姪っ子に蹴られた。
小学一年生にしては大きいので、座り込んでると顔を蹴られる。
当たったのは肩だったけど……顔でもおかしくなかったので、普通に怖い。
傍に姪っ子親がいたので、即座に「何で蹴るの。謝って!」と叱られていたが、
姪っ子は、いつもの通り上っ面の謝罪。
……もう、それ、要らんわ。
それに、叱っているのも単に『ダメと言う事を判らせる』ではなくて、「一応叱るのが親だから」というのが透けて見える。
なんか。この茶番、あほらしくて……どうでもいい。
「もっと、ちゃんと、謝って」
と、姪っ子親。
いや。もうさ。謝ってっていうレベルの話じゃなくて、罰則を与えるレベルの話だと思う。
謝れば許されるって覚えてしまって、謝る意味がない。『二度としないって事』という理解がないから、謝らなくていいとすら思う。
1週間、玄関掃除ね。とか、茶碗を洗ってね。とか……。もう一年生なんだから、それくらいやっていい。
けど、親が言う事と言えば『謝って』……。
この親は子供がまだ三歳だとでも思ってるんだろうか。
そして、謝ったからと、姪っ子親は姪っ子を連れてクレープを食べに行った。
……「蹴ったから、クレープなし」の方が効くと思うケド。
まぁ。親が食べたいものに子供を連れて行きたいだけなので、それは無いんだろうな。
でも、『人を蹴っても、楽しい事は無くならない』って事は覚えちゃうよねと思う。
さらに夕飯時。
「こぼした」
の一言で、姪っ子がこぼした汁を拭きだす親。
手にはまだ、汁物が入った椀を持っている姪っ子。
「手も濡れた」
と、箸と茶碗を持ったまま、親に拭かせる姪っ子。
それを拭く親。
思わず「お茶碗、置いたら?また、こぼすよ」と言ったら、「うるさい。くそジジィ」と姪っ子。
「くそジジィはダメ」と姪っ子親。
いや。そこじゃなくてさ。茶碗を持ったままの子供の手を拭くのも、おかしいでしょ。
なんだっけ、こーいうのどこかで見た気がする。
マザコン息子とその親……みたいな。
小学一年生扱いされてない子供も可哀想だなと思う。
親はいつまで子供を三歳児扱いするんだろうか?
最近なかなか1人の時間がないので疲れがたまる。
正確には家で1人でゴロゴロする時間がないと言えようか。
誰にも見られてなくて、ちゃんとしない時間って必要。
月曜こそはだらけたい
一緒に仕事もできて、休日に遊ぶこともできる。
このままひとりは、いやねと言い合って、失恋話に笑う。
また会おうねと、次はどこへ出かけようか、仕事をしながらまた思う。
この関係、大事にしようと思う。
駆け引きせず、やさしい気持ちでいようと思う。
笑うことはいいことだと思ってたけど
それでいいのか不安になってきた。
ふと我に返る。
私の道が見つからない。
元友達。今思えば合わないのに仲良いと思っていて、無理していたのに無理していることに気が付かなかったのが1番危ない状況だったかも。
アレ?でも、まあ悪いことしてるわけじゃないよね?いい事言ってるしやってるよね?でもアレ?って思ってたのに、正面から向き合うことをしていなかった。
ふと、なんでわざわざ予定立ててるんだろう?招くために部屋の掃除してるんだろう?と会うためには当然のことが面倒になって違和感に気がついた感じ。
危ないって書いたのは、自分は本来はそっち側の人間じゃないのに友達だから!という呪文で自らもそっち側の人間に合わせてしまい、でもそれは自分らしくはないから上手くいかないと負のループをぐるぐると辿る手前だったのでは?と思ったから。
世間一般では見本のような考えに見える人でも、その人が自分に合わなければそれが自分にとっての答えなんですよね。
どんなことでも自分が無理だと思ったら無理なんです。見本だから模範だからって思っても、それに疲れたり違和感を覚えてしまったらそれが自分の中では正解ですよね
久しぶりー
げんきだった?
あたしは元気じゃないよ。
大事と思ってた家族がさ
突然
大事じゃなくなるとき。
怒りしかわかなくなる瞬間。
なんだこれ?
いままでが我慢だったのか?
わけわかんなくなる瞬間。
怒りで震えるって、そんなことあるのかな?
例えとして、かな?
ってなんとなく思ってたけど
ゆうべ。
初めて体感したよ。
あーああー
実家の犬が亡くなった、と母から今朝連絡があった。
夏に「もうひと月もたないかもしれない」と獣医さんから言われたらしいけど、それから3ヶ月半生きた。
脳腫瘍が大きく膨れてほぼ脳みそと同じくらいの大きさにまでなってしまっていたらしい。まだ7歳だった。
彼はとあるブリーダーさんがたまたま買い付けたけど何故かなかなか飼い主が決まらず、「顔は不細工だけど性格はすごくいい。会ってみない?」と母が知人から紹介されたのがきっかけでうちに来た。
トイプードルにしてはかなり体が大きかったから、小さい犬が欲しい人にはいまいち気に入られなかったんだと思う。足も尻尾も胴も耳も顔も長かった。確かにブサカワという言葉が似合っていた。
表情が豊かで、機嫌がいい時は本当にニコニコするし困った時の目をキョロキョロさせる表情も面白かった。
人が大好きで、お客さんが来た時や他所に遊びに行った時は全力で愛想をふりまいて皆んなに可愛がられていた。
叱ったら機嫌を取りに来るし、わざと少し意地悪をしたら拗ねてしばらく顔を見てくれないこともあった。
彼が実家に来た時私は大学生で、就職する時に家を出てしまったから彼と過ごしていたのは数年だった。
しょっちゅう帰省していたけどその度に玄関まで走って出迎えに来てくれた。
私がどうしてもお迎えしたい猫に出会ってしまい、その猫も一緒に帰省するようになったがなんと猫ともまあまあ仲良くやってくれる器の大きさだった。むしろ猫の方がしつこくちょっかいをかけるくらい。
今年の春くらいから様子がおかしくなっていった。
活発な子なのに寝ることが増えて無気力状態が続いて、最初に診てもらった病院からは「鬱」と診断された。コロナウイルスの影響で家族の行動が変わったせいでしょう。サプリを飲ませてください、と。でもなかなか改善せず寝る時間はさらに増えた。
セカンドオピニオンで脳の疾患が初めて疑われ、詳しく検査してやっと脳腫瘍が分かった。おそらく初めから無気力状態は腫瘍のせいだった。
もしかして私が家を出たこと自体寂しがらせてストレスで、そのせいで腫瘍もできたんじゃないか?など考えても意味のないことばかり考えてしまい、帰省する度に弱っていく犬を見るのは結構辛かった。
脳腫瘍で闘病した犬の飼い主のブログを読み漁って、どうかなるべく苦しまないように、せめて最期は穏やかであってほしいとばかり思っていた。
つい先週の週末に私が帰省していて、母いわく私が実家を後にして間もなく痙攣を起こし、それから手足が麻痺して起き上がれなくなったらしい。彼なりに私がいる間は元気でいなきゃと思っていたに違いない。
最期は寝た姿勢のそのままで、足を動かした形跡などは無くおそらく眠ってそのまま旅立ったと思われるらしい。
悲しくて悲しくてしょうがないけど、もう抱っこもできないしふわふわの頭も撫でられないし彼が私の顔を舐めてくれることもないけれど、穏やかに苦しまず旅立ってくれたことは本当に本当によかった。
健気で素直でお利口な最高のわんちゃん。ありがとう。
ゆっくり休んでね。いつかまた会おうね。
久しぶりに怒ったら次の日、頭痛い。
怒りのでスイッチが入ると結局、過去の怒りに到達して大噴火みたいになるから疲れるんだと思う。
その怒りについては乗り越えられない。今言われているウィズナントカみたいに付き合っていくしかないのか。
それも疲れる
お世話になっていた取引先が倒産しそうで、定期的にいただいていた仕事が打ち切りになった。
こちらは正直あまり収入的なダメージはないのだけど、社長さんはじめとても良い方ばかりなので心配している。
これからどんどん不況になっていくのかな。最近、ネガティブなニュースが多い。
色々な意味で、早く春が来てほしいな。
私のイメージでは母親っていうのは大きな羽毛布団みたいな存在で、いつでも私を包み込んでくれて大きくて暖かくてフカフカの羽毛布団のイメージなんだけど、
父親というのは核の部分で自分自身そのものでありアイデンティティそのものの重要な部分。自立するのも自己認識確立するのも全て父の部分だと思う。
それはとても壊れやすい。
だから大きな布団に優しく包まれている。そんなイメージ。
母に否定されるということは、「お前はもうこの布団で寝るな。寒いが外で寝ろ」と言われているようなもので、父に拒絶されるということは、「自分自身を殺すこと」と同じである。
私はそのようなイメージを持つ。それは想像を絶するぐらい、酷く、冷たい。子供というものは、簡単にそれを察知する。いとも簡単にそれを理解する。理解してしまう。
私はサインは山ほどあるのだと思う。
世界は実にシンプルに出来ており、愛でしかない。
私もその愛を探している。
愛そのものが、人の正体だと思う。