昨日は髪染めをやろうと思ったのに朝から頭痛で無理だったなぁ。だからといって今日やろうとは思えないのが不思議。髪染めと書いたのは単純なカラーリングじゃなくて、白を黒に染め上げるようなヤツなので、しなきゃならない!ってのも億劫になってるポイント。私が白くしたわけじゃなく勝手に白くなっていくだけなのに、なんで染めてんだろう?とかふと疑問に思う。同世代はまだカラーリングを楽しんでいる人も多いのに、私は10年くらい前からずっと白いキャンパスを塗りつぶす作業をやっている。
白から黒へと書いたけど、最近は白い部分が濃い目の茶色になるように染めている。10年前は白い部分だけオレンジに染まるような感じにしてたけど、白い部分が増えたし、年齢も重ねたし、もう厳しいかなと。
美容院で染めればいいんだけど、それも疲れる。カットはしょうがなく行ってるけど、毛染めまで行ってたら疲労も凄いし、お金もね…
白いってやっぱり面倒だな。純白と潔白とか白が使われた漢字もあるけれど、自分の生活では使わないかな。
黒い◯◯って使うとダークな感じがして、悪い意味にとれることも多いけど、黒のほうが落ち着く。黒は全部隠してくれるし、いい色だよねー
ニッシは白の割合が多くて、文字を打てば打つほど黒が増えていく。黒に黒い文字は打てないし、白に白い文字は打てない。だから当たり前だけど、どっちも大事なんだね。
黒から白になっていくのってやっぱり髪だけだな。白い気持ちが真っ黒になってしまうのはよくあることなのに。逆はあんまりない。白くいたくても黒くいないと生きていけない世の中だよね。一回ついたらとれないシミのような黒だね。生きるって大変。たまに強い漂白剤を使って真っ白にしときましょう。うちのカーテンも漂白したい。でも、漂白剤の匂いってキツいよね。やっぱり一回汚れたら白くするのって大変だな。髪の話しからこんなことに。毛染めはまた今度に。
アルベルト・アインシュタインは「神は宇宙とサイコロ遊びをしない(神はサイコロを振らない、で有名)」と言いました。とても大物理学者に反論できるだけの勇気はありませんが、サイコロ遊びをしないからといって宇宙がかくれんぼをしたがらないとはかぎりません。物事がどうしても手の届かない、見えないところにあるように思えることはよくあります。そうして あきらめかけたとき、まるで煙の中からポンと現れるかのように目の前に出現することがあります。ずっと試練と格闘しっぱなしであることを考えれば、人生は不公平だと 思い始めているのだとしても何ら不思議はありません。でも本当に、人生は驚きに満ちています。しかも、どうやら次は嬉しい驚きになりそうです。
ホットのラテとシナモンメルツ。
寒い夜に唯一温めてくれる存在。
もうこんなことを考えるのはやめよう、また自分だけが惨めになるだけだ。周りばかり進むのが速くて、私だけ何年も何年も同じ景色に取り残されているなんて、あの子は私の事をいつか助けてくれるんじゃないかって期待するなんて、もう全部やめよう。
周りは速すぎるだけで多分、私のペースはいい感じで。
あの子は助けてくれるわけないんだから別に重荷に思わなくっていいわけで。いつでも縁を切れるわけで。そんな単純な関係なわけで。別に返事しなくてもいいわけで。会わなくったって良いし、笑いかけなくったって良い。
ようやく区切りをつけられそう
血圧が高い日が続いている
これが、慢性的なものなのか一過性なのか分からない
何かをすればすぐに良くなるってわけでもないし、そもそもの原因がこれ!っていうのがない気がする
日々の積み重ねであることは分かっているけれど、怠惰ですごしてきた今の私に、これからあと何十年間も健康維持のために努力することが果たして可能なのだろうか
幸せって
なんかもっと違うものだと思ってた
普通に過ごしていることも
好きなご飯を食べることも
好きな人と一緒に過ごすのも
それだけで幸せなんだって
私は満たされてるんだって思ってた
でも、昔から好きなゲームのずっと行きたかったコンサートに行ってオーケストラを聴いて私は
あ これがしあわせなんだ
と気づいた
もちろん、ご飯食べることも
好きな人と過ごすのもしあわせだけど。
でも、私にとって好きな音楽に触れることは
何にも変えがたい心を満たしてくれる
大切なものなんだなって気づいたから
これからは大事に抱えて生きていかなきゃ
また軽い風邪をひいたぽい。
今年はしんどいなぁ。。
疲れてると、尚更風邪にかかりやすい。。
これくらいでダウンしたくないと、踏ん張るけど
持病もあるから、体力が基本あまりないんだよなぁ。
しょうがないね、付き合うしか。
ネットを絶ちたいと思っている
前からそう考えることはあったけど
最近は特に真剣に
ネットをしている時間と
ただぼーっとしているだけの時間とだったら
後者の方が意味がある
気がする
それでもこうして
何かを吐き出してしまいたいとき
紙では人に見つかりやすい
やっぱりネットに頼ってしまう
自分の字も好きではないし
もう自分が何をしたいのかわからない
結婚したがらない人は両親が上手く行ってないって話あるけど、私もそれ。
父が暴君で母がひたすら苦労してた記憶しかない。
いまだに前時代的な考え方が根強く残る田舎の農村だから、両親の時代は特に結婚しないって選択はあり得なかった。離婚もあり得ない。
両親ももっと自由な時代と場所に生まれてたら不幸な結婚をしなくて済んだのかも。
父は結婚自体せず一人で自由を謳歌しただろうし、母は自分と家庭を大切にしてくれる人をゆっくり探せただろうと。
今でも結婚しなきゃって空気はあるけど、周囲の圧に焦って結婚したのがうちの両親で、子供としては軽くトラウマが残る家庭環境だった。
だから、良い人がいたらまあ…とは思うけど、別にそれは70歳、80歳になってからでもいいし、一生しなくても良いと思ってる。
…と、親戚の集まりでネチネチチクチク言われながら思ったとさ。
ハロウィンが終わった翌日にはクリスマス商戦が始まり、早いなーなんて思った数日後には鏡餅が並んだ。
焦燥感があまり心地よくないので、なるべく目に入れないようにしていた。
12月からやってくれれば楽しめるのになーと思っているうちに、11月も最終週。
年末の街がウキウキ、ソワソワしている様子は好き。
…なんだけど。なんだか今年は私も夫もお疲れモードで。いまいち楽しむ余裕がない。
それでも、予約するケーキを決めたり、大晦日の料理(こちらの地方では大晦日にごちそうを食べる)を決めたり。実際に予約はまだしてないけれど。
いつもよりはスローで、ローテンションだけど、ちょっとずつ進行中。