2019.12.01Sun
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すべての人を好きになることはできません。......というか、それは可能ですが、そんな芸当ができるのは聖人だけです! 普通の人は、一部の人と仲よくなり、それ以外の人は避けるよう事前にプログラムされているような感があります。人づきあいでものをいうのは態度と信頼。往々にして第一印象が雌雄を決するようです。だから気の合う者同士が集まってグループを作り、違う行動パターンを持つ人には心を閉ざすのです。そんな人に心当たりがあるのではありませんか? 最初に会った時、誤解してしまった人が別のグループの中にいるのでは? その人に連絡をとる価値がありそうです。木星がやぎ座に入ったら、その機が熟すでしょう。


非表示 11:37

老害って言葉が嫌いなんです。ゆとりって言葉も好きではないけど。まあ、もっと仲良くしろよなって思うのですけれども、あまり好きな言葉ではないなと思います。私は三十代だけどそれも老害に入るのかな?まあ、入るのかもしれんな。年寄りは年寄りで「最近の若者が~」とかでかい声で言ったりするし、お互い様なところはあるのかもしれない。年寄りって言い方もまあ、良いのか悪いのかわからないけど。若者もこれから先に未来にはその老害になるのであるし、その老害であるじいさんばあさんも、かつては君らと同じように若者だったのだ。そう思うと、なんか切ないなあと思う。若いって、いいです。本当に、羨ましいんですよ。みんな若者になりたいのですよ。若いっていいんです。輝いてますから、やっぱり。キラキラしててね、若者というだけで素晴らしいなと思う。老人も昔は若者だった。老人はすでに若者という時期をを経験してきた先輩なので今の若者の先をゆく先人です。このお互いの関係性が好きなのです。だって、みんな同じだから。未来と過去が、殴り合っているみたいで。過去と未来が、自分そのもののようで。年齢は違うけど、同じ線上の存在なのだと思います。何故か、そう、思っています。いつかなる未来、かつてあった過去、そのそれぞれの姿がそこにあるのだと。どのように見ているのか、どのように見られているのかが、まさに老人と若者は、現在と過去の写し鏡であるのだと思います。今の自分と、昔の自分そのものなのです。それで、お互いがお互いの嫌な部分を指摘し、喧嘩する。いいことです。まあ、いいことなんです。だってそれは、老人にとっては過去の反省でもあるから。若者にとっては、これから先の未来への指針になるのだから。悲しいような、当然のことのような、当たり前のような。切ないような儚いような、言い表せない気持ちになります。わかりにくくて、すみません。難しいなあ。好きなんですけどね、思ってることぶつけ合うのは。それぞれが主張し、切磋琢磨する。それが、未来に繋がるのだとも思います。

2019.11.30Sat
非表示 23:14

会いたい人がいるって、いいなあ。
わたしは、またそんな人に会えるのかなあ。
いやいや、また会おうって思ってる。

最近、周りで聞く話にいつも思うこと。


非表示 22:51

いつもと連絡のペースが変わると、途端に不安になるなあ。
ちょっと踏み込み過ぎてしまったのかなあなんて。
今日は連絡きますように。


非表示 22:50

「大人になったね」
数年ぶりに巻いた髪を、大人の女性に褒められて嬉しくなる。こんなことは、いつぶりだったろう。
付き合っていた頃に、おかっぱをからかわれていたせいか。
いい歳して。こうやって変わってゆこうと思う。


非表示 22:30

すごく話しかけてくれたなーってしあわせな日の次は、なぜか全く接点がなくなることが多い。
Twitterでたとえると、すっごくリプとかDMとかで楽しく話ができたのに、次の日はふぁぼすらこない、みたいな。
なんだろう、コントロールされてるのかなあ。
またいっぱいおしゃべりしたいよ・・・


非表示 13:52

いつもの静かで空いてるカフェ。
これが魅力なのに今日混んでいる。店員にほったらかしにされてる。こんなことは珍しい。
空いてるからか最近営業日も限定されることになったようだ。静かなところが好きだったけど。
いつもケーキを食べるんだけど、カレーを頼んで見ることにした。一応、注文したけど水も来ないから…忘れられてるのかもな。座ってゆっくり出来るからいいけど。
ほっとかれてると思ったけどサラダがきた。でも水が来ない…最近は静かなところに縁がないような気がする。
ゆっくりしたいよね。タイミングに恵まれたい

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