この1、2年間勝負の年になるんじゃない?私もそう思ってる。恩義を忘れないところが好き?恩義なんてさっさと捨ててしまいたい。恩義なんていってぐだぐだ居着いてるだけ。
旦那さんが可愛い。
ここ数日間、私は実家に帰っていた。実家近くでの用事が固まってあったから。家のことは気にしなくて良いからゆっくりしておいでと優しい旦那。
実家滞在中もメールなり電話なり連絡を取っていたし、久しぶりと言うほどでもないのだけれど、私が帰ってきたらなんか嬉しそうだった。
話を聞くと、仕事が大変みたいで、ストレスで弱ってるとのことで甘えてきた。寂しかったって。あったかいお茶とか淹れてくれたりして。
実家から帰ってきたとき、自宅のにおいが他人の家のにおいみたいな気がした。でも、私の家はもうこっちなのねーと改めて実感。
今夜もどうせ眠れないなら、と、開いた詩集。すぐにいたたまれなくなって詩集を閉じ、音楽を聴き始める。その音楽も聴き飽きていることに気付くと停止ボタンを押し、近くのコンビニへ出かける。アイスクリーム売り場で商品をしばらく見た後身震いをして、やはり暖かいコーヒーだけを買って帰る。まるで、現代の梶井基次郎か。
「濃い色」の人っていうのは
ちょっとやそっと
他の人の色が混じったところで
変わらない、影響ないんだろうけど
「淡い色」の人は
ほんの少しでも
他の人の色が混じってしまうと
変わってしまって、影響を受けてしまう
乱されがちだけど
他の人の色も取り込んであげられて
繊細で、はかなくて、
何とも言えない色を持った人が
私は好きなんだな。
「跡継ぎはいらない」あなたはそう言ったよね。でもね、あなたの大切な店がこの先もずっと残ってほしいと思う。あなたが一生懸命に作り上げてきたものが、フッと消えてしまうなんて考えられない。
でも、それも言い訳なのかな
子どもが出来なくて苦しくて、それであなたから離れた。デキ婚で良かったの。それしか手段は無かったから、だからあなたとわたしの子どもが欲しい!って、強く願ってた。 パワフルなあなたは、一緒に過ごしている間は何度でも抱いてくれた。それでも…ダメだった。わたしに原因があるとしか思えない。
子どもに執着しないで、2人の今現在を楽しめていたら、まだ一緒に過ごせていたのに。。。
別れたら悲しくて辛くて寂しくて、あなたを想って過ごす日々はガマン大会。 もうこのまま、何もなくなってしまうのかな…………
結婚前に、相手の収入とか貯金とか借金とかを確認するよねって話。
私「貯金っていくらくらいあったら良いんだろうね」
彼「一緒に暮らせるくらい?」
「でも結婚前にみんなが貯めるのって挙式とか新婚旅行とかのためじゃないの?その点私ってコスパ良いよね」
「確かに、結婚式嫌だもんね。コスパ良い彼女」
最近、結婚を含め将来の話題が出るようになった。
実際に会える友だちはほんの数人。
学生のころはそりゃたくさんいたけど
卒業して、仕事を始めたら付き合いはどんどん減って
小中高と、同窓会なんて1度も出席経験なし。
成人式の日は仲良しなメンバーでしか集まらなかったなー。今でもそのメンバー、自分を含め4人は
揃うことはないけど個々で会ってる。
今私が娘と過ごして社会から離れ、余計に思う
誰かと繋がっていたい、というか
メールでもLINEでもいいから話し相手がほしいというか。
わたしの事を知らなくていいから
愚痴とかどうでもいい話をお互いにしたい
最近よく思う。
どうしたらいいんだろう
アメリカ映画『アラバマ物語』(1962)の中で、主人公のアティカス(グレゴリー・ペック)がこんな発言をする場面があります。「他人を理解するためには、その人の立場から物事を考えなければならない。その人の体の中に入って歩き回るまで、理解することはままならない」と。人の中に入るというのは厄介なことですよね。それに、入る側も入られる側も不快な思いをしなければなりません。というわけで、善意の操り人形師になる代わりに、想像力を働かせなければなりません。現在、ある人が一見威厳と自信をもって行動しているように見えますが、実のところ心の中は不安の塊なのです。ブルームーン(注の月食が起きる今週、できる限り気配りと思いやりを忘れないようにしてください。( 注 ひと月(暦月)に満月が二回巡ることをブルームーンと呼ぶ。
小さい頃からの友達の方が信頼できるのはただ単に付き合いの長さだけじゃなくて、小さい頃は自分の感情を正直に表に出すということが時期的にまだ許されていたからというのもあると思う。幾度となく本音と本音でぶつかり合い、それを乗り越えることが出来た仲だから信頼し合えるんだと思う。
ところがある程度大きくなるといつしか世間からは大人の対応というものが求められるようになり、然るべき時には我慢をするという事が暗黙の了解となる。そしてその「然るべき時」の一つが学校や会社における友達付き合い。自分の感情をそのまま出してしまえば周囲の人間は忽ち離れていってしまう。そういう訳で、小さい頃と比較して本音と本音でぶつかり合う機会も極端に減る。勿論大人になってからの友達にも信頼できる人はいる。だけどその一方でどこか余所余所しく感じる時があるのはこのような背景があっての結果なのではないか、と思った。大人の対応ってそんなに大切なものだろうか。仕事など公式な場では必要かもしれない。だけどそれ以外の場では必ずしも必要とは限らないのではないか。自分の感情に嘘をついてまで付き合ってもそれは本当の友情とは言えない。そんな友情に時間を割くくらいならまだ家で一人読書なりゲームなりに興じている方がよっぽど有意義だ。
大好きなバンドの曲を
ライブで演奏しているような音に設定して
どうにもないどうしようもない澱んだ気持ちの中に
気にしないにも無理。
早く消えたいけど
そんなことは出来ないのは知ってるんだ
譲れないもの無いのかもしれない
誰かが隣に居れば
特にナニかが変わる試しも無いけど
見返りもいいよ求めないけど
わたしの助け舟は何処ですか
誰が居ますか
切れないひとが家族にいるから
そいつが正解の行動をしないと
治まらないんだよ
早く働けよ馬鹿。
お前の良い所は2つくらいあるけど
それくらいしっかりできるんだったら
生活に大切なことをしっかりやれ
結果消えたい。
もう終わりです。
母もいつまで正気を保っていられるか。