自分があげたちょっとしたお菓子でも喜んでもらえると嬉しい。
昔、自分があげた食べ物のお土産を「持って帰って!」と言われたことのある身としては受け取ってもらえて形式的だったとしても美味しかったとか言われるとホッとする。食べ物の趣味って大袈裟かもしれないけど、価値観の一致に直結するなぁと。
なるべく相手の嗜好も尊重したいし、昔もそう思っていたつもりだけど、「持って帰って!」の出来事が衝撃的過ぎて、食べ物の趣味って大事だなぁと考えるようになった。
その相手はある食事法を実践し始めて、相手いわく「ゆるくやっている」とのことだったので言葉通りにいつも通りの感じで私はいればいいのかな?なんて思ってしまって。
いくらその時の現在の嗜好に合わなくとも「持って帰って」はないなぁと。いくらでも言い方あるのにと。
そんなふうに言ってもいい相手が私だし、自分がやっている食事法は高尚なものだからそれ以外は雑に扱って当然みたいなことなんだよね…きっと。
でも、本人のイメージはみんなに優しいけどおっちょこちょいの天然さんなんだよな…そういう自分に見られるようなSNSをあげてるし。今はその食事法やってないんだろうけど、今はやっていないとかそういうことじゃないんだよね。
あの時のことを思い出すと残念な時間に思うけど、色々あっても残ってくれている人、ちゃんと私を私として尊重してくれる人がくっきりするから良かった経験だったのかもしれない。
昔と比べて自信が僅かでもついてきたことの違いなのかなと思うことの一つに、与えられることも今まで通り嬉しいけど、与える楽しみも分かり始めてきている気がする。先に自分が自分をある程度満たせないと感じられない楽しさなんじゃないかな。
ウチの両親って楽しくてはしゃいだらそれをバカにしてくるし、楽しまなかったら楽しまなかったらで怒るところあったんだよなー
そういうのも原因で1人が好きになったのかもしれません。
私が子供の頃 住んでいた地域は、家を建てると餅投げ が行われていた。
どこかで家を建て始めるのが分かると今か今かと毎日楽しみに待ち、もち投げの日は 颯爽とスカートを履いて 参戦。
大人たちに混じって背の低い私は地面に落ちた餅やおやつの小袋をせっせせっせと 広い集めて広げたスカートの中に回収する。
ハイジとかがの花で摘み取った花をスカートの中に集めているのを観て真似をした。
子供なりの知恵である。
よく覚えてるのはそのスカートの中から知らないおばちゃんが餅を持っていたこと。
めちゃくちゃ怒ったのに無視された悔しさ。
忘れない。
そんな記憶もはるか昔。
先日 立ち寄ったご近所の神社でお祭りの掲示を見たら、「餅投げもあるよ」の文言に目が釘付け。
引っ越して以来もち投げとは とんと縁がなかったので、大興奮。
行く気満々でスケジュールを確認したら、運悪く クライアントとの予定が入っており、その場で 地団駄踏みそうなくらい 悔しかった。
その後参拝した時も、神様にご挨拶しながら思わず「今回の餅だけで参加できず残念ですが」と前置きしてしまったほどw
念のため 書くとお餅を買うぐらいのお金はもちろんある。
ただ あの餅投げの血沸き肉踊る踊る興奮が懐かしく是非とも参加したかったんだ。
したっけ その夜。
クライアント都合でリスケになり、餅投げの時間に時間ができたのだ!
っしゃーーっ!
と思わずガッツポーズ。
普段ならイラッとする直前のリスケにも大感謝。
ありがとう!
もうそれからというのも餅投げが楽しみで楽しみで。
多分今年 2番目に喜んだ出来事だと思う。
一番喜んだのは、眠れないくらい 心配だった猫たちのウイルス検査が陰性だったこと。
その次が餅投げw
今年は気に入ったマンションに引っ越したり一人暮らしを楽しんだり、後半はいいことも色々あったんだけど、この爆発的な喜びって餅投げだったよ。
近日中に行われる 餅投げにはもう大人なのでスカートではなく、家にある一番大きい 25 L の空のリュックサックを持っていく予定です。
両手を開けた方がいいんだよ。
他の人に取られないようにね。
プロの芸人さんがすごいのは、普通の会話ならムカつくこともお笑いに変えてしまうところだと思います。
最近は「誰も傷つけない笑い」ということが賞賛されてますが、お笑いの世界では以前から誰も傷ついてなかったと思うんですよね。いや、傷ついていた人もいたと思いますけど、お笑いというエンタメとしては成立していたし、そのお笑いというフィクションの中では傷つくという感覚がなかったような気はします。
別にお笑いが大好きで、今はつまらんと言いたいわけでもないし、今は今の感覚で面白いものがあると思うので、現代の芸人に物申すことが本文の主旨ではないのです。
でも一般人は勝手にジョークを言うけど、自分が言われると傷つくんですよね。そこがプロじゃないよなと思うのです。会話とお笑いというエンタメはまったく別物ですが、とにかく一般人は傷つきます(私も一般人ですが)
ウチの父なんて、まさにその典型で私に対しては物凄くブラックジョークを言うのに、ちょっとでも自分がジョークを言われたら本気で受け取っていつまでも根に持つか、その場で本気で怒鳴るかされていました。
色々あるんですけどいつまでも言われてたのが、単身赴任をしていた父が一時帰宅した時に私が「いらっしゃい〜」って言ったんですよね。そこは「おかえりなさい」というべきなのかもしれませんが、父の言葉を借りて返すと「これはネタじゃん?」なんですよね。でも、父はネタとして受け取らなかったのです。私はいつも父の「ネタ」に怒ったり傷ついてきたりしたんですが、父は自分が「ネタ」を言われると怒るんですよね。個人的にそういうタイプの人はネタを使うべきじゃないと思います。自分が何を言われても「ネタ」と受け取れないのであれば、他の人に使うべきじゃない。
相性が悪いんだと思いますね。だから父は私に「ネタ」を投げかけて相性の悪さを誤魔化していたんでしょう。それは本来の意味「ネタ」じゃないから私は傷ついていたんでしょうね。父がネタを投げかけているのは、相性の悪さを隠すためだけの誤魔化しなのに私から投げかけられるのは許せないんでしょうね。それがどんなに小さなネタでも。
これに限らず、自分に合わないジョークを言ってくる人に同じジョークを返すと怒られるのはこの世では鉄板だと思います。お笑い芸人のふりした悪魔がけっこういるんです。父を悪魔だと言っているみたいですが、まあ悪魔かな?私はいつも自分に突然怒鳴る父を見てきたし、それが純粋に反省出来ることならいいんでしょうけど、そういうのは1つも思い出せません。あの時、「いらっしゃい」と言ったのもどこかで家族だけど他人だと思うことで、自分を保ってたのかもしれません。そういう意味ではネタではなかったですね。
ミュージカル映画
「The Greatest Showman」の曲
「Rewrite the Stars」を覚えようとここ数日繰り返し歌っている。
ほぼ歌えるようになり、次は歌詞を見ずに通して歌えるかに挑戦だ。
思えば小学生の頃から、曲を覚えたくて、紙と鉛筆を手にテレビの前に陣取り、好きな歌手が歌っているのと同時に懸命に書き取った。
録画して一時停止しながらならともかく、同時だと書き切れることはなく、何回も何回もその歌が流れるのを待っては書いた。
昭和の歌謡曲は懐メロになったのだろうか。
直立不動でマイクの前に立ち歌った歌手の名前が今出てこないが(東海林太郎さん?)華麗に舞い踊りながら曲を披露する今の歌い手やグループを見たらその方は何と言われるだろうと時折り考える。
「やりたくないことも後からやるよりは楽だから自分から進んでやる」←これ、私には最も向いていない考えでした。
生きていたらやりたくないことに遭遇してしまって、やらざるを得ない状況にどうせなるんだから、そういうときはイヤイヤやるしかないです。
イヤイヤやってるほうが「本当はやりたくないのに頑張ってて自分えらーい!」って気持ちに持っていきやすいから自分が楽なんですよね。
やりたくないのに後からやるほうが大変。という理由でも、自分で進んでやった以上は周りから立候補したみたいに見えるし、だからちゃんとやらなきゃならないって思うと本当に心理的に負担が凄かったことがあってもう2度と嫌なことには自ら手を出さない!と誓ったのであります。
それでもあの頃はすごい頑張ってやってたつもりなんですが、周りとの熱量が違ってたのがシンドかったです。あんなに消耗してたのにやる気のない人扱いされてシンドかった…まあ、やる気はなかったかもしれませんが、自分ではやるべきことはやっていたつもりなんでシンドかったです。
これからは嫌なことからは全力で逃げます。どうしてもしなきゃならないときは自分からではなくて、しょうがなく引き受けるという雰囲気の中で何かをやり遂げているほうが自分らしくて頑張れます。
人生は、不思議だな。なんかさ、何のために生きてるんだろうと時々ふと思うけれど、私たち、一体どこに向かってるのかなとか。会いたい人に会いたいな。会えたら、いいな。
めちゃくちゃ不安だった猫たちの白血病 検査。
無事に2匹とも陰性。
エイズも陰性だった。
その場で泣いたよ。
半年前に白血病で先住猫をなくしてたから、もうあんな辛い思いはしたくなかったもん。
2匹ともすごい強い子。
きっと なくなった先住猫と先住犬が守ってくれたんだと思う。
本当に本当に良かった。
ずっと不安で検査の予約してから毎晩 寝れなかった。
金銭的な不安もあったし治らない病気の発症をずっと心配しながら生活するのも怖かった。
ひとりぼっちになる 不安も。
長く元気に生きようね。
一緒に生きていこうね
今年のクリスマスプレゼントに最高な知らせを私はもらったよ。
本当に良かった。
現実逃避したい時、近所の星乃珈琲店にモーニングに行く。
コーヒーとスフレパンケーキで450円というコスパ良さと、アンティークな雰囲気が好き。
普段絶対自炊だから、たまの贅沢。
雑誌が読めるのもいい。
年代だけが合致する雑誌「物語(仮名)」を読むのが好き。
高級なアクセサリーやファッションが満載のキラキラ奥さん雑誌。
あり得ない設定、嘘でしょな着回し物語を半笑いで読んでるといい塩梅にトリップする。
でも一番好きなのは、巻末連載の
「更年期」「介護」などの話。
お受験特集について独身の私からは大変だなあ、としか言えないけど、それ以外のキラキラ主婦希望な女性たちがリアルに不安や葛藤にホッとするのだ。
あーどんな服着てどんな生活してても、みんな抱える悩みや不安は共通なんだなって思える。
誌面の9割のキラキラがまばゆいほど このページが響く。
独身 既婚 子の有無 仕事があるかないか お金持ちか否か
みんな立場も状況も違うけど、避けて通れない事が同じで、みんなそれをいろんな形で目隠ししながら生きてる。
違う世界の人たちと思って 読んだあと、わかるわーって共感して、最後のページだけしっかり読んでやっと腰を上げる。
また頑張ろうって思えるのよ。
チープシック と言い張るシンプル服が好きな私にはこの雑誌の きらびやかさ、ガンダムみたいな袖の膨らみやインナーが透けた服、背中が がっつり開いた服とかありえない細さのピンヒールは正直ないなって思うけど、でもこの雑誌はあったら見る。
実際にそういう人たち見ると苦手意識が出るけどちょっとだけ 親近感が湧くようになったんだ。