胸が潰れるような想いに襲われた時
その時は痛く、苦しく、悲しくて
ずっとこれが続くとしか考えられない
表情が消えた自分の顔をふと鏡が映す
この苦しさにはとても耐えられない
その時にはそうとしか感じない
そして毎日は
来ては去り、来ては去る
気が付けばあの苦しみの時は
ずっと前のことになっている
そして新しい痛み
知らなかった痛みが
やって来る
生きるってのは
練習なんじゃないのか
痛くて仕方ない痛みを
何とかかんとか飲み込んで
腹痛起こしながら消化して
おかしくないのに無理くり笑って
干支が来年で5回りになる
あの胸が潰れた痛みから
何かを多分学べた
昏い衝動に見舞われる時に
踏み留まる言葉が降る夜を
聖夜と呼ぼう
マツケンサンバを踊りたかった。
頭の中ではあのステップは攻略できていた。
現実はなかなか難しいものですね。
川田裕美アナウンサーのスキップのような仕上がりになって。
家族から大爆笑。
スマホで、連写されて。
大笑いしすぎて、みんな涙流したクリスマスイブ。
クリスマスイブですね。チキンを食べてケーキを食べて終わりです。
クリスマスだから!こうしなければ!というのは疲れます。
クリスマスに限らず、こうしなければ!というのはだいたい疲れます。
自分のやりたいようにやるのがいいんですね。なのでイベントへの熱意の入れ方が合う、もしくは合わせてもらえるっていうのは価値観が合うということになるのかもしれません。
人が絶賛するのを聞いて以来、
ずっと気になってたけど手に入れるタイミングがなく
何年も経ってふと購入して
「こんな良いものだったのか!」
と驚いて愛用しているものが2つ。
一つはバンカーリング。
邪魔になりそうと思ってたら、手が楽だし
スタンド不要なので結果荷物も減って大満足。
もう一つはレザー(合皮)手袋。
百均のも温かいし、とケチってたけど
古着屋で安く購入。
風を通さないし、どんな服にも合わせられる上品さが
便利。
原チャでも寒くないので専用を用意する必要が
なくなってコレ一本。
結局コスパ最強だった。
どちらも年単位、レザー手袋は15年前から
気になってた品。
(初海外で旅慣れた友人が絶賛してたので
印象に残ってる)
何でもすぐ飛びつくのはアレだけど
ずっと気になるなら失敗覚悟で購入もありだな…
すごくもったいないことした気がする。
あーあ。化粧水を切らしてしまった。
スマホを機種変して財布が軽くなってるのに。
うーん。痛い出費だな、と思ってて閃いた。
試供品だ。旅行で使おうと捨てずに取っておいたんだ。
まーね。旅行行けなかったし、今後も予定ないし。
ワンランク上のシリーズ。1回使い切りを2回に分けて。
おぉー。いいじゃん、これ。1日しっとりだったぞ。
買わないよ。買わないけど。お金ないから。
あるアニメを中学時代に見た。
昔から神経が過敏なたちで、わたしには眠れない夜が度々あった。ベッドの中で不安と闘ってしまいながら、もう眠りにつくことはきっぱり諦めた。なんの気なしに夜長を何とかして欲しいとすがるような気持ちで、テレビをつけた。
アニメがやっていた。
当時のわたしは深夜にアニメがやっているなんて知らず、ずいぶん驚いたのを覚えている。
なぜか目が離せず、夢中になって30分が終わった。気がつくと、眠気がやってきてホッとした心地で床に戻ることができた。
朝、両親には内緒でこっそりとそのアニメを毎週録画にした。
そして撮り溜めておいて、これまたこっそり、心臓の圧迫感で眠れない夜に見た。
数週間で1ヶ月が終わり、アニメも最終回してしまった。どうやら見始めたのが遅かったらしい。わたしは2期の中間から見たようだ。
最終話は、今でも忘れられない。人とうまく交流することができなかったわたしに、理由もわからずその最終話が全てを理解させてしまったからだ。なぜ人と生きるのかという疑問、癇癪、自分の孤独感、わたしの眠れない夜。それらを全てその最終話のまとめが落ち着かせてしまった。
そんな衝撃から早10年。なんと映画が公開するらしい。
わたしもずいぶん成長し、自分の精神的問題ともうまく付き合えるようになっていた。
久々に、あの最終話だけをしっかりと見てみた。
大人になってもやはり変わらない。あの感動をもう一度味わうとともに、中学時代にはわからなかった暗喩の数々を理解できるようになっていた。
ペンギンは、集団で行動する。なおかつ陸と海の両方を生活の拠点とする。つまりは、その分天敵も多い。
そのため海陸間の移動をする際は、天敵がいないか確認するために一羽だけ先に飛び込むという種保存のための生存戦略をとっている。その1匹が姿を消すと、移動を取りやめるのだという。
犠牲だ。
生命には情などという法則に則った取捨選択は存在しない。ただただ利己的な選択が行われている。
本当は、ただそうなのかもしれない。
それでもヒトという生物は祈りたい。その犠牲を、誰もが忘れないのだと。その愛による犠牲者の存在を思い出せるのだと。
そして犠牲者との罪も罰もみな、互いが分け与える。
アニメの大きなテーマは、おそらく「愛」だ。
分けあった小さなものも、大きなものも、全てが愛だ。
時に受け取られないものもあり、受け取ってもらえるものもある。
どんなに愛が一方通行であろうとも、わたしたちは大切な誰かを愛し、そして愛されるために生まれてきた。
10年たった今、いろいろな経験を重ねた。
それでもやはり、このことが真理であって欲しいと祈るばかりだ。
また、それに寄与できるような仕事をしていくのだと思った。
駅前にできた一画は、ホテルやマンションも備えた
「都会的」な商業施設になった。
やたら凝った内装のお店や健康への意識高めのレストランなど、
まあ私には縁のないおしゃれ施設。
でも、実は知る人ぞ知る?素敵スポットがあって
お気に入り。
そこは市民交流プラザというもの。
フリーwifi、飲食可能、テーブルと椅子も完備。
もちろん無料で利用可能。
一番いいのは静かなところ。
良くある地元の観光PR動画を付けっぱなしにした
TVやBGMもなくて、ほとんどの人が読書や勉強を
一人でしているので美術館並みに静か。
図書館帰りにお茶飲みながら本読みたいので
カフェやフードコートに寄ってたけど
結構うるさかったから、すごくありがたい場所。
こんな土地が高そうな場所に作ってくれるなんて
太っ腹!
地元民はほとんど行かないであろうショップしかない
からこの先心配だけど、ここは残して欲しいな。
市民税きっちり払ってるし。
来週の土曜日は2022年ですってよ。
いろいろどうしましょう…マジで巻き入れていかないと。
こたつでみかん食べてる場合じゃないことは百も承知なんだけど。
まずは期日のあるものから。とりあえず年賀状だな。がんばれ自分。
とあるプレゼントがセンスが良くて粋な計らいだとは素直に思いました。
でも、これを自分がプレゼントを渡す企画側だと思うとやっぱり嫌だなぁと。
断ったけれど、これを行う側に今年度誘われたんですよ。誘われたといっても誰かに適当に名前書かれて勧誘されただけなんですけどね。
で、昨日家族がそれらのプレゼントを持って帰ってきて「ああ、やっぱり断って良かった」と心底思いました。
こういうプラスαの行動ってやりたい人がやらないと意味がないんですよね。私のようなやる気のない不純物がそこに入るだけで、その場の雰囲気が悪くなっちゃうんですよ。
やりたくない派の私からすれば、余計なことばかり増やす不純物だと相手に対して思ってしまうんですね。
だからこそ、善意だったとしてもやりたくない人がいるかもしれないと常に考えないといけないんだと思います。
今年度、このようなプレゼントをしてしまったことにより、来年度はどうするか?という議論をしなければならないでしょう。
毎年毎年、同じメンバーで同じ意思の人ばかり集まるわけではないのです。
何かをプラスするときこそ、未来のことを考えなきゃならないと思いますね。始めてしまうことよりも終わらせることの方が大変なのですから。
だめだ、気持ち落ちてく
寝てしまえばいい
振り回されたくないのに
自業自得でもあるのに
なんでこんなことになってるんだ
イラつくところは山ほどあるし
別れるかどうかを毎回考えるけど
なんでこんなに失くせないと思うのか
フラれるのも嫌われるのも怖い
だから終わるときは私からじゃないと嫌
終わる予感さえ感じさせないでほしい
本当は怖くてたまらない
一人になること