抜いたりしている気はないんだけど、振り返ってみると何もしてなかったり、うかつな行動をしていたりする。ここのところ、やろうと思ったことが何もできていない。全部暑さと気圧のせいにしたい。

買い物でもなんでも、出かけると何かやったような気になるけど、実際はそうでもないっていうこともあるし、週末ほとんど家にいたことをあまりネガティブに思わなくてもいいかな、とも考える。

最近、Amazon のプライムビデオでアニメを見始めた。映画じゃないアニメを見るのなんて何年ぶりだろう? 毎日 1 話ずつ見て、2 ヶ月くらいかかる。鋼の錬金術師。2 つあって、古い方はアニメオリジナルのストーリーがあって、新しい方は原作に忠実らしいので、2 つとも見ようと思っている。

その他にしたのは、Amazon でモバイルバッテリーや防災用品を調べてたくらい。どれがいいのかいまいち分からず、まだ何も買ってない。いざという時のために、という買い物って、なかなか踏ん切りがつかない。

生産性があった訳でも、思い切り楽しんだ訳でもない、あまり良くない週末の過ごし方をしてしまった。少し疲れているのかな。暑さで。


非表示 19:41

最近知り合った友達としか思ってないだろうから、きっとびっくりするだろうな
困らせてしまうだろうな
けど言わなきゃ後悔するだろうから、こんな気持ちは久しぶりだから、その時だけはどうか自分勝手でいさせてね


黄金糖

非表示 19:37

ストレス発散というものか、辛いものばかり食べてしまうようになった。

それから食後に低血糖の症状(酒を飲んだあとのような、手足の力が抜けたり、いやに心地良い気分になったりする)が出るのを少し楽しいとすら思うのだ。

このままでは良くないと思い、子供が喜ぶようなコロコロとしてビー玉みたいに発色のいい飴などをしばしば口に入れるようにしたが、このように単純な少し物足りないようでしかしいつまでも口にいれていたい甘味をいつか昔に味わったことがある気がした。

「黄金糖」━━━。

ご存知だろうか。幼少期、田舎にある祖母の家にはこれがよく置かれていた。これこそ、私の記憶のなかにあった懐かしい甘味であった。

そのくらいの歳の子供というのは、まるで絵に描いたような金貨やら宝石やらのおもちゃなんかを喜んで集めたりするもので、名前の通り、鉱石のような形をして黄金色に輝くその飴に、小さかった私はいつまでも見とれていた覚えがある。

かといって自宅では母親も父親もそんな古臭い飴なぞではなく、スナック菓子やおまけ玩具のついた菓子などばかり与えられていたので、たまに祖母の家でだけ見かけるその「黄金糖」は、私のなかでまさしく黄金の鉱石のように貴重な存在になっていた。

私が高校生の頃、祖母は亡くなった。

亡くなる数年前から祖母は施設に預けられており、伯父夫婦は菓子などを買ったりすることもない人たちだったため、あの家で黄金糖を見ることはもうなくなっていた。

いや、黄金糖の存在すら忘れていた。

低血糖の症状を和らげようとして久々に思い出したあの味を求めて、珍しく近所のスーパーの飴売り場へ足を運んだ。そうして数年ぶりに口に入ったそれはやはり、少し物足りない気がしたが、その瞬間に思い出してしまった亡くなった祖母の優しさが溢れて、いつまでも口のなかに残っていればいいのにとさえ思った。

祖母が生きていた頃はそれほどには思わなかったが、今になって黄金糖の甘さがこんなにも愛しく感じる。

最近祖母のことを思い出してはそちらへいきたいと思ってしまうことがよくあるのだが、まだ生きているからこそ気付いたのが黄金糖の甘さだったのなら、もう少し、できるだけたくさんこの甘さを味わうのも悪くないのかもしれない。

この感情がいつまで続くのか、いや、もしかしたら、明日には消えてしまうほど至極心細いものかもしれないが、それでもこの瞬間は忘れたくないので、ここに記すとする。


非表示 14:49

ここ数年色々あったけど、いま幸せです。

生きること、諦めないでよかった!

これからも頑張ろうって、素直に思える。

自分のために、周りの人たちのためにも、頑張ろう。


非表示 11:23

某所にも書いたことだけど‥

傷ついたほうが憶えていて傷つけたほうは忘れて
傷ついたほうは傷ついた時点でも既に苦しいのに
忘れたいのに、忘れられなくて苦しみ続けるのに
傷つけたほうは苦しみもなんもない。

もはや拷問!
何で傷ついたほうが拷問を受けないといけない?


非表示 07:16

いつも買ってたり見かけたりするお菓子のパッケージがハロウィン仕様になっている。あのカボチャのお化けとかけっこう可愛いいなと思っている。
でも、私がハロウィーンを楽しめるのはここまで。仮装したり、パーティーしたりそういうのはごめんなんです。
4年くらい前かな?家族絡みの経由で「ハロウィンパーティー」しましょ!みたいのがあった。お菓子配ったりそういうのをやりながらワイワイと…みたいなやつです。家族のために…と一瞬思ったけれど、自分がそういうのをやりたくないから適当に理由をつけて断ってしまった。家族のために頑張れない自分は最低なのかもしれないし、そういう目線で見てくる人もいると思うけど断って良かったと思っている。私がいなくてもそういうパーティーにいける年齢になって行きたかったらどんどん行けばいい。
ハロウィンもここ数年で定着してきているけど、さっきのお菓子のパッケージとかそこまでなら楽しめるけど、それ以上は楽しめる人だけでやっていたらいい。
あの時も「どうやって断ろうか?」「家族に行かないことをどう伝えようか?」とパーティーがなければ考えなくていい労力を使って疲れた記憶がある。
行くも行かないも自由なはずなのに、断ると何故か罪悪感が出てきてしまうから不思議だ。
思えば、こういうのをやりたい人にやりたくない人が合わせる。っていう図式が圧倒的に多いような気がする。やりたくない人にやりたい人が合わせるってあんまりない。こういうのはやりたくない派だから、この世の中に疲れたような気になってしまうのかも。
でも、なるべく自分の思うハロウィンを楽しめるように上手く仮装していこう。私の好きな仮装は普段着。さて、今日は何の限定パッケージを見かけるだろうか?

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