あなたを本当に必要としてくれる人がいるよ、とわたしは恐らく何気なく言ったようなんだけど、彼はその言葉のおかげで、いまの足下を見られてるような会社に甘んじる必要なんて全くないんだ、って思えたんだと話してくれた。
夏から秋にかけて、あまりの多忙に、このまま消えたいとこぼしていた彼が、遠距離のわたしを見送ったあと、"ああ、帰ったらこれをしよう"って自然と前を向けるようになったと、話してくれた。
涙が出て止まらなかった。
わたしも頑張らなくちゃな。
あなたを本当に必要としてくれる人がいるよ、とわたしは恐らく何気なく言ったようなんだけど、彼はその言葉のおかげで、いまの足下を見られてるような会社に甘んじる必要なんて全くないんだ、って思えたんだと話してくれた。
夏から秋にかけて、あまりの多忙に、このまま消えたいとこぼしていた彼が、遠距離のわたしを見送ったあと、"ああ、帰ったらこれをしよう"って自然と前を向けるようになったと、話してくれた。
涙が出て止まらなかった。
わたしも頑張らなくちゃな。
ひとことにささいな動きに
動揺してぐらぐらになってしまう
あなたの癖は食べ物を
目で追うことで
素っ気なくなったり
愚痴をこぼしてみたり
じいっと見つめてきたり
忘れたことと
覚えてることがおんなじくらいあるの
なにを考えてる?
なにを思っているの、わたしに
なんか気になるもの・欲しいもの
無印の着る毛布
→毛布を着るという名前だけでもう魅力的
しかも暖かいらしい。欲しい。
茅乃舎の生七味
→七味を鬼のようにかける七味狂なので気になる。
生 とつくとなんでも美味しそうに感じるのはなんでだろ。
そして茅乃舎の安心感。
貝殻に入った可愛い練り香水
→貝殻も可愛いし、練り香水というのもなんだか清楚っぽくて好きだ。
私の中で清楚オブ清楚な組み合わせ。
コッチョリーノの土鍋
→可愛い。一目惚れ。
toolsのバケツ型のカバン
→地味だけどじっくり可愛い。キャメルとグレーで迷う。
昨日寒気がして会社を早退してやっぱり発熱してて
今日は大して熱はなかったけどお腹の調子が悪かったので休んでしまった。
頑張れば行けなくはなかったのでサボりと言われればサボりかな。
近々時間があればやりたいなあと思っていたけど出来なかったこと(映画を観る、譜面の製本)をしたり、普段毎日やりたいのに最近出来ていなかったこと(お弁当作りとピアノ練習)をしたりして、なんだか魂が回復したような感じ。
会社勤め始めてもうすぐ1年だからまあ一日くらいはいいでしょ、と思うことにする。
年末までなんとか頑張ろう〜。
お店で知人に声掛けられたんだけど
私だったら、相手が気付いてなければ
基本的に声掛けないから
まぁ、そういう違いってわけよ。
「I love you」→「月が綺麗ですね」のネタ?は中学生の頃から認知していたけど、なるほど好きな人がいると世界がキラキラして見えるもんだ(推しのいる生活)。
何に向かっているのか
分からなくなってきたなぁ
恋愛はきっと無理なんだろうなと思う
結局のところ
経験値がものを言うのか
全く雰囲気がいわゆる恋愛的なものにならない
夜景とか見たのに
イルミとか見たのに
なんかいまいち違うんだよね
今年が終わるまでに彼氏と2回は会う予定だし
来年のことを決めたいな
来年もよほどのことがなければ
彼とは同じ職場だ
同僚として見ていけるようになるかどうか
どうなんだろうな
ピンチをチャンスに変える方法を知っています。誰に教わらなくとも、予期せぬ事態が起こったときにはその機会を利用して、内省・再評価・見直しを行うということを自然にやれています。この特徴は、最大の強みの1つです。問題は、関わりのある、せっかちな人々にどう対処するかということです。何かを直す必要があるとき、彼らはそれを今すぐやらずにはいられません。慌ててむやみに行動を起こすよりも、もっと多くの情報を得て、新たな展開が起こるまで待ったほうが良い結果が得られることを知っています。考えが正しいと証明されたとき、きっと感嘆するに違いありません。
めんどくさっ、面倒だなー、メンドクサイ。これらの言葉をよく自分の頭の中で使ってしまう。
「どうせやるなら楽しんで♪」ということが、いい大人になっても自分が楽しいと思うことにしか楽しめない。
しかし、メンドクサイ…とか頭の中では呟いているけれど、その後にそのメンドクサイ事をなんとかこなそうとはしている。
私にとって、「メンドクサイ」は「頑張るぞー」とか「エイエイオー!」とかそういう自分を鼓舞させるための言葉と同じなのかもしれない。
「メンドクサイ」は「メンドクサイけど頑張るぞーエイエイオー」みたいなもので、私のように「メンドクサイ」が最初に出てくる人もいれば、「頑張るぞー」と最初に出てくる人もいる。ただそれだけの事だ。
よく、メンドクサイ、面倒、めんどくさっと思ってしまう。ということは、それだけ自分はどうにか頑張っているということではないのか?
あれもこれもメンドクサイし、メンドクサイ人もいるし、その人がメンドーな事を増やす。
自分の中のメンドクサイがたくさんあればあるほど嫌になるけど、素直にメンドクサイ~と思ってから取り組んでもいいのではないのかな。
テレビについて。私はテレビが好きだ。いや正確には好きだった。かつてのテレビは本当に面白かった。私は90年代を主にテレビと過ごしてきた。そしていつもテレビは私と一緒にいた。それぐらいテレビが好きだった。今も好きだが、かつてのテレビの面影はもうない。そのテレビと同じくビデオ文化も好きだった。カセットテープも、あの頃が懐かしい
もっと古く、70年代から80年代のテレビ黄金期は私は知らない。まだ生まれて間もない頃だし小さかったのでその時代の黄金期はわからない。なので私は主に90年代のテレビ番組に特化して思い入れがある。しかしながら、両親や祖母や先祖の影響なのかその時代のテレビ番組も私は大好きだ。見ていなかったのに、「昔の懐かし番組特集」とかをみるとなぜか見ていたかのような既視感があり懐かしさがあるこれは謎の現象である。こういう人は多いのではないだろうか。私だけなのか。まだ答えは解き明かされていないがこれらが解る日はいつか来るのだろうか?その中でもとりわけ好きなのがドリフである。このドリフについては後日日誌に書きたいと思う。今日はここまで。ドリフの他には昭和歌謡が大好きである。
私は90年代をテレビと共に育った。その頃はお笑い番組や歌番組が多かった。コントもあった。バラエティも面白かった。もうとにかくいろいろあった。しかしながら70年代から80年代には負けるかもしれない。90年代というのはバブル崩壊後であり日本全体が暗かった時代でもあった。だからテレビ番組もそのころに比べると派手さは欠けていたかもしれない。私はごっつええ感じやめちゃイケ世代なのだが、もう少し前の昭和生まれの先輩に言わせると昔の方が面白かったとなるのかもしれない。ここまで書いてきて、私は今日一体何を話したかったのかわからなくなってきた。今もよくわからない。ただテレビが好きなのだという話をしたかった。ただそれだけのことである。深夜のテンションでこの時間帯に思うままに書いているので読みづらくて申し訳ない。関係なく思ったことをそのまま打ち込んでいるだけです。聞き流してください
電子書籍のサイトで君と僕。が連載再開することを知った。
いやまあ、うん・・・興奮して寝られないよね。
だって中学生の頃から大好きだったんだもん。
気付いたら主人公たちの年齢をすっかり追い越しちゃったけど、毎年夏が来るたびに新刊出てないかなって検索して、そしたらある時先生がご病気かもしれないって知って、勝手すごく心配してもう要たちに会えないのかなってうっすら思ってたりもしてたので本当に本当に連載再開はちゃめちゃに嬉しいです。
明日も仕事だけど祝杯をあげたい気分。