2024.12.20Fri

感受性が豊か?

非表示 05:35

「感受性が強い」「感受性が豊か」と子どものときに母に言われたことが多々あったのだけれど、具体的にはなんなのかよくわかっていなかった。子どもなんだから当たり前なんだけど。褒められているようなニュアンスで言われているとは当時は思ってた。
でも、あれから30年以上経って思うのは、私が感受性が高くて豊かということにして、私から逃げていたんじゃないかと思う。
母自身のイラつきや不機嫌さを感じとってしまうことも確かに多かった。ただ、それは私が感受性が強いのではなく、母自身の問題であって私の感受性アンテナが強いというわけでは決してなかった。
イラつきたいのに自由にイラつけない。弟たちに比べて何かイラッとするのに、それを感じとってくる私にさらにイラついていたのかもしれない。女の子なんだから子どもだろうと私に共感してくれるのは当たり前。だから多少イラッとしても受け止めてくれるだろう⋯とも思っていたのかもしれない。
実際、私はかなり不器用だし、頭も良くないし、スポーツもダメだし、だからといって大人が喜ぶような明るい子どもでもない⋯
特に母がさらっと出来たことを出来なかったりすると、同じ性別として腹が立ったのかもしれない。弟たちは教えなくても出来るのに⋯なんてよく言われてたな。
そんな総合的な不快感とそれが1番近い娘という存在なことを、無理矢理にでも受け入れるように聞こえてる言葉が「感受性が強い、豊か」だったのかもしれない。イラつきがバレているのは私のせいにすることで保っていたのでしょう。
自分だからこそわからない部分もあるかもしれないけど、私の感受性は別に普通だったし、今、感受性とやらが強かったとしても私のネガティブセンサーが過剰に反応して私には何の役に立ってないのです。感受性って一体、なんでしょうね。

2024.12.19Thu
非表示 16:52

他人の16personalの診断結果の特徴を見て「性格悪い」って表現してる人見て、は?と思った

言い換えできることをせずに、その特徴が時と場合によっては利点になることも考えずに、「性格悪い」ですか、ハァ〜

脳みそ通ってないで会話してるんかもしんないな
うん、やっぱ16個のジャンル別はあれど、その短絡的な考え方は「あなた」にあるね うん


よかれと思って

非表示 09:17

よかれと思ってとつければ許されるもんなのかな?
よかれと思っていれば、相手の話を聞かないで行動しても感謝しないといけない?
よかれと思って、よかれと思って、よかれと思って⋯
私はその言葉で包まれた行動を許したくないんだと改めて思ってしまった。
よかれと思ったの?


非表示 05:57

超熟のマフィンって美味しいですよね。
自分で半分にセパレートするとき、たまに失敗して片方だけで厚くなりますが、それも含めて運試しみたいで好きです。
↑と書こうとしたら超熟のマフィアになってて、なんか意味違っちゃうよなー、と思ったことも追記で。

2024.12.18Wed
非表示 09:11

トイレの尿石とりの洗剤を塗布したので、しばらくトイレいけないなと思うとトイレ行きたくなる不思議⋯
あともう少し待つか


非表示 05:31

昨日はカラオケに行って、先日のライブのセトリを再現するという遊びをやりました。ライブの熱が冷めないうちにやりたかったので、スケジュール的に昨日となりました。
12月ということと、自分の日程的にフリータイムでダラダラということは難しく(それでも4時間パックですが)決められた時間内でセトリ2時間半分くらいに収めるのって大変だなって自分でやってみて実感しました。
カラオケでも大変なのに実際のライブだと演者はやっぱり大変ですよね。比べるのもおこがましいですが⋯
実際、スピード感を持って体験しないとその先の想像に繋がらないことはけっこうあります。だからこそ演者は演者で観客の気持ち側に立たないと、いいライブってのも出来ないんだろうし。
お互いの立場になって考えるって当たり前で大事なんだけど、その立場って原則1人1つじゃないですか。演者をやれば、自分のライブの観客には絶対なれないみたいに。だからこそ、意識していないとお互いの立場になるなんて考え方は難しいんですよね。
昨日のカラオケライブはライブが良かったから自分で勝手に再現したかっただけですが、やってみて良かったです。こんな感じで色々考えたのと、単純に楽しかったです。楽しかったら再現してみるって思わぬ角度からプラスになるのかもしれないですね。

2024.12.17Tue
非表示 15:10

今日は圧力鍋で豚の角煮を作りまーす。
多めに茹でて冷凍してチャーシューみたいにラーメンに入れたら美味しい。


非表示 06:24

昔の友達が夢に出てきた。だからなんだって話なんだけど、優秀な子で知的なユーモアのあった子だから話をしていても楽しかったなと。
でも、もう会っても私は話すことがないだろうけど、その子の知的なユーモアに久しぶりに触れてみたい気もしています。
高校も進学校で大学も良いところに行っていたな。なんかガリ勉じゃないのに本当に頭の良い子だったと思う。
あの頃に戻って、もう少しあの子に近づくようなレベルに勉強しておけばなんて思うけど、あの頃の私は頑張らないからあの子と仲良く出来たっていうのはあると思う。頑張っていたら、きっと追いつかないことに気がついて関係もちょっと違うものになっていたのかなと思うのです。
共通点は無理に頑張らないというところだったのかも?ただ、あの子は天才型で頑張らなくとも色々出来るのが普通だったから、あの雰囲気だったのだろう。私は無理に頑張らなさすぎて低いところにいたけど、低いところにいすぎてピリピリすることにすら鈍感だったのだろうと。
今、自分のレベルが上がったというわけでもないけど、あの頃はあの頃で鈍感で良かった部分もあったけど、それだけじゃシジューの道はツライなと感じるこの頃です。

2024.12.16Mon
非表示 22:12

一年半ぶりに友だちとごはんに行った。
同じ立場のふたりだからすごく気が楽だった。
でもやっぱり昔から感じている『この子のことはすきだけど、こういうところはすきになれない』という部分はあって。でもだからきらいってわけではないので友だちってこういう距離だよなって再確認。

好きだけど嫌い、嫌いだけど好き、っていう相反するものをまとめて抱えてればいいのに、なんでどうしてそれができなかったのかな。

自分から手放した未来に未練はないけれど、これからもずっとそうなのか、不安がずっと居付いている。


非表示 21:15

不安で吐き気がする。
自分が選んだ道なのに、選んだことが間違っていたかもしれないという不安。
この先どうなるのかわからない不安。
生きることの難しさ、ただ自分に対して甘いだけで、何もしてこなかったツケが今襲いかかってきている。
立ち向かうか喰われるか。どちらを選ぶかすら選べない、選び方がわからなくて怖い。

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