私は悪口は言わない!と宣言で出来たらそれは素晴らしいこと。でも嫌なことをされたら嫌だし、悪口は言わない!なんて宣言しちゃったら自分が辛くなるからそれはしないけれど、本当に嫌で向こうから悪意を向けられたり、不本意な扱いを受けたりするときはそのコミュニティとは別の場所で言うとは思う。
自分の中では悪口は最終手段と位置づけているけど、こんなことで?と同じ所属なのに?仲良くしてるように見えるのに?って思うのに、息を吐くようにペラペラ悪口が出てくる人がいる。昨日はそういう場所にいてなんだかとても疲れてしまった。おそらく私もなんらかの形で言われているんだろうなと思えるような感じだった。
それでも、その人には人脈があって知り合いもたくさんいる。私なら絶対信用出来ないけれど、世の中よくわからないもんだよね。とこういう人に出会うといつも思う。
こういうところにツラツラ書くのだって、ある意味悪口ではあるから、自分だって人のことを色々言えないんだけど、この人のようにはなりたくないなぁと思ってしまった。おっとりしてても悪口、容姿についてまでも悪口、自分の気に入るものしか認めないんだろうな。あの場にずっといたら自分もそういう人に染まってしまいそうで辛かった。帰ってきたらじんましんが出た。これはアレルギー反応だよね。まだその人を受け入れてないということなら、私は大丈夫だ!来週も会うが心に鎧をつけて穏やかに戦う。疲れたー
宗教や精神修養が人気なのは、生きているこの世界を理解するのに役立つからです。他にどうやって、永遠にこの世にいるわけではなく、この世を去った後にどこに向かうのかはまったく分からないという事実と折り合いをつけられるというのでしょう? ときどき不安に駆られるのも無理のないことです。しかし、どれほどの重要人物であろうと、あるいはどれほどの権力者であろうと、運命は皆同じです。信仰はある意味すばらしいものであり、したがってそれは他の人々の信仰にも寛容であるべきです。今日は自分を信じていてください。そうすれば不和を解消する手助けができるでしょう。
大丈夫大丈夫。
復帰一日目は慎重に、落ち着いて、丁寧を心がけて。
大丈夫。余計な事は考えず仕事に集中して。
なるべく気配を薄くして、それでも気がついてくださった人には穏やかに、お休みのお礼を伝える。
大丈夫。静かに、誠実に、丁寧に。
といってもちょっと緊張する。
だけど大丈夫。一日目が無事に終わってホッとしてる私をイメージして。すっと馴染んでる私をイメージして。
大丈夫。
父親の顔を伺いながら生活するのがしんどい。
でもどうしたらいいかわからないからここから抜け出せない。
きっと周りの人たちは私のことを「言い訳ばかりで親のせいにするクズ」って思うんだろうなってこともわかってる。実際自分もそうなんじゃないかなと思っている。
でも心のどこかで父親がクズなことと私がクズなことは別だし今私が辛いのはあいつのせいと開き直ってしまいたい自分もいる。辛い。
ああ明日も早いのに私は一体何をしているんだ。
でも最近理由もなく憂鬱になるから何かがおかしいのかもしれない。
もっと頑張らなきゃいけないのに怠け癖が抜けないのはだめだな…
頑張らなきゃいけないことがたくさんある。優先順位をつけるのが下手くそでとても苦手だから誰かに教えて欲しいくらい。
でも外に出たら1人で頑張らなきゃいけないことばかりだからとりあえす頑張ろう。やってやってやりとげよう
継続は力なり
という言葉があるから何かできそうなことから
はじめてみようかな
と考えたりするけれど
てんやわんや
やることに追われてる現状は
小さなことからしか始められないな
でも、何か始める時は
大げさに考えるより
小さなことの積み重ねが
一番なのかも
本物君への気持ちは正直あまりときめかない。
ただ一番に思うのは、
大切には思う。幸せでいてほしいと思う。
関わるとエネルギーはチャージされるのはある。
安心感とか無理しなくていいと思えたし、
あなたが幸せでいてくれたら、
私も幸せでいられるから、
あなたはいつも幸せでいてね!
やっぱりちょっと疲れている。
何に対してもこなすことが目的みたいになっている。
ワクワクやトキメキがなくなっていた。
前は感じていた事や人にも。
寒くなると引きこもり体質になるのがでてきている。
ただ温かくしてぬくぬくすることが一番のワクワクかもしれない。
それなら無理して行動的にならずにぬくぬくを満喫しよう。
ここらで冬モードの自分に変身!
スローダウンして頑張ろ!
こちらが大変だと思っていることに対して「何が大変かわからない」って言う人が苦手だ。
自分がしないこと、やったことがないのに「何が大変なのかわからない」って言う人は最上級で苦手。
「何が大変かわからない」そんなのは当たり前だと思う。人は生まれたときから違うのだし、そこからすべてみんな違う人生。何が大変で大変じゃないか、感じ方が違うのはしょうがないことなのだ。
だからこそ、「何が大変かわからない」と切り捨てる人に究極の冷たさと思慮のなさを感じて拒否反応がでる。
自分の基準がすべてで、それ以外はなし。そう言ってるのと一緒。寄り添う気持ちが欠けている。
そんな人いる?と思うけど、案外いる。そういう人は自分が大変だと思うことは大変だと大きく主張するのに、人の大変さには全く寄り添わない。
こういう人の大変、大変って言ってることこそ、なにが大変なんだろう?人の気持ちには鈍感で自分の基準だけなんだから、「何が大変なのかわからない」
人と関わると、思いがけないところからこういう部分が見えちゃって嫌になる。嫌いになるために人に接しているわけじゃないんだけどね。今日もちょっとした雑用をやりにいくけど、何が大変なのかわからないって思われてるんだろうな。大変なのよーやりたくないことは全て。
ジョニ・ミッチェルの歌詞は いまだにその痛烈な響きを失っていません。「よくあることじゃない。失ってはじめて自分が持っていたことに気づくって」。持っているものを、まだ持っているあいだに心から大切に扱うことはめったにありません。望んでいるものは、その願望が消え失せてはじめて手に入るように思えることはよくあります。それが運命の気まぐれというものです。宇宙があなたに差し出しているものを見てみるだけの価値があります。それは必ずしもあなたの夢に対する答えには見えないかもしれませんが、実際のところまさに 望んでいたとおりの答えかもしれませんよ。