父は幼い頃は毎週車でどこかに連れてってくれた。家庭を支える為に単身赴任をしつつ毎週車で2時間かけて帰省してくれたり、遅くまで残業して、私と兄を大学まで育ててくれた。
母は在宅で仕事をしながらだらしない私を支えてくれて、お弁当や温かいご飯を作ってくれて、外出しても夜まで家を空ける事はなかった。
二人ともすごく家庭を大切にしてくれた。
それこそ、私達兄妹を家族の主役として扱ってくれてたんだと思う。
どちらも本当に感謝をしているけど、将来のビジョンとしては正直当てはまらないことに気がついて申し訳なくなった。
そうだ、彼らが人生の主役を子どもに完全に譲ってくれてた点だったのかもしれない。
社会人になっていろんな家庭を見る事ができた。
シングルマザーの友人達だって子どもを実家に泊まらせて遅くまで遊ぶし、既婚の友人達もパートナーと連携して今日は遅くまで飲むと豪語して張り切っている。
それは私にとって正直驚きだった。
子を持つ親が友達と夜まで出かけたりするなんてうちの親はしたことがなかった。せいぜい父の職場の飲み会で遅くなるぐらいだった。
そんな事をするようになったのは、なんと私達が社会人になってから。
そういった世間とうちとのギャップから
私の両親は人生の主人公を子どもに完全譲渡していたのではないかと感じ始めたのだ。
私は無意識のうちに一生主人公であり続けたいと願うようになってしまっていた。いつまでも主人公、いつまでも私は私で、楽しい事は可能な限り我慢せず楽しみ尽くしたい、と。
その理想に両親の姿は溝があるんだなあ。
世間から見れば、私は幼稚であろうか?
次代に譲り託す気持ちが薄いのは、生き物の理に反して残念であろうか?
幼稚であろうと残念であろうと、素直な気持ちに反して生きるのは苦しい。素直な気持ちが主人公であり続けたいのならば、その気持ちが続く限り、そう生きるしかないのだ。
幸い、私達子どもが家を出て自活してからは
両親は割と奔放になった。
生真面目に働いてた父は時々「気分が乗らないから」と突如有給を取ってドライブに出かけるようになった。
母もスキルアップの為に遠方まで講習に通い、自分で営業をかけて、いくつかの施設で仕事を持つようになった。講習で知り合った仲間と企画したり、打ち上げで遅くまで飲み会を楽しんでくるようになった。
そんな姿を見れるようになってから初めて
やっと両親がそれぞれ主人公っぽく見えてきて、それでなんかホッとできるようになった。