〘会いたくない人に会わない方法は心の中から消すこと〙
そうだよね、いや、そうなのか?
ご近所にどうしても嫌いな人がいて、出来るなら視界にも入れたくないレベルの人がいるんだけど、会ってしまうというか見かけてしまう。だから、嫌いな人に会わない方法ってなんかあるのかなぁ?と思って調べてみたら上記のような答えがけっこう出てくる。
まあ近所だし仕方ないと割り切るしかないけど。こちらも毎日同じ曜日や時間に出かけているわけじゃないのに遭遇率が高くてへこむのよ。
嫌いだけど常に心の中にいるわけじゃなくて、「今日の晩御飯何にしよう?」とか「シャンプーないから買わなきゃ」とか考えて出かけているから、常にヤツが心の中にいるわけじゃないんだよね。
だからかなり油断してると視界に入ってくるから、本当にびっくりしてしまって買い物に行きたくないレベル。
潜在的に心の中にいるから〜と自分にとってはスピリチュアルなことを言われても響かない。
とにかく会いたくないんだよね。
[逃走中]って番組あるよね。ハンター(敵)に見つからないで逃げ切ったら賞金もらえるアレ。大人の壮大な鬼ごっこみたいな。それをやってる感覚で買い物するしかないのか?いつも警戒してるみたいで疲れるよね。
でも、「見つかった‥」とナレーションがすぐ入りそうだ。
二日連続超過勤務で疲れたよ…
だから、すぐこたつで寝ちゃって、起きれなくて
変な時間に部屋に戻って寝て。
良くないサイクル。
ちゃんとご飯作らなきゃだし
やることいっぱい。
疲れたなー
疲れてる。疲れた。
1人の人間が複数の人を管理するのって無理だろ。そのシステムもないのに。ミスを見つけて言うだけの方はいいよな。お前が指導するわけでも教育するわけでもなく、勝手にキレてればいいんだから。だいたいお前がキレるせいでこんな環境になってんだぞ。お前が自分でやりたくない雑用まで押し付けやがって。こっちは日常業務でいっぱいいっぱいなんだよボケカス。お前のミスだって何度も見てる。他人がミスした時ばっかりキレてんじゃねーよ。環境を整えたいのにそれも出来ない。まじで無理。お前がすべての原因だろうが。
明日は朝ごはんにチョコレートケーキ。
そういうのもいいかな。こうあるべきというのは自分には通用しなくなってしまった。
そのほうが疲れない
今日は悲しい事があった。とても落ち込んだ。
なんかもうしんどい。「仕方がないから受け入れろ」だと。
冗談じゃない。どうして「はい。そうですか。」と納得せねばならんのだ。
馬鹿にするな。どうして世間ってこう、理不尽なのか。
確かにどうにもならないことは、ある。それぐらい私もわかっている。
だけど行き場のない怒りや苦しみを分かち合うことはいけないことなのか。
耐えるのが美徳だというのか、冗談じゃない。
面倒臭いから考えるのを放棄しただけなんだろう。
汚くてもみすぼらしくてもいいから、泣けばいいんだ。
叫べばいいんだ。悔しいと言えばいいんだ。
悪いことではない。
高卒2回分くらいの年齢ですが、最近は腰がなんとなく辛いですね。痛いってほどではないけど、グリグリと押すと気持ちいい感じがする。
そんな感じでグリグリと押してるとゴリゴリっとするところがあるので、ネットで調べていたら何故か腰に充ててツボを刺激する器具のページを熱心に見てしまった。結局ゴリゴリについてはよくわからないまま。
様々な器具をネットで見ていたら、青竹踏みのページに飛んでた。青竹踏みといえば佐野ラーメン。あの不揃いに縮れた麺とあっさり醤油味が好き〜と余計なことを思いながらも、ちょっと青竹踏みに興味が沸いてきた。
足の裏ってツボがいっぱいあるらしい。なんか刺激してみたくなってきた。
ここで衝動的にポチッとスマホを刺激しないで、ちょっと考えて見ようかな?青竹踏み。100円ショップでもプラスチックのボツボツがついたタイプが買えるみたいだけど、あの竹そのもので作られたものを踏んでみたい。
高卒1回目のときはマッサージ器具なんて買おうかどうかなんて考えなかったのに。時の流れとともに体も駆使してるんだろうね。よくわからないけどツボっぽいところを押してからおやすみなさいですね。
つらい
今の状況がつらい
自分の無力さがむなしい
明日になったら
何か変わるかな?
そんな淡い期待をしたところで
自分が変わらないのに
変わるわけない
誰かのせいにしたいけど
それもできない自分
救われたいけど
何をどう救われたいのかわからない
気持ちがラクになる魔法ってないかな?
家族って何だろう。離婚したり、再婚したり、簡単に壊れるし、
簡単に作れるのが家族なのかな。そんな家族私は嫌いだ。
偽物ではないか、ただの作り物ではないか、例外なく、私の家族も。
それで悲しい思いをしている人がどこかにいたとしても、
それでも家族なのかなと最近はわからなくなってきた。
知らない所で泣いている人がいるのにそれでも家族なのかなとか。
家族の形を成していても見た目にはわからないアンバランスな家族は山ほどあったり。
私は社会の人間関係よりも家族関係の方が厄介だし複雑だなと常々思う。
確かに言えるのは、誰かを傷つけて手に入れた幸せなど、安物だと言うことだ。
そんな家族なら、私は捨てる。こちらから願い下げである。
追記)いや、考えていたのだが、これは私が元々「家族というもの」に期待値を上げ過ぎたのだ・・・・夢を見過ぎていたのは、もはや私の方だったのかもしれない。
確かに、そうだ。私が馬鹿だったのだ。私はちょっと潔癖すぎるのかもしれない。
「私が家族という幻想に囚われていただけに過ぎないのだ。」
それが私の悪い所なのだ。そして悪い意味で純粋過ぎる所なのだ。
だけど信じる事の何がいけないというのだろう。
だけどそれは簡単に裏切られていく。
人を信じれば傷つき、信じなければ空っぽの人生になっていく。
人というものは、どこまでも虚しい生き物だ。
「そうだ、その通りなのだ。」
初めから私の家族など、どこにもいなかったのである。私は、・・・・私の家族を作ればいいのか。しかしその家族も偽物かもしれない。
そもそも人生そのものが空想のようなものだから、フィクションなのかノンフィクションなのかわからないような所がある。作り物なのか真実なのかもわからない。
ひとえに私が家族を過信しすぎていただけなのかもしれない。だけどそれぐらい、私は私の家族が大好きだったのである。本当は、昔は、私は家族というものが大好きだったのである。
昔は信じていた。父も、母も、信じていた。それが裏切られたのだ。
それだけのことなのだ、夢から醒めただけのこと。悲しいことだけど、本当のこと。
私は、・・・・大人になれていない。大人になるのは、どういうことなのか。
汚いことなのか、綺麗なことなのか、わからない。それでも大人になる。
私は、・・・・やはり、わからない。世界がわからない。
先週やり切ったせいか、養生の週末。
外は晴れていたのに、ほとんどベッドの中。
うたた寝のつもりが深く眠ってしまう。
こういう時、いつか一緒に過ごしたねこを思いだす。
こういう時、誰かに強くハグしてもらいたいと思う。
こんな時に、あの人の「このままひとりはいやなんだ」を思い出し、今なら激しく同感だと言って手をとり合うのになと思いながら、またいつもの月曜日。
荷物が届いたり、集荷の予定があったりすると、何となくソワソワして何も手につかなくなって、ダラダラ過ごしてしまう。今週末はギターを下取りに出すため、土曜日に箱を受け取り、日曜日に送るという予定で、どちらも夕方に終わった。
土曜日の午前中は歯医者に歯科検診とクリーニングに行ったのだが、年々、雑になってて、とうとう今回は歯磨きをされなくなった。来年は引っ越してこの歯医者は今回か次で行くのをやめようかな。
夜は急にカレーが食べたくなったので、食べに出かけた。自分の中では、食べたいものが思い浮かぶというのが、心の健康のバロメーターなので良かった。明日の昼は何を食べよう。