自分が大変な思いをしている、輪の中の誰かが渦中にいるならば、自分は関係なくとも楽しみや娯楽を我慢しなきゃならないって考え方が好きではないんですよね。
自分のことは自分でしかどうにかならないし、自分の辛さ苦労が周りの誰かが我慢したところで減るわけじゃないんですよね。
だから私が苦しくても、あなたはあなたの楽しい道に進んでくださいって思います。
正直、自分が大変なときに誰かが楽しそうなら羨ましいとは思いますが、それでその人の楽しみを止められてしまうことの方が私は困惑します。
基本的ににみんなが同じタイミングで苦楽が発生することは稀じゃないですか。だから助けることや手を差し伸べることは必要な場合もあるし、喜ばれることもあると思います。
自分のことなんだから自分で全部どうにかしろ!と突き放しているわけでもなくて、あなたの苦楽はあなたのもの。私の苦楽は私のものって思うのです。ただそれだけなんです。
子どもの頃って大人じゃ考えられない突拍子もないことをするもんだとは思うけど、子どもじゃない大人の現在になんか突拍子もないことしたいなーなんて考えてしまいます。
それが何なのか?とかその先のことを考えてしまって何も出来ないのがつまらなく感じてしまいますが、大人の突拍子のなさを何処かで何かやりたいです。
祖父母の家に行ったとき、その近辺で迷子になったことがあります。あれ、何歳くらいだったんだろう?小学生になるかならないかくらいの出来事だったと思います。
出かけると言ってるのに親は下のきょうだいたちの世話や何やらやっていて、子どもの私からしたら、もう自分でちょっと先にいっちゃおうと思って家を出たような気がします。
父母、祖父母の4人大人がいたのに、誰も私を見ていないんだなって今となれば思いますが、大人が多いほど「誰かが見てくれているはず」と考えて、結局誰も見ていないということは起こりえることなんだなと改めて思います。
子どもの私には祖父母の家は慣れ親しんだものでしたが、その近辺を1人で歩くとなるとまったく別次元に感じられて不安を憶えていました。大人になってもその状況が夢に何回か出てきたこともあるので、一生忘れないんでしょう。
最後は泣いている私を近所のお姉さんが見つけてくれて、宥めているところに親に発見されるという結果でした。顔も名前も覚えていないけど、あの頃声かけてくれちお姉さんには何十年ぶりかの感謝の気持ちをここから解き放っておきます。ありがとうございます。
なんで1人で勝手に出ていったのかは、誰も自分のペースに合わせてくれないという苛立ちが子どもながらに感じてたの確かだと思います。それならば1人でやったほうが自分のペースやタイミングで動けるんじゃないか?とあの頃からずっと思っていたのかもしれません。
勝手に誕生させられて、勝手にわがままなことにされて、我慢させられて、時には怒鳴られ⋯みたいな子ども時代だったので、自分なりに自由への冒険の第一歩だったのかなと。それはすぐに終わりましたが、私なりにあの頃からずっと燻っていてなんとかしたかったのかもしれません。あの頃の私も頑張ってたんですね。
昨日思い出したこと
小6くらいのとき、日曜日の夕方、電話がきた
教材を売っていて近くにいるから話を聞いてほしいと
しばらくして男2人がやってきた
電話受けたんだから、あんたが対応しなさいと母は食事の支度
見るからに教材を売る人の着るスーツの色じゃないと小6ながらに思った
当時の流行りもあるかもだけど、薄紫と薄茶みたいな
わたしはテレビアニメを見たかったから早く帰ってほしいなと思いながら、質問に適当に答えていた
ひとつだけ覚えている質問、『聖』この字はなんと読む?
目一杯難しいので答えてやろうと、「ひじり」と返答
男2人は多分そこで諦めたようで、帰っていった
これは当時読んでいた漫画に出てた読み方
何が役に立つかわからない、知識は身を助く、の原体験
長年生きてると、これ、前の方がチョコたくさん入ってたなーってわかってしまう⋯
ネット出てくる似たような情報もありますが、そこに頻繁に出てこないアレやコレも私は気が付いてるぞーなんて思ってます。
数年前の子どもの幼稚園の卒園アルバム、一万円だったんですよ。正直、高いって思いました。その先の小学校とか中学校の卒業アルバムって4〜6000円だったんですよ、それでそこそこ内容も充実してたのでありがたいなとは思うのですが。
最初に値段のこと書きましたが、幼稚園側が主体で一万円なら高いと思っても高いな⋯って思うだけだったんですが、コレ、一部の保護者がアルバムがないのは寂しいという理由で、保護者主体で作られたものだったんですよね。
今思えば、幼稚園主体じゃないから写真も少ないし、例えば小学校のアルバムだったら1年から6年まで行事の写真がキチンと掲載されていて、自分の子が載っているいないに関わらず6年間の流れが分かって良かったんです。むしろアルバムってそういうものじゃない?って思ってたので、幼稚園のアルバムは個人写真と保護者が有志であつめて貼り付けただろうというレイアウトだけのページしかなくて⋯一万円???って思ったのは正直、ケチだろうけど思ってしまったのです。
3年間、通わせて様々な行事もあったのに、それは端折られてしまったことに一万円?ってやっぱり思います。
それでも作ってくれたから感謝しなきゃいけない?これは個人的な感情だけど、幼稚園側がやっていないことに手をつけてそれなりの金額をとるならやっぱりもうちょっとキチンとしたものが欲しかったというのが本音です。
寂しいから。可哀想だから。という理由でやりたい保護者がやってくれるの感謝はしなきゃいけないのでしょうが、そのアルバムメンバーがまあ、悪口噂話大好きな人が何人もいたんで、アルバム作りという名目で悪口噂話大会だったんだろうなって想像出来ちゃうから、それに一万円?みたいな感情も出てきちゃうんでしようね。
そんな感じで微妙なアルバムだったんですが、買わなくても良かったと思うんです。でも、保護者主体のものを"買わない“って選択出来る人ってなかなかいないですよね。幼稚園主体なら断れることも同じ立場の保護者なら断りにくいってありますからね。そこまで見据えて幼稚園側は保護者にアルバムを作ることを許可して欲しかったですね。とりあえず、アルバムを作ってくれたことは感謝はしますが、感想は自由です。
バレンタインが近づくと思い出す。
子供が手作り菓子を作り始めた時、うちは毎回私が試食して人に食べさせても大丈夫と判断したものだけ持って行かせてた。
でももしかして我が家だけが検閲してたの?と思うくらいうちの子はヤバい手作りプレゼントもらって帰ってた。
もちろんデコレーションも凝った見事なものもあったけど、半分くらいヤバかった。
どれくらいヤバかったかと言うと、ちょっと食べるの躊躇うくらい見た目も安心できない出来だった。
こんな漫画みたいな仕上がりになるの?って感じで。
ちょっと味見したけど…見た目通りで申し訳ないと思いつつ処分したものもあって心が痛んだな。
作った本人だけじゃなくて大人の目があれば防げたのになと思うけど、そんな事より子供の自主性とか重視してたんだろうか? ご家庭の方針かもしれないけど、それは家庭内でお願いしたかった。
父方の祖母とは、本当はもっと仲良くなれたかもなって今更思います。
父や叔母やいとこや母との関係が複雑に絡み合って、純粋な孫として私が存在出来なかったと思うのです。
もう亡くなってずいぶん経つけどそんなことを思いました。
先日、各地で二十歳の集いがありましたが、私も何十年も前には参加しました。
それで振袖着たんですけど、最初は着ないって言っていたけど、色々あって慌ただしく着ることになりました。
着ないと言っていたのは私の意思で私の感情であったには間違いないんですが、私がそういった晴れ着に興味がないのをどこかで母は喜んでいたように今となっては感じるのです。
そういう着物を着たがる気持ちを出すとはしゃいじゃって恥ずかしい、みたいな目線を絶対当時なら投げてきただろうなと。
そんな母の元で育つと、こういうのが着たいとか憧れるとか普通の女子が持つような感覚を出すと、引かれるんだ⋯というのが自然と身についてしまって、そういう自分に自然となっていったような気がするのです。
慌ただしく着ることになったのは、祖母が着せてあげないと可哀想と言ってきたからなんですけど、確かに私、可哀想だったのかもしれないです。本当にあの頃は自分の意思だったし、自分の考えだったけど、そういう考えになってしまった自分が可哀想だったのかもと。今思えば、そうやって無理矢理でも着せてもらえなかったら一生着ることもないし良かったかもしれません。
大学の卒業式の袴も今となっては着れないから着とけば良かったかなと思うけど、袴を着ると言ったら何かしら変な空気感を母から受け取ることにはなっただろうなと。お金もかかるしそういうもののためにお金かけない私だったから、母とうまくやれてる部分はあったのかもしれない。
自分の結婚式のときも衣装の話で、お色直しを3回した人の話をしたら機嫌悪くなったのも、私が3回お色直しをやりたがってると勝手に変換してはしゃいでいるように見えたからなのかもしれない。
人生の節目で、特に一般の私のような庶民は衣装を着るという機会がほとんどないのですよね。そういう滅多にない機会、せっかくだから張り切っていけるような感覚、そして家庭で自由にそれを放出出来るような雰囲気があれば私の性格ってもっと違ったのかな?なんて思うのです。
テレビで振袖の子や芸能人を見たりすると、素直に可愛いなって思えるようになって、はしゃいでてキツイなんて思わなかったんです。でも、当時二十歳の私ならはしゃいでてキツイって思ってた部分があったのかもしれないと思うと二十歳2回くらいやらないと大人になれないんだなと感じてしまいました。今は大人というよりはなんなのか不明ですが⋯とりあえず節目の何かってちょっとははしゃいで可愛くするくらいの感覚、素敵だなって思えるのです。
微妙な頭痛のときって頭痛薬を飲むタイミングがわからず困る。
とりあえず成分が緩やかそうなものを飲んだ途端に頭痛が進行したように感じる不思議。