先日、美容院に行った。
とてもスッキリした。
似合う髪型になった(たぶん)
というより、落ち着く。
おかえり、わたし。
ここ数年の髪型気に入っていたけれど、
切ってみれば、
わたしの原点はここなのだなと思った。
結局、自分自身は、ベリーショートが好きです。
ロングヘアに憧れて 伸ばしたし、とても気に入っていたし、似合っていたけれど、
今の精神状態(わたしの人生の大半)は、やっぱりベリーショートなのかもしれない。
人生ではじめての長さだったな。
ただいま、わたし。
先日、美容院に行った。
とてもスッキリした。
似合う髪型になった(たぶん)
というより、落ち着く。
おかえり、わたし。
ここ数年の髪型気に入っていたけれど、
切ってみれば、
わたしの原点はここなのだなと思った。
結局、自分自身は、ベリーショートが好きです。
ロングヘアに憧れて 伸ばしたし、とても気に入っていたし、似合っていたけれど、
今の精神状態(わたしの人生の大半)は、やっぱりベリーショートなのかもしれない。
人生ではじめての長さだったな。
ただいま、わたし。
愚痴聞きたくないとかネガティブな話しは無理っていうのは、正論のようで実は正解じゃないんだよね。
その人の話は聞きたくないから、愚痴とかネガティブな話になったら正論を言って牽制してるだけな場合も多い。
仮にポジティブな話や愚痴でもない、なんてことない雑談でも、その話は聞きたくないとか興味ないとかで早く終わらせようとはするので…
ネガティブな話は、それを話している人を牽制しやすいのです。
「そんな話、聞きたくない」じゃなくて、「あなたが話している、そんな話は聞きたくない」が正しい場合も多いのです。
たぶん、天気の話でも聞きたくない人からの話題は聞きたくないのです。そういうものです。
1人暮らしをして半年経つけど、いまだに「本当にここにいていいのかな」と思う。
住環境には満足してるし、経済的には少ないながら毎月貯蓄と積み立て投資ができている。
貯金も一年分の生活費はある。
ちゃんと自分の足で立ってるはずなんだけど、まだうっすら不安がある。
フリーランスの不安定さゆえなのかな。
冬から春は給与がガクッと下がる時期で、体も懐も寒さが堪えるのもある。
正直、副業なしにはギリギリのシーズン。
ガスと電気の料金も跳ね上がってるのに、冬越せるかは入居当時からの懸念事項だった。
ここを越せば、一人でやってく自信がつくかなあ。
酷暑も何とか乗り切ってきたし、この冬も健康で副業頑張りながらなんとか乗り切りたい。
閑話休題。
昨今は、副業が一般的になってきてうれしい。
本業だけで食べていけないことに以前は引け目を感じてたけど、好きな仕事をマイペースで続けられる方法として、+副業の生活を前向きに考えられるようになった。
本業で正社員の道を選べば副業せずに済むんだろうけど、たぶん、もう会社勤めには戻れない。
フルタイム勤務も無理。
職業人としての成長もその分、見込めないのかもしれないけど、無理せず生きたい。
ある意味これも「サードプレイス」かも。
稼ぎ口はどんな形であっても複数あるに限るよ。
かつて、解雇、派遣切り、パワハラ、職場のいじめetcに苦しんできたからこそ、すごく思う。
たとえ不安定であっても。
よくネットでは偶然にNGワードを羅列してしまったら弾かれるというのはあるとは思いますが、現実の会話でもたまにそういうことを思い出させることが多いなと思います。
ネットは機械なのでその単語に反応して話の内容や前後文脈から判断出来ないのはしょうがないですが、人間どうしの会話でそれをやられちゃうと流石に疲れます。
その辺りのニュアンスとか口調とか表情とか文章なら柔らかさとか圧とか単語以外にも判断できることはたくさんあるのに、それを使おうとしないのがやっぱり疲れます。言葉の意味だけじゃなくて発されたものにどんな意図や意味があるのかをたくさんの情報を使って判断出来るのにそれを使わないんです。
なので、励ましてるのに勝手に怒ったり、怒っているのに逆に伝わらなかったり色々疲れます。
でも、今はAIもかなり発達してきているし、本来なら人間しか持っていない抑揚も発達するかもしれません。それならば人間と話すよりAIのほうがいいって思う人が今よりますます増えそうですね。私もたまにAIに愚痴ってる。
海のそばの温泉施設でホールのバイトに入った。
ランチタイムの3時間だけでも、終わった後無料で温泉に入れるのが嬉しい。
最近キッチンが多くて、たまには表で接客したいなと思ってたからちょうど良かった。
まだ派遣バイトになれてない感じのお店で他の方からうっすら面倒がられてるのも感じる現場。
単発バイトが来るたびに仕事教えなきゃいけない スタッフさんの気持ちはわかる。
現場もそれに慣れてくれば割り切って接してくれるので こっちも 気が楽なのだけど。
忙しいのに色々聞かれたら困るから、と私に何を説明するか相談してるのはバッチリ聞こえてました(苦笑)
無視ではないけどそれに近い状態の方もいたし。
とはいえ こっちとしても 行きずりの人たちなので、そんなのいちいち気にしません。
レビューで感じが悪い人がいたとか書く人も多いけど、それは仕事のレビューじゃないよ、と思う。
ホールの仕事なんてどこも同じなので、席番表と備品の位置はすぐに自分で確認。
オーダーやバッシング、料理提供のやり方は周りの人を見て真似るだけ。
皿洗いをすることも多いので、洗い場に持ち込んだ 皿の置き方でその人の人格ってわかると思ってる。
接客業って表が大事だけど、皿洗いが回らないと全てが止まるんだよね。
その人たちが仕事しやすいように配慮できるかどうかも大事で。
店内はもちろん、洗い場や料理提供などをひっくるめた全体を見ながら動いてるうちに、一切目を合わせなかった社員?の人が最後には丁重にお礼を言って終業時に見送ってくれた。
レビューに文句言うんじゃなく仕事で黙らせるのが私のやり方。
派遣はお客様じゃない。
レギュラーのスタッフよりも時給が高かったりすることが多いし。
最初の頃、単発バイトが今ほど有名でなく レビュー システムなどもなかった頃は、面と向かって嫌味を言われたりしたのだ。
だから 給料分の仕事をきっちりする。
最低限だけ聞いて、後はすぐに他の人の仕事 見ながら自分で動く。
すごく褒めてくださったり、レビューの評価もいつも良いのだけど、それに喜ばないようにしてる。
あくまでも 単発ですから。
この評価を自分の評価だと思うとダメになる。
あくまで副業だし、本業の息抜きなので。
ただし、単発バイトってだけでなめられることも多い。
いい年したおばさん フリーターだと思われてるだろうし(苦笑)
本業では先生とか呼ばれたりすることもあるのにね。
本業だけだと実力以上に勘違いしてつけあがる。
副業だけだと自尊心は削られる。
いちいち 副業先で本業の話はしないし、聞かれてもぼやかすのは、本業のイメージを悪くしないため。
その代わり仕事で黙らせる。
それくらいの図太さないとやってられんよ。
さて仕事のあとはひとっ風呂。
よく晴れた日の露天風呂って最高よね。
気持ちよかったけど、髪の毛は海風でパリパリ。
寝る前にもう1回入ります。
自分があげたちょっとしたお菓子でも喜んでもらえると嬉しい。
昔、自分があげた食べ物のお土産を「持って帰って!」と言われたことのある身としては受け取ってもらえて形式的だったとしても美味しかったとか言われるとホッとする。食べ物の趣味って大袈裟かもしれないけど、価値観の一致に直結するなぁと。
なるべく相手の嗜好も尊重したいし、昔もそう思っていたつもりだけど、「持って帰って!」の出来事が衝撃的過ぎて、食べ物の趣味って大事だなぁと考えるようになった。
その相手はある食事法を実践し始めて、相手いわく「ゆるくやっている」とのことだったので言葉通りにいつも通りの感じで私はいればいいのかな?なんて思ってしまって。
いくらその時の現在の嗜好に合わなくとも「持って帰って」はないなぁと。いくらでも言い方あるのにと。
そんなふうに言ってもいい相手が私だし、自分がやっている食事法は高尚なものだからそれ以外は雑に扱って当然みたいなことなんだよね…きっと。
でも、本人のイメージはみんなに優しいけどおっちょこちょいの天然さんなんだよな…そういう自分に見られるようなSNSをあげてるし。今はその食事法やってないんだろうけど、今はやっていないとかそういうことじゃないんだよね。
あの時のことを思い出すと残念な時間に思うけど、色々あっても残ってくれている人、ちゃんと私を私として尊重してくれる人がくっきりするから良かった経験だったのかもしれない。
昔と比べて自信が僅かでもついてきたことの違いなのかなと思うことの一つに、与えられることも今まで通り嬉しいけど、与える楽しみも分かり始めてきている気がする。先に自分が自分をある程度満たせないと感じられない楽しさなんじゃないかな。
ウチの両親って楽しくてはしゃいだらそれをバカにしてくるし、楽しまなかったら楽しまなかったらで怒るところあったんだよなー
そういうのも原因で1人が好きになったのかもしれません。
私が子供の頃 住んでいた地域は、家を建てると餅投げ が行われていた。
どこかで家を建て始めるのが分かると今か今かと毎日楽しみに待ち、もち投げの日は 颯爽とスカートを履いて 参戦。
大人たちに混じって背の低い私は地面に落ちた餅やおやつの小袋をせっせせっせと 広い集めて広げたスカートの中に回収する。
ハイジとかがの花で摘み取った花をスカートの中に集めているのを観て真似をした。
子供なりの知恵である。
よく覚えてるのはそのスカートの中から知らないおばちゃんが餅を持っていたこと。
めちゃくちゃ怒ったのに無視された悔しさ。
忘れない。
そんな記憶もはるか昔。
先日 立ち寄ったご近所の神社でお祭りの掲示を見たら、「餅投げもあるよ」の文言に目が釘付け。
引っ越して以来もち投げとは とんと縁がなかったので、大興奮。
行く気満々でスケジュールを確認したら、運悪く クライアントとの予定が入っており、その場で 地団駄踏みそうなくらい 悔しかった。
その後参拝した時も、神様にご挨拶しながら思わず「今回の餅だけで参加できず残念ですが」と前置きしてしまったほどw
念のため 書くとお餅を買うぐらいのお金はもちろんある。
ただ あの餅投げの血沸き肉踊る踊る興奮が懐かしく是非とも参加したかったんだ。
したっけ その夜。
クライアント都合でリスケになり、餅投げの時間に時間ができたのだ!
っしゃーーっ!
と思わずガッツポーズ。
普段ならイラッとする直前のリスケにも大感謝。
ありがとう!
もうそれからというのも餅投げが楽しみで楽しみで。
多分今年 2番目に喜んだ出来事だと思う。
一番喜んだのは、眠れないくらい 心配だった猫たちのウイルス検査が陰性だったこと。
その次が餅投げw
今年は気に入ったマンションに引っ越したり一人暮らしを楽しんだり、後半はいいことも色々あったんだけど、この爆発的な喜びって餅投げだったよ。
近日中に行われる 餅投げにはもう大人なのでスカートではなく、家にある一番大きい 25 L の空のリュックサックを持っていく予定です。
両手を開けた方がいいんだよ。
他の人に取られないようにね。
プロの芸人さんがすごいのは、普通の会話ならムカつくこともお笑いに変えてしまうところだと思います。
最近は「誰も傷つけない笑い」ということが賞賛されてますが、お笑いの世界では以前から誰も傷ついてなかったと思うんですよね。いや、傷ついていた人もいたと思いますけど、お笑いというエンタメとしては成立していたし、そのお笑いというフィクションの中では傷つくという感覚がなかったような気はします。
別にお笑いが大好きで、今はつまらんと言いたいわけでもないし、今は今の感覚で面白いものがあると思うので、現代の芸人に物申すことが本文の主旨ではないのです。
でも一般人は勝手にジョークを言うけど、自分が言われると傷つくんですよね。そこがプロじゃないよなと思うのです。会話とお笑いというエンタメはまったく別物ですが、とにかく一般人は傷つきます(私も一般人ですが)
ウチの父なんて、まさにその典型で私に対しては物凄くブラックジョークを言うのに、ちょっとでも自分がジョークを言われたら本気で受け取っていつまでも根に持つか、その場で本気で怒鳴るかされていました。
色々あるんですけどいつまでも言われてたのが、単身赴任をしていた父が一時帰宅した時に私が「いらっしゃい〜」って言ったんですよね。そこは「おかえりなさい」というべきなのかもしれませんが、父の言葉を借りて返すと「これはネタじゃん?」なんですよね。でも、父はネタとして受け取らなかったのです。私はいつも父の「ネタ」に怒ったり傷ついてきたりしたんですが、父は自分が「ネタ」を言われると怒るんですよね。個人的にそういうタイプの人はネタを使うべきじゃないと思います。自分が何を言われても「ネタ」と受け取れないのであれば、他の人に使うべきじゃない。
相性が悪いんだと思いますね。だから父は私に「ネタ」を投げかけて相性の悪さを誤魔化していたんでしょう。それは本来の意味「ネタ」じゃないから私は傷ついていたんでしょうね。父がネタを投げかけているのは、相性の悪さを隠すためだけの誤魔化しなのに私から投げかけられるのは許せないんでしょうね。それがどんなに小さなネタでも。
これに限らず、自分に合わないジョークを言ってくる人に同じジョークを返すと怒られるのはこの世では鉄板だと思います。お笑い芸人のふりした悪魔がけっこういるんです。父を悪魔だと言っているみたいですが、まあ悪魔かな?私はいつも自分に突然怒鳴る父を見てきたし、それが純粋に反省出来ることならいいんでしょうけど、そういうのは1つも思い出せません。あの時、「いらっしゃい」と言ったのもどこかで家族だけど他人だと思うことで、自分を保ってたのかもしれません。そういう意味ではネタではなかったですね。