毎日を丁寧に暮らしたい。
『お茶』は昔は嗜好品であって、薬であって、毎日がばがばと飲むようなものではなかったらしい。
YouTubeでお茶時間を大切にしている人が居ると知った。きっとその時間は自分との対話時間なんだろう。
お茶の時間、珈琲の時間、そのそれぞれを愛おしむようにしてたしなみたい。
朝、カメラを持って歩いて出かけた。ちゃんと確認せずに出かけたら、行こうと思っていたところに着けず、iPhone を家に忘れ、撮りたいと思うような風景もあまりなく、ひたすら歩いただけになってしまった。健康的だ。
先週金曜日が仕事納めだったので、明日からは家で過ごす。やりたい事はたくさんあるが、まあ半分もできないだろうな。一番優先順位が高いのは、のんびりする事だから。
末端にツヤがあって、きらきらしてるときれいだなって思うの。髪とか指先とか、まつ毛とか。
そうしてると気分が良くなって、人にもやさしくなれるのよ。
人生の先輩から、本日のお言葉。
市内にお洒落な言い方をするとパワースポットって言うんですかね
まあ有名な寺社仏閣の観光地がありまして、この辺に住んでる人は初詣は大抵其処に行くわけです
しかしこのご時世、密を避けたいというわけでして
そもそも初詣って本当はそういう物なのかもしれないけど、来年は近所の神社にお参りに行こうかなと思っているわけですが
ところで神社の名前って大きくわけて二種類ありません?
稲荷神社とか、諏訪神社とか、伊勢宮とか、天満宮とか、名前で祭神の解る神社さんと
北海道神宮とか明治神宮とか、もっとローカルに地名+神社が名前で、その土地の土地神さんなんだろうけど神社の名前からはご祭神が解らないのと
うちの近所の神社さんは後者
土地名神社
神社の名前からはご祭神が解らない
晴れた日には境内で子供が鬼ごっことかしてて、ベンチでお婆さんたちが日向ぼっこしながら転ぶんじゃないよーと子供たちを見守っている、そんな地元の人に愛されている神社
悪いものはお祀りしてないんだろうけど、この神社のご祭神は何?
実は引っ越してきてから結構気になってて、たまにググったりしてみてたんだけど、全然解らん
地理院のサイトで昔と現在の地図を並べて比較できるサイトがあって少なくとも1912年の地図には載っている
ネットには狛犬や神社の写真なんかをアップするのがお好きな方もいらして、そんな方のサイトに載ってたりもするんだけど、そういうサイトさんは解ればご祭神を書き添えたりされる方が多いんだけどそこにも載ってない
そもそも地元の人に愛されている小さな神社って感じなので神社マニアの方のホームページにもなかなか載っていない
解らぬ
これは知的好奇心
ただただ知りたい
県の神社庁のホームページにもご祭神の記載はなし
ネットでググっても解らぬ事はある
年に一回くらいの頻度でそういえばあの神社のご祭神は何?とずっと気にし続けていて、10年かけて、図書館の郷土資料とかにないかな? とやっと思い至った
ネットで解らぬ事は本で調べろという概念が抜けていた
いつの間に
図書館の蔵書検索したら、県の神社庁の出した本が数冊存在するみたい
そこに載ってないかなあ?
図書館、月曜から年末休で閉館?
初詣までに調べるなら今日がラストチャンス…?
知的好奇心を満たしたいという理由だけの、不要不急の調べもの…不要不急の…一人でマスクして入口で手指を消毒して粛々と調べるなら大丈夫だよね!
最近閉じ籠りっぱなしでよくないし、交通事故には気を付けて行ってしまえ!
と、いうわけでやって来た図書館。県の神社庁発行の資料を開く
あああ、禰宜さんとか神主さんとか氏子総代さんのお名前しか載ってないー
他に、他の蔵書に何かないか…本棚を物色する
市内の諏訪神社を調べる、という本を発見する
お諏訪さんをお祀りしているかどうかは解るな、と開いてみる
…載ってた!お祀りしているのはお諏訪さんだ!
知らなかったけど諏訪神社って諏訪神って言うんではなく建御名方神(と八坂刀売神)をお祀りしている神社を言うんですね。へー!知的好奇心が満たされるぅ!
近所の神社は両方お祀りしているみたい
長年の疑問が解けてすっきりしました
他に郷土資料とかちょっと見てたら近所のお地蔵さまの由来とかも載ってて知的好奇心がめちゃくちゃ満たされました
ネットで何でも解る気になってたけど、最終的には紙の文献が物を言うんですなあ
新年は近所のお諏訪さんにお参りに行こうと思います
アウトプットについて日々考えている。
日記(ブログ)を再開しようと思うが、ポジティブなことだけ書くか、ネガティブなことも書くか迷っている。
ポジティブ日記というのは効果的だと思うし、あまりネガティブなことを書いてネットに公開するのはどうなんだろうという思いがある。
ただ、日々を生きていてどうしてもネガティブなことを書きたい日がある。この前もそうだった。
まぁでも私は他人の愚痴を読むのも結構好きだったりする。他人の仕事の愚痴とか読むと安心する。
でもポジティブとネガティブを混ぜるのはどうなんだろう?ネガティブばかりになったりしないだろうか?
ネガティブなことを書いたとして、日記の効果は得られるのだろうか?
実家に帰るたびなんか顔の肌荒れひどくない?って聞かれてて、実家帰るまでは別に荒れてなかったのに確かにいつも肌荒れるなあと思ってたんだけど、この間実家の犬とめっちゃ遊んでて原因が見えてきてしまった…帰るたびに皮膚の症状が悪化するから対処しないとまずいかもしれない…実家出るまで20年犬と一緒に暮らしてたのに今になってそりゃないぜ…
世の中はどんどん二極化していくらしいけれど、それって喜ばしいことなのかな?
自分のことだけを考えれば二極化してもいいけれど、世の中のことを考えればトランプ対バイデンのように、何かの対立がヒートアップしていきそうな気がする。
それって好ましくない変化だよね。
二極化が進むと平和から遠ざかってしまうような気がしているのは、私だけなのだろうか…。
生きていると、時々無性に悲しくなる。
生きていると、時々無性に虚しくなる。この虚無感の正体は、一体何なのだろう。
愛する誰かを失ったからかもしれない。
だけど、生きなければならない。時々無性に虚しくなる。
片割れがいなくなったように、ぽっかり穴が空いた。
この喪失感は何をやっても埋まることはないし、替えは効かない。その人でないとだめみたいだ。感動することも減った。前より、感動しなくなった。その人がいないと、面白くない。
楽しくないのだ。毎日毎日、暗いトンネルのようだ。
「愛を学ぶために孤独があるなら意味のないことなど起こりはしない。」
これは、平原綾香氏のジュピターの歌詞があるが、本当にそれだと思った。
孤独になって初めて、愛を知るのだ。
そうでなければ、わからなかったからだ。
自分の気持ちがもやもやしてしまうことはずっと続けていたくないし、なんの為に続けているのかわからなくなってしまう。自分の為に続けているはずなのに、自分の為になってなかったり。
自分を大切に扱いたい。
初めてnisshi2に書き込んでみた。とても面白い。なにが面白いかって、人々のひっそりとした飾らない本音のつぶやきが面白い。私はnoteでも書いているけれど、まずnoteでは見当たらない書き方だ。私はnoteに書かれている文章が読めない。読めたとしても途中で止めてしまうことが多い。
私も本音ばかり書くほうなので、noteよりもこちらのほうが質に合っているような気がする。