言ってやりたいことを言わないのが大人だと思って今まで我慢してきたけど、そうしないほうが幸せでした。言葉だけ切り取ればすごい酷いこと言ったことがあったんですが、本人を傷つけたとかそういう後悔はなかったです。むしろスッキリ。ただ周りの関係のない人には迷惑はかけたかもしれませんね。そういう意味の後悔ならあります。
昔は古着とか興味あったけど、今はないですね。自分が古くなったのと勝手に古着に成長した服が家にあるからそれでいいかなということです。
昔よりはアレじゃないとコレじゃないとというのはなくなりました。高い服を買わないというわけでもなく、安い服ならOKというわけでもなく⋯
オシャレを放棄したというわけでもなく、でもオシャレが脳内の占有面積が少なくなったのは確かですね。
気に入ってる春先も着れるセーター、国民的衣料品店の「湯に黒」で数年前に500円で買ったんですが、まだ現役です。今だに色違いとか欲しいなとか思うし、なんなら同じのでいいから欲しいなって思ってます。定価はもっとしたと思うんですが、あのワゴンの中からの出会いで何年も付き合って相性がいいんでしょうね。
相性のいいものと何年も付き合いたいです。背伸びもしたくないけど、どうでもいいやというわけでもないものにはこれからも出会って長い付き合いがしたい、それだけなのです。
今日は親友と遊んでとっても楽しかった。
とっても楽しかったのに、悲しくなってきた。
私は心が少しおかしいので気分が上がって下がると、「悲しい」という認識になってしまう。「楽しい」から「普通」に戻った、だけなのに。
楽しいが怖くなるという原理、本当に怖い。
早く心の病気が治りますように。
フレッシュネスバーガーのアップルパイ美味しかったー
コーヒーも美味しくて量も多めで。土日祝はちょっと休みたいときにカフェ難民になることが多いので穴場かも〜
お手軽なカフェでも空いていたり、端と端にしか客がいないという状況だとラッキーだと思ってしまう。
人がいない場所を見つけるとラッキーだと思ってしまうし、自由なんだなと実感するのです。
毎月2月だと思ってシフト作ってくれないかな?なんて以前の職場のリーダーにには思ってたかな。
毎月28日までしかないと思えばギリギリにならないのになと。
2月でもシフト完成してたのは25日とかだけど次の月まで1週間ないんでよね。シフトに縛られたくないってスキマバイト出でくるのはこういうところですよね。
シフト提出日は決まってるのに、完成日はギリギリでバカにされてるなと思ってしまうし、特にバイトとかパートとかって働く時間が限られているのに、結局シフト提出のためにまだ先の予定を確認し確定させ、シフト提出した後は他の予定をいれないようにし、突然前月の3日前くらいにシフトが出来上がって働く⋯
割に合わないなーなんて思いますが、シフト提出からひどいと3週間近く予定を入れられない雰囲気が疲れてました。
でもあのリーダー、ずっとああだろうな。他の人がリーダーだったときはシフトの期限には厳しかったけど、完成させるのは早かったし、間違いも殆どなかったし。ギリギリなのに間違いも多くてこれは本人の資質だろうなって思うのです。
辞めた原因は他の部分が占めているけど、このシフトサイクルから逃れられたのは大きいです。いつも2月だと思って生きるのが丁度いいんですね。きっと。
パトカーの音で起きてしまった。
もう少し寝たかったけど寝られるかな?
毎日毎日色々あるけど寝て起きてるってだけで偉いのかも
めんどくさかった。
回覧板を回すのが。
隣りに置くだけでも面倒だというのに、今回からマンションの面倒な係が始まって、一番ハジの部屋まで行かねばならない。
なんでこんな面倒なことしなきゃならないのか。
「面倒なのでとりにきてください」と回覧したいです。
でも、そんなことしたら余計面倒なことになるから出来ない。
あと1年、長すぎます。遠すぎます。めんどくさい
プライドポテトとフライドオニオンを食べてしまった。
カロリーがハイ過ぎるがもう食べてしまったのは仕方ない
「ありがとうは?」
父がちょっとしたお土産を自分で買ってきたときに私が子どもだった頃に言っていた一言である。
確かに「ありがとう」ということは大事で、感謝を伝えて行くことは大事だ。
ただちゃんと喜んでいたし、嬉しいとは思っていた。
だけど、昔からこの「ありがとうは?」には違和感があってずっと記憶に残っている。
子どもながらに自分で勝手にしたことに、感謝を求めていることに対して、当時から言葉に出来ない何かは感じていたのは確かだった。
「ありがとうと言われたい」みたいな言葉を聞くと、自分の心身に変な虫が這うような感覚になるのは、この父の「ありがとうは?」が起源なのかもは思う。
ありがとうと言われるための行動は、それを受ける側に満天の星空のように綺麗だけど、その星が自分に石となって降ってくるような恐怖もあるのではないかと。
父の「ありがとうは?」は流れ星のような流れ弾だった。流れ星は見たいけど、それが自分に危険を及ぼすならやっぱり見たくない、そんな子ども時代だったなと。
「ありがとう⋯⋯は?」