親が1度も作らなかったから、実はこれまでピーマンの肉詰めを食べたことがなかった。
畑で採れたから、と知人から4つ頂いて「ピーマンといえばやっぱり」と真っ先に思い浮かび、人生初の挑戦。
簡単で美味しくて、明日からお弁当のおかずにする。子どもの頃はピーマンが大嫌いで食べられなかったけど、今はかぶりついて食べられる。こんなにピーマンって美味しいんだね。肉詰め最高!
親が1度も作らなかったから、実はこれまでピーマンの肉詰めを食べたことがなかった。
畑で採れたから、と知人から4つ頂いて「ピーマンといえばやっぱり」と真っ先に思い浮かび、人生初の挑戦。
簡単で美味しくて、明日からお弁当のおかずにする。子どもの頃はピーマンが大嫌いで食べられなかったけど、今はかぶりついて食べられる。こんなにピーマンって美味しいんだね。肉詰め最高!
自分が今持っているけど、持っているからといって、それが自分に適したものじゃないんだろうなーということはいつも思っています。
そもそも、生きるということ自体に向いてはいないと本気で思ってますね。
だからといって消えようとかそういうことは思ってないです。ただ、あ〜向いてない!って思うだけ。
それでいいかと思います。自己肯定感とか色々言われますけど、これが私なりの自己肯定感ですね。
今日は昼から仕事だよー
仕事だということを忘れそうだわー
心を開いてる風味で誰かに接するのは疲れる。でも、風味じゃなくても別の疲れが出てくるからしょうがない。
でも、風味付け出来るようになってきたのは良いことなのではないでしょうか?まあ、わかる人にはわかるとは思うけど、わかる人ほどイチイチ指摘してこないからいいんです。
初級クラス。
「あなたは ひとりで しんでいますか?」と聞かれ、おそらく「住んでいますか」と言いたかったのだなと感じ、
「私 『しんでいます』きこえました。○○さん、『しんでいます、しにます』いみ」die と書いたら、教室の皆さんが爆笑していた。
中級初期のクラスでは、読解で「生菓子」という言葉が出てきたため、半生菓子・干菓子も簡単に紹介。
「東」「干菓子」はアクセントが違いますよ~と何度も発音して、学生がチャレンジしてみたら、全然できなくてみんなで笑った。難しいよね、でもそんなに使わない言葉だから大丈夫ですよと伝えた。学生さんは本当に可愛い。
真剣に恋愛したら、今まで全く読む気もしなかった恋愛小説で泣くことになった。
なんとなく親友に面白かったと言われていた作家の、短編集だった。最初は作家の名前だけで購入を決めた。目的の書籍がそのお店にはなく、ちょっとしょんぼりとした気持ちを慰めるつもりで文庫本を手に取った。
帰ってからあらすじを読んで、恋愛小説だったとわかった。
勉強などやることを終えて、お酒も少し飲んでふんわりした気分で早速読んでみた。
昔の私は、もっと白黒はっきりした人だった。正しいことと間違ってることは常にはっきりしてたし、誰のことだっていとも簡単にジャッジした。
恋愛の話になれば毛嫌いしてたし、甘えるなと叩いた。今思い返せば、全部孤独で寂しいのにそれを素直に出せなくて、嫉妬してそれが怒りに変わっていた。
そんな私がどういうことか、本を読んで人の感情を想像して私の気持ちも締め付けられたり踊ったり、あちらこちらへ行きつ戻りつした。
思えば子どもにも優しくなった。
複雑な気持ちを沢山持つ、私達という存在に共感ができるようになった。私自身もたくさんの複雑な気持ちを抱えながら、なんとか生きるためにある気持ちを抑え込んで頑張ってたんだろうなと思う。とっても不器用だとは思うけど、そうする以外できなかった。
そんな不器用さで、誰かと誰かが一緒にいられないことがある。
正解がわかってても、それを選べない時もある。
別の本で、恋愛をするということは自分の弱さと向き合うこと、相手の弱さを見ること、そしてその弱さを明け渡し合おうとすることだと書かれていた。
自分の弱さと向き合うことは、とてつもなく怖くて痛くて辛いことだ。終わりは見えないし、永遠に続くとしか思えない日もある。でもその暗闇をずっと歩いていると、どこかでふいに光を見つける。すると、なんだか急に自分の弱さをもう許すというか、気にならなくなっていく。
私は自分の乱暴な弱さを、恋愛によって抱えられるようにさせてもらったのかもしれない。
会いたいなあ。
ボロボロに泣いて少し疲れた。もう寝よう。
久々にテレビつけて、
24時間テレビまだやるんだと、軽く驚いた。
テーマの「会いたい」に軽く吐き気。
最近、過敏になってる気がする。
友達、つながり、仲間、出会い、などから、
新しいことを始めたり、目標持ったり、副業始めたり
等々。
なんか、しんどいんだよ。
私の中でもコロナはどうでもいい、という気持ちになってて
上記のような人と出会ったり新しいことを始める機運になる気持ちは
分かる。
だけど、それを求めてない自分もいるんだよな。
ポッドキャストでも、友達同士が仲良く喋ってるのを聞くのも
きつくなって、一人語りを聞いてても「他のポッドキャスターさんが」とか
「友達が」とかいうフレーズが出ると無理。
友達ならまだしも、恋バナになると、もう十字架出されたドラキュラ並に
慌ててお棺に逃げ帰りたくなる。
キラキラしすぎ。
数か月前に唯一の友人と縁を切るべく、しばらく連絡できないという体で
フェードアウトさせてるんだけど、すごい素直に受け止めたみたいで、
一切連絡こねーの。
私の様子がおかしいと気づいて心配とかしないんだな、と苦笑。
友人が1か月連絡が取れなかった時は、当時の共通の友人と
何度かメールや電話して心配してたのに。
自分からFOを狙っといて、勝手だけど、なんか、その温度差も結局私が
縁を切ろうと思った原因の一つなんだよな、とあらためて思った。
良い友達じゃなくてすいませんでしたね。
そんなわけで友達もいない40独身女。
むろん、お察しの通り彼氏なんて、何それ?都市伝説?レベル。
1人が好きすぎて何でも一人でできるけど、最近のこの過敏ぶりに
自分でも戸惑っている。
何ならちょっと何かあるとすぐ泣きそうになってる位に弱ってる自分がいる。
仕事は特に問題ないし、収入もお陰様で少ないけど十分安定している。
でも、満足しちゃ駄目、収入アップさせたり、人脈広げて、周りの人から
刺激貰って、友達作ったりしないと、というどっから湧いたのか分からない
謎の圧が私の中にある。
ポッドキャストの聞きすぎ?TV代わりにずっと聞いてるけど、なんか
私が勝手に煽られてる?
暫く人の声聞くのやめようかな。
何か、そこが原因な気がしてきた。
ユーチューバーとしても有名なある経済評論家の
女性が「マックジョブ」という言葉を使っていて
悲しくなった。
彼女のyoutubeが好きなので、意外に
サイゼリアやサンマルクが好きなことも知ってるから
尚更モヤッた。
あなたが今ディスったお仕事に従事されている方が
いるから安くて美味しいご飯が食べれるんじゃないの?
時給いくらで働くお仕事は疲れるので起業するなどして、自分で収入単価を決められる仕事を目指す方がいいという非常に明確で有益なアドバイスだったけど
それをマックジョブといったところが問題だったと思う。
英語ができる彼女であれば言葉自体が侮蔑の言葉であることくらい知ってたろうに。
編集なしに動画をアップされているので無意識だったんだろうけど、本心から出る言葉は本音だよね。
クリエイティブの仕事のほうが単価が高いし儲かるのは承知。
だけど時給で働く人たちがいるから世界は回ってる。
コンビニに店員いなかったら、誰が商品発注してフライ揚げるの?
そもそも商品が届かないはず。
最初の緊急事態宣言の時に、スーパーなどで働く人達のことを世間がエッセンシャルワーカーとして急に持ち上げたと思ったらこんな言葉に今は取って代わられるなんて。
私も昔ドラストやスーパーで働いていて、今は
個人事業主として儲かってはいないけど
自分の自由に仕事ができるようになったし
時給換算すればかなり良くなった。
だけどいわゆるマックジョブと呼ばれる職場で
素晴らしい上司やプロフェッショナルなパートさんと
出会ってきたので、そんな言葉は絶対使いたくない。
人間関係とか福利厚生を考えると私は戻りたくないのが
本音だけど、本当にエッセンシャルな仕事と思ってる。
そういう仕事に対して稼ぎの面で非効率だという意見ももっともだ。
だけどみんなが俗に言うクリエイティブな仕事につきたいわけじゃないよ~?
現場が好きだから、とずっと本社勤務を断る優秀な店長もいたし。
他人の仕事をどうこう思うのは勝手だけど、
クリエイティブな仕事は無くても、世界は何とかなるものなの。
YouTubeなくても長い歴史があったように。
とりあえずマックジョブなんて口にするなら、
サイゼリヤやサンマルクでなく、高級ホテルのラウンジ
あたりでお茶して他の人たちのために経済回してくださいね。
経済系youtubeってお金の勉強の役には立つけど
資本至上な考え方とはやっぱり相容れないわ。
良くも悪くも有名になると、どこから「知人」が出てきて、あーだこーだと、人となりを話す。
毎日サラッとニュースを見てると、こんな場面に当たり前に出くわす。
ふと思う。もし、“あの人”が悪いことで話題になったとき、私に取材くるだろうなーと。表面の繋がりだけはあったので。どれだけ『悪い』ヤツなのかを1分間のニュースじゃ足りないくらいベラベラ話せるだろうな。でも、あの人と知り合いだって思われたくないから「わかりません」で通すのが正しいのかと。
でも、やっぱりチクっと言ってやりたいなって心理も出てきて、良く言うと自分の人間らしさを感じます。そういうもんなのかなーと。もう、話題になるとしたら悪いことをしてという決めつけ前提なので、私はよっぽとあの人が嫌いなんだろうな。まあ、それはしょうがない。
逆に私が良くも悪くも有名になったら、あの人に取材が行くのだろうな。悪い方で有名になったのなら、どれだけ私が悪いヤツだったかをベラベラ語られるだろう。モザイクと音声を変えてもわかるくらい嬉々と‥
で、良いことや流れ的に私を褒めなきゃならない感じに世間がなったら、あの人は私を褒め称えるでしょう。すごく仲良かったみたいにも言うでしょう。あの人はそういう人です。
ないと思うけど、あの人が間違って良いことで有名になったとしても、私は「わかりません」を通すでしょう。この場合の「わかりません」は本当の意味の「わかりません」です。
とにかく、あの人に関することはどんな流れでも「わかりません」が正解だと思う。その中身は色々でもね。
かれこれ1年以上、仕事前の時間に、気にかかる人のフィードが流れる度、あいさつがわりにLikeしてたけど。
しばらく会えていないのと、互いのことに関する発展的な話をしていないことに気づいて、なんとなくフィードを素通りすることにした。
気がかりな人のことよりも、今の自分の、決めた目標に全く進めていないことや、ほんの隙間にやってくるさびしさや、やるせなさの方が、手にかけてやらなくちゃいけないことだったと思う。
毎朝、素通りしていたら、不思議と「気がかり」がなくなってきて、少しばかり気持ちも軽く、穏やかな心持ちになってきた。
「遠くの気がかり」は、今ここにはないから、今の自分の生活圏の数キロの中で、毎日活発に生きるしかないじゃん。
一生懸命動いて、そこで会う人たちと平穏に生活してるんだからさ。
ついこないだの友人の言葉が、沁みている。
好きなポッドキャストがあって、すごくハマって過去の文も全部聞いた。
リスナー同士の交流もSNS上で活発で、イベントも開催されてるらしく
#を付けてツイートすると必ずポッドキャスターさんがリツイートしてくれるから
普段閑古鳥な私のツイートに急に「フレンズ」が押し寄せていいねしてくれる。
うれしい、けど、なんか不安…。
SNS向いてないな、とつくづく思う。
好きに自分の考え投げて色んな人の意見聞いて、距離感保ってたい。
でも、近づきたいのかな…?
好きなポッドキャスターさんだけど、そのフレンズに入るのは、もっというと
直接会って話すのは、なんか違う。
彼らの講演なんかを一聴衆として生で聞いて「よかったー」と一人でほくほくして
帰るくらいがちょうどいい。
友達、つーか、人と話すの、関わるの、疲れる。
完全に一人だけど、それが今は快適。
ポッドキャスト聞いて、思ったことはどんどん発信したいけど、
フレンズではないというか。
ラジオとフレンズは私にとって別物なんだけど、自動的にフレンズ入会させられて
しまう感がモヤっとする。
こんなことご本人の前で呟けないけど。