猫と暮らしている。
まさか 猫と暮らすとは思ってもいなかった。
5年くらい経つのかな。
ときどき 泣きそうになる。
この子たちがいなかったら、私はダメになっていただろうな。と。
相性がよかったのか、うちの猫の気質か、愛情を示せば返してもらえた。
そして、それ以上に愛と執着を私に向けてもらえた。
それが私の支えになっている。
猫がこんなに愛情表現する生き物だと知れたこと。
わかりにくい愛情表現もあれば、ダダ漏れの愛情表現もあって、ほんとにありがとう。
大好きだよ。
猫と暮らしている。
まさか 猫と暮らすとは思ってもいなかった。
5年くらい経つのかな。
ときどき 泣きそうになる。
この子たちがいなかったら、私はダメになっていただろうな。と。
相性がよかったのか、うちの猫の気質か、愛情を示せば返してもらえた。
そして、それ以上に愛と執着を私に向けてもらえた。
それが私の支えになっている。
猫がこんなに愛情表現する生き物だと知れたこと。
わかりにくい愛情表現もあれば、ダダ漏れの愛情表現もあって、ほんとにありがとう。
大好きだよ。
毎日 同じ時間に起きて 身支度をし、会社に向かう。
毎日同じ電車、同じ道。
同じ時間だから、よく見る顔。知らない人だけど、知っている顔。話すことはもちろんないけれど。
そのことが、今日 とても不思議だなーと思った。
お給料のために日々を繰り返す。
そうか、ちがう休日のために 平日を繰り返しているのか。
休日と平日を繰り返すために、平日を繰り返す。
当たり前だけれど、変なの。
自分の味方だと思ってた人が、自分の敵に心酔してたら嫌ですね。
特に味方のレベルが高いほど悲しいしキツイもんがありますよ。
私が敵だと思ってるだけで、それと同じ気持ちを周りに求めてはダメっていうのもアタマではわかりますが、心がついていかないんですよね。
1番の味方だと思っていて、今思えば相手に気持ちを委ねすぎたのかもしれません。友達とか家族とか色々な役割をその人に求めていましたね。他の人にはそれが出来なかったし、それが出来たから一緒にいようと決めました。相手も私に対して同じだと思ってました。一緒にいようと思った基準が少しズレてたんですね。楽しければいい、一緒にいて楽しみたい。それだけだったみたいです。要するに病めるときも健やかなるときもなんて言うこともありますけど、病めるときはノーサンキューということですね。でも、あの時も私は病めるときといえば病めるときだったと思うので、何が相手にとって健やかに見えたのかは謎です。考えつくのは若かったからかな?若さが全部補正してくれたんでしょうか。そう考えると若いって罪ですね。
一緒にいると補正が取れてきたんでしょうね。何でも話してくれるのが嬉しいと感じてたのに、それがウザくてしょうがないってなってきたんじゃないでしょうか。だから、私とはまるで違う私の敵が魅力的に見えたのかもしれません。私が何でも話してしまったばかりに敵を補正してしまったのかもしれません。
それは私のミス…というか、ミスなんですけどミスとか考えないでいたかったしいられると思ってたので悲しいです。私が悪いかもしれないけどそのままでいられると思ってたので。そこは未だに折り合いはつかないですね。
誰かの心は自分の思う通りに操作出来ません。私が嫌いでも誰かが好きなものはたくさんありすぎます。あの時のことを納得出来ない部分もまだまだ多いけど、心を1番委ねていいのは自分自身だけだということですね。自分以外の人とは天気の話と食べ物の話が出来たら合格なんです。こうやって時々内面をぶちまけますが、それは知ってる誰かじゃないほうがいいですね。ここで何か受け取ってくれた方にはいつもありがとうございますと思ってます。
眠れぬ夜にする事は。
布団の中で悶々とモゾモゾ、次第にグルグルのたうち。
突然ガバッと起き上がり、トイレで少量の小用を足し。
買ったのを忘れてたカカオ72だか86だか110だかのチョコ菓子の箱をバリっと破って一個取り出し。
開けにくい個包装のプラ袋をビリっと破き。
おもむろに口に放り入れ。
日に2個ケーキを喰らった日はもう昨日と成り果て。
今日は誕生日で、ひとりで大きな公園の薔薇を見に行き、人が少なくて、綺麗な花と香りを堪能した。
帰りはずーっと歩いて以前から行きたかったカフェを見つけ、紅茶と林檎のタルトを食べた。
夜は娘が買って来てくれたピスタチオのケーキ。
1日に2つケーキを食べる日は年に一度あるかないか。
幸せな日だった。
13の時からの友達がメールをくれて、還暦リーチと書いてあった 笑
一生は短く、人生は長い。
子供はすぐに育つし、己は瞬く間に還暦リーチ、親は亡くなったり老いたり。
そして、生きている間に愛し合うのはとてもムズい。
そんでもやってくのだ。
そうするしか無いのなら。
テキトーに良い加減に。
せめて己は愛してやるのだ。
みんなの共通の認識で、人の話しを聞かない自分の考えを押しつける謎のこだわりの多い人が職場にいる。
みんながその人がクセのある人だってわかってるから、やりやすい部分もある。でも、いつの間にかその人とうまく関わって仕事をこなした人が仕事が出来る人みたいになってるからどうしたもんかと思う。
共通の認識があるとはいえ、その人はクセを放出する相手やパワーを気分によって変えてる。私のはクセを強めに出される相手側なので、よくわかる。
何かやろうとすると、謎のこだわりと独自の考えで阻止される。そのためにうまく出来なかったり終わらなかったりした仕事をやっていないと見なされるのが嫌なんだよね。理由をつげても、その人がいない隙にやればいいとか、上の人に頼まれたって言ってやってみてとか言われて解決になっていない。
上の人も何度も手を焼いて話し合いを繰り返してきたってのも知っているけど、結局こちらがうまくやらないといけないパターンに戻る。でも、あれだけ集中的にやられたら交わしながら仕事するって無理だな。
そういう人ともうまくやるのが仕事なら、私は一生仕事出来ない人間だろうな。でも、それでもいいか。ほどよく頑張ることしか出来ません。一緒にうまくやるより離れてうまくやるほうが私には向いてる。
ひと家族みたいな少数の職場。
社内外、常に上司が隣にいる。
そこでどうやって、外で会う人と自分個人の繋がりにしていけるのか、さっぱりわからず。
仕事なんだから、それでいいじゃないかともう何年も経つ。
休みも同じ行動の時があり、行く先々で上司の話を聞き続けることが多々ある。
親しみがあるから、近づき過ぎたくなくて、少し疲れてしまった。
生活のレイヤーを変えたい、と思うこのごろ。
友達が困ってたから少し参考になればという軽いつもりで自分の体験を話したことがあったけれど、私の体験は友達の場合には当てはまらなかったらしく、効果がなかったみたい。まあ、人によるしそういうものだよと普通に思いたかったけれど。
なぜ効果がなかったことを知ったかというと、友達のSNS。
私が伝えた方法を効かなかった〜と投稿していて、その下に別の友達からのアドバイスのコメントが入り、延々とコメントでトーク‥
これを見ていて、なんか言わなきゃ良かったなという思いがまずひとつ。また会ったときに「私には効果なかった〜」と私にだけ言ってくれたら良かったのにと。
2つ目は、私が言ったことが効果なかったということを軸に他の友達とコメントでやりとりを重ねられたのがモヤついたなぁと。
別に悪口を言われてるわけじゃないけれど、これがあったから余計に言わなきゃよかったと思ったし、私より仲良い友達がいます!みたいなのを見せつけられてしまった気がしてしまったのを覚えている。
これらはもう何年も前の出来事ではあるけれど、ネットでのコミュニケーションって難しいなぁと思うとき、必ずこの出来事を思い出す。
会話ならなんともない事が、SNSに発信されるだけでちょっとした凶器や、そのスタートになりかねないと思う。
あからさまに悪いって分かることは、ほとんどの人はしないけれど、こうやって見る人によっては心に靄がかかるみたいな事が難しいんだと思う。これをどうやって教えていけばいいか?って難しいかもなと思う。
何か言いたい!ってのも人間だったらそうなのかもしれない。だから何も発信するなというわけじゃないけど、会話よりも難しい部分があるって、いつも思っていないとダメなんだろうね。
私はnisshiにお世話になっているだけで、どこの誰かわからない謎の人物だけど、自分も気をつけたいと思う。
すごくすごく太っていて びっくりした。
これは、マズイ。
絶対に痩せなくては!!
40歳からのダイエット、、、
どうすればいいの⁉︎
とにかく痩せる!
それしかない!
食事を減らす、間食撲滅、禁酒ですか。
つらい!