いいね機能のない呟き系SNS探し中。
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Twitter 論外
あとはここだけ?完全匿名っていうのが色々不安だけど
うまく話せなかったな~
うまくいかなかったし
なんかいろいろ残念
もう帰りたい
もう忘れたい
もっと話したかったのに
なんか上滑りしてるし
話しすぎたし
聞けなかったし
陰ながら投稿読むのめっちゃ好き
みんないろいろあるなーって
嬉しかったことも
大事にしたいことも
悲しかったことも
後悔したことも
もしかしたら目の前に座ってるリーマンさんかもしれない
急ぎ足でカツカツ歩いてるOLさんかもしれない
はたまた道ですれ違った高校生かも
なんなら知り合いかもしれない
みんな何もない顔して生きてて
みんななんでもないように食いしばってて
みんななんでもないように嬉しいのかも
なんでもないように誰かに温もりを求めてるのかも
何度もコメントしたいなって思った
その気持ちわかるよって
いやいや負けんな頑張れって
きっと大丈夫だぞって
こっちから何もできないから居心地がいいし
あっちから何もできないから居心地がいい
でも見てるよ
何もできないけどちゃんと見てるよ
全くもって全然信じてないんだ占いは
理系だし根拠がないことは信じられない
いやなんか脳がすごいとか宇宙がすごいとかはわかってないことが多すぎて全然根拠がなくてもわかるんだけど、誕生日とか血液とかで運命が決まるとはそうそう思えない
だったら誕生日が同じな俺の同級生は俺と似たような人生を歩んでるってことだろ?
って思いながら、こないだスーパーベロベロで占いに行ってみたんだけどさ
一生寂しいってさ
超いろんな友達に囲まれて
めちゃくちゃいい職場で働いて評価されて
大好きな彼女が隣で寝ても
マジでその子が朝起きて裸でいても
自分が望む家族を作れても
一生満たされることはないくて
一生寂しさが何かが埋まることはないってさ
可哀想な人だねって言われたわ
うるせーこのやろー
なんだかわかったわ
この生き辛さ
当たってるかどうかわかんないけど
そう言われて幾分生きやすくなったよ
塾でのひとコマ。
小学生の生徒はしばしば、「360゚」と答えるところを「365゚」と答える。例えば四角形の内角の和とか、円の中心角とか。
これまでそのことをあまり深く考えたことはなかったけど、「1年は365日」の 365 からきてるのかな~と思った。
「さんびゃくろくじゅう…」と来たら、「ご」と言いたくなる気持ちは分からないでもない。ちゃんと解説しておいたけど、生徒のこういう間違い・勘違いは可愛いし教えがいがある。
時間指定の配送にしてるのに届かない。
16時から18時指定なんですけど。
19時まで待って営業所電話したら、すでに終わってるし。
追跡見ても、ずっと配達中やし。
再配達は申し訳無いからと、家で待ってるのに。
お風呂も入れないし、ちょっと買い物にも行きたかったのに。
トイレも我慢してたのに。
どないなっとんねん。
忘年会してきた。といっても一人でカラオケ行って少しぶらっと歩いただけです。この時期は単なる一人遊びでも呼び方を変えて忘年会と言ってるだけ。この手の忘年会何回やるんだろうな…来月はただの一人遊びを新年会と言ってることでしょう。
今日はけっこう前から気になってたスイーツを買ってカラオケに持ち込んで食べた。持ち込みOKだとこういうのが嬉しい。
午前中の早い時間だから、他に客がいないので一個だけ買うというのもスムーズに出来る。
何回かケーキ一個だけ買ったりして、このカラオケ屋に持ち込んでる。今年オープンしたこのカラオケ屋、歌うだけじゃなくスイーツ小屋としても重宝してる。家でもスイーツ食べるのは出来なくはないけど、カラオケも好きだから好きなことを同時進行出来て嬉しい。このスタイルでしばらくやろうかなー。歌ってもカロリーマイナスにならないからそこが残念。
最近、気がつくと嫌なことや自分の選択ミスだったり、叶わない事を考えたりとかして、暗い気持ちになってたことも多かったので、一気に楽しいことをやって発散出来たような気がする。やっぱりあと何回かは忘年会やらないとダメだな。まだまだ発散したい。お寿司食べたい。一人でゆっくり。
旦那の職場の事情で、今働いてるところが近場って話。
ご飯食べいこうよなんてこっぱずかしい。
その時はご飯自分で買ってたから、断ったんだけど、
いいよね。仕事のお昼すら顔合わせでご飯なんてさ。
しょうがない子供同士が、
お互いの癒えない傷をしょって出会って、
ポリシーとプライベートを混ぜられかけたし、
ひどいことも散々言われたはずなんだけど。
今に至るまでの代償とこれからの代償。
考えるとすぐにでも手放したいくらいだけど、
リスクヘッジばかりじゃ人って夫婦できないよね。
まあね、なんとかなるから。
受け入れがたいことを受け入れることの何が危険かと言えば、知らず知らずのうちに、容認されるようになることです。ふたたび受け入れがたいことだと思うようになる頃には、もはや手がつけられないほど限度を超えてしまっています。逆に、もし不合理なほどに高い基準が設定されているなら、その基準を下げたほうが有益かもしれません。でも、これまで守ってきた境界線を越えることを決意するのは、たいていの場合、譲歩しすぎというものです。尊厳を保つことは 重要なことなのですから、今日はせっつかれて自分の限度を超えるようなことをしてはなりません。
冬といっても此処は南国なのだけれど。
気温が低い夜の雨、湿ったアスファルトと擦れるタイヤ、しばらくの静けさと、やけに響く道路の音。
このときの音というのは、何もかもが違う。丸くて厚みあって、重みと柔らかさ感じるような。どうしてこうも心地のよい音なのだろうか。
薄暗い部屋と、窓から漂う外の空気と、湿ったアスファルトの音と、肌に触れる冷たさ。
しあわせかもしれない。