やっぱりブレなくて笑う。
筍をアク抜きしている画像を乘せながら、言いたいことは自分の子育てについてなところが。
筍も茹でるし、子どもの話も聞いてあげるし、子どもの小さい変化も見逃さないし…筍同様に自分もアク抜きしたら?なんてイジワルなこと思っちゃうけど、昔からだもんなーいい子に見える自分を怠らないところ。そういう強かに見えない強かさって大事よねーって思うけど、真似出来ない。真似出来ないからやっかんでるのか?と言われたら、そうとも言えるしそうじゃないかなーと思う。
この人がよく言っていた、「ありがとうとごめんなさいが言えればそれでいいと思います」というセリフ。凛々しく信念のように言っていているけど、中身を開ければ「ありがとうとごめんなさいを言っとけばそれでいいと思います」なんだよね。少なくとも私に対してはそうだった。だから、どんな素晴らしいことを言われてももう響かない。ポイントを押さえてればOKなのかもしれないけど、そんなに簡単にいかない気持ちもある。私が今もあの人のSNSを見るのはポジティブで人を傷つけたくないから。それをしないために、あの人が置いてるものを真似しない。真似出来ないけど。
私が真似出来るような人間だったら、まだ関係はつづいていたかもね。そっちのほうがある意味生きやすかったかも。でも、やっぱり離れて良かった。向こうは向こうで離れて良かったと思っていると思う。私、あの人の人生を彩るような何かを持っていないから。でも、まあ楽しい時代もあったから「ありがとう」そしてこっそりこんな気持ちをぶちまけてるのは「ごめんなさい」
言えればいいんだよね?
最後に筍の話は筍で終わったほうが好みだな。
イオンのお魚コーナーでふと見かけた「モウカサメ」
え?サメ?ってなったけど、骨なし、身が柔らかいって書いてあるし、何よりひどく安かった。
元々安かったのに、売れなかったのか更に割引で3切れで200円以下だったので迷わず買った。
割とよくやる。よく知らん素材を勢いで買ってから後で調べて食べるの。
今回も白身魚と似てるって書いてあったのし、見た目が似てたからカジキマグロレシピ流用してみた。
下ごしらえして冷凍してて、今日レンチンして食べてみたんだけど、ホントに柔らかくて臭みも骨もなくとても食べやすかった。
淡白だけどパサ付かなくて、しっとりしてるし。
フライとかもしてみたかったな。絶対美味いと思う。
また今度見つけたら買って来たい。
地方で呼び名が違うらしく、広島の「ワニ」ってこの魚だと初めて知った。
話だけ聞いてて食べてみたいなと思ってた魚を期せずして食べられた。
やっと体調が上向きになったので、思い切って遠出。
隣の市にある菜の花畑まで行ってきた。
ドライブ中もたくさん菜の花と桜を目にしたけど、畑についたとき一番に思ったのは
「夢の国の景色ってこんな感じかもしれない」
だった。
菜の花の周りをぱあっと明るくする朗らかさが好きだ。
軽やかで、本当に春の陽気が似合う。
仕事で辛かった時、通勤途中で見かける菜の花にどれだけ心癒されてきたか。
実は、年末からずっと鬼のように忙しかった仕事がやっとひと段落した。
本当は、パーッと旅行に行きたかったのだけど、体調が悪くなり、ちょっと歩いただけでも息切れ動悸がひどくてとても無理だと思ってた。
まだ、体力は万全ではないけど、ゆっくり畑の中を歩き回るくらいに回復できてうれしい。
菜の花を見ていたら、我ながら頑張ったな、と涙が出てきた。
朗らかで明るい黄色と黄緑の絨毯の上を、ミツバチやたくさんの鳥が嬉しそうに囀りながら飛び回っている。
なんてきれいなんだろう。
頑張った自分へのご褒美な気がした。
明日もオフなので、行こうか迷っていた県内の桜の名所まで電車で行く予定。
ちょうど満開から散りはじめの桜吹雪が見れるのではないかと期待してる。
無理せずに、ゆーっくり動いて、きつかったら戻ってこよう。
きっと世間的には、今の季節、緊張と不安と忙しさでいっぱいの人が多いと思う。
私も3か月前はそうだった。
最初のひと月は勢いで行ける。
でも、それはただのアドレナリンの過剰分泌で、自分が思っている以上に体は疲れてるし、心も無理をしているから、どうか、7割くらいの頑張りに留めておいてね。
あとから疲れが出る。
精神的、肉体的にも。
最初はスロースタートで大丈夫。
自分を過信しないで、いたわってあげて欲しいな。
2週間、体調不良で寝込まれ、やつあたりされ、あまえられ、つかれた。
体調が回復したのか、またいつも通り、自分の話ばかり。
いやなところしか目につかなくなってしまった。
いっしょに暮らすことが苦しい。
離れ離れになった友達に未練がある 私は彼女が好きだったんだな
報われる事はないけど消えない思い出として胸にしまっておきたい
この間久しぶりにてんやに行って、また感動してしまった。早くて安くてうまい。某観光地のお値段高めの天丼のことも思い出した。私の味覚の問題かもしれないけど、天丼はてんや最高。
友達どうしの集まりに子ども連れてこられるのがいや〜というネットのぼやきを見ることがありましたが、私は子どもを連れて来てOKと言われるのがいやでした。
昔の話で、私の子どもが小さかったときの話です。
連れてきていいよっていうのは私に配慮してくれてると思うのでありがたいといえばありがたいけど…
たまに会うのであれば、やっぱり水入らずで会いたいというか、子どもがいると子ども中心になって会話が出来ないんですよね。だから、なんとか調整して夫だったり、超最終手段で自分の親に子どもを見てもらおうと考えていたんですよね。
子どもは誰かに見てもらって私だけで行くと伝えると、「子どもが可哀想、旦那さんが可哀想、親に申しわけないよ」って始まってしまって。
親に申しわけないっていうのはともかく、子どもが可哀想、旦那さんが可哀想って一体なんなんだろうなって思いました。
夫は子どもの父だし、可哀想っておかしいよね?ってどういう視点の可哀想なのか本当に理解出来なかった。夫が飲み会のときはもちろん私が見ていたし、それが当たり前だから。逆バージョンになってもそれが当たり前なはずなのに。
結局連れていったとしても、子どもの面倒を見ながら話すという器用さは私にはないので、連れていったら私も可哀想なんですよね。
その友達は、友達の家族も私の友達という考えが強いタイプだったし、みんなで集まれば楽しいという考えがあったのかとも思うけど、可哀想…っていう言葉のチョイスはやっぱり頂けなかった。
可哀想という言葉って、誰かを思っているようで他の誰かを傷つける残酷さを持っていると思います。
特にあの頃は自分もいっぱいいっぱいだったし、大人だけの世界に飢えていたのに、それを昔からの友達にすら認められない絶望感。そういうのを味わったなと。
結局、その友達とは疎遠だけど…でも、インスタグラムは見てます。もうその人の子どももそこそこ大きいけど、大人だけで飲みに行ってるようです。子どもが可哀想…ってここで使うべきなのかな?子どもを飲み会にも連れて行ってる記事もあるし、それはそれで子どもが可哀想なのかもよ?
面と向かって、子どもが可哀想って言われたらあの人はどう思うのでしょうか…
何年かぶりにCOCOS行ったらとても良かった。
ハンバーグも気になったけど胃の調子が不安だったのでパスタ ランチにした。
サラダにスープとドリンクバーつき。
パスタを食べて、ちゃんと湯がいて フライパンで味付けした味だとちょっと感動。
家で作るパスタは 深皿に水と半分に割ったパスタを入れて10分程度 チンしたあと水を切って、お皿の中で適当に味付けしたもの。
これはこれでもちろん 美味しいけど、お店でちゃんと作ったものはちゃんとした味がするなあと嬉しくなった。
そして ドリンクバーには目を見張った。
茶葉の種類がすごく多くてちゃんと急須まで用意してある。
コーヒーはカフェインレス のものもあり ココア やミルク、ソフトドリンクの種類もあまり聞かないような珍しいものもあって迷う。
スープは2杯おかわりし、食べ終わった後も軽く仕事をして ドリンクバーをしっかり 堪能した。
完全に水腹になったのでお茶を飲めなかったのが悔やまれるけど 次は デザート 目当てで行きたい。
近所で いつもいっぱいなのも納得。
ここから通いそうな予感。
昨日はカラオケに行きましたが、使いたい機能がなかったので思いきって替えてもらいました。手間をかけさせてしまったけど、おかげで楽しめました。あの店員さんに幸ありますように。
「働いても何かあったらママ友が子どものお迎えに行ってくれるから…」
かなり前の出来事で、たまたま耳に飛び込んできた会話だけど、それに関してはうーんって思っちゃったなーと記憶している。
本人どうしが納得しているならそれていいかもしれないけど、私がこんなこと頼まれたたらモヤモヤモヤモヤモヤモヤくらいはするだろうなって思う。
これに限らず、私は頼まないことを普通に頼んでくる人っているんだよなーと。
頼まなくても、何かあったときのためにという理由だけで周りと繋がろうとすることが私には難しい。
手伝いたくない!助けてやりたくない!ってわけじゃないけど、仲が良くてその人に対して何か魅力を感じてて、何かあったら力になりたいって気持ちじゃないと出来ない。ていうか、みんなそうだと思ってたけど、けっこうそうじゃないんだよね。仲良くしておけば情報がもらえるとか、手伝ってもらえるからとか。
仲良くしたいというのが1番の目的じゃない人がけっこうな数でいることに疲れを覚えたりしますが、何の情報も労力もない私の前には、そういうタイプの人はいないのです。
何も持っていないけど、自分のために自分が動きたいとき動けると考えると有り難いことなのかもしれない。