本当は頼りたくない。
だけど自分では力不足だからお願いする。
情けない。
自分で出来るようにならなくては。
気に入っていたのに廃盤になってしまった口紅を引く。ああやっぱりいい色だ、好きだったのに寂しいなと思う。
日々割り振られる仕事は言葉と写真に溢れていて、自分は決して特別なものを持つ人物ではないということを思い知らされる。
何か綺麗な色のものが観たい。何かを糧にしなければという思い込みを捨てその美しさにうっとりできる、見慣れているけれど綺麗な…そんなものを探している。
四季では「秋」は主役になれない。
そんな印象があるな。
瞬く間にたくさんの出会いを招く「春」は過ぎて
暑さに負けずに楽しむ「夏」を通りすぎて
人恋しさを感じて人の温かさを知る「冬」を
「待つ季節」。
そんな季節に思いを馳せてみたのは
ビバルディの「四季~秋~」を聴かせて
仕込まれた酒を飲んだからだ。
せっかくだから
動画サイトでその音楽を流しながら
飲んでやろう、と思い立ったのだ。
これはいけなかった。
また、酔えば、
こういう、どうでもいいことを
呟きたくなってしまう上戸が
私にこのサイトを開かせた。
私みたいだ、と思った。
「秋」のことだ。
どれだけ頑張っても主役にはなれやしない。
私、そのままだ。
「ムードメーカー」
そう言われることは少なくもないが、
それは人様の顔色を伺うことが
しっかり板に付いた私の生き方が
人々にもたらしたイメージで、
私は内心ではいつも
「『道化師』の間違いだろ」
と、不貞腐れているのだ。
めんどくさい大人になってしまった。
子供の頃はもっと「大人」に
なれると思っていた。
けれど、なれなかった。
結局「大人」というのは何だったのだろう。
子供の頃の私が作り出した理想か。
誰かが作り出した偶像か。
もう少し生きてみたら、
その正解がわかるだろうか。
とりあえず、ひとつだけ言えるのは
「『秋』が嫌いな人なんて見たことない」
ということだ。
秋が待ち遠しい。
午前中はジムに泳ぎに行く。
ジムではいつも年配の方々の元気さに圧倒される。コミュニティに属している人のほうが長生きするらしいが、こういう人たちのことなんだろうな〜
同じコースで泳いでる人とペースがピッタリ合って、崩したくないあまりに休憩を取らず泳ぎ続けてしまった。最高の一体感がそこにあった。
昼はドトールで新しいミラノサンドCを食べる。ミラノサンド評議会会長なので新しいのが出たら必ず食べることにしているのだ。
照り焼きチキンと卵サラダ、加えて根菜が入っていた。根菜がすごい和風の味わいを出してくる。個人的にはもう少し玉ねぎが強いか、バター風味があるほうが好み。
祝日だからか親子連れが多かった。
そのまま美容院へ。仕上がりはどうか都度聞かれたが、眼鏡がないのでよく見えなかった。でもジムで疲れ切っているので眼鏡をかける発想が浮かばず頷き続け、いつもと同じ髪型になった。つけてもらったトリートメントはいい匂いがした。
帰宅してゲーム。ひたすらレベル上げ。
ものすごく眠い。
大人になっても自分の居場所なんて見つからないもんなんだな。でも子供の頃より自由なお金と一人の時間が増えるから、そもそも居場所なんか考えなくていいことも増えた。たまに複数人で会うと考えちゃうんだな。一対一なら大丈夫なんだけど。
久しぶりにハンバーガー食べた。
それだけにしとけばいいのに、どうしても「オニオンリング」とみると食べたくなってしまって追加してしまう。
オニオンリングって美味しいよね。
ハンバーガーだって美味しかったのに、オニオンリングが美味しかったことばかり考えてしまう。
脇役だけど、常に主役の隣に。今日みたいに主役よりも印象に残ってしまうこともあるだろうけど、脇役というポジションは変わらないってなんだかいい立ち位置かも。
オニオンリング食べに行こう♪とはならないけど、なくてもいいけどあったら嬉しいよね。みたいな感じに自分もそういうポジションで生きていきたいなぁ~
好きすぎてオニオンリングになりたいと思ってしまったランチタイム。
最善の結果を得るために何をすべきなのかを知ることは時に難しいことです。他の人々が関係する決断を下そうとしているときならなおさらです。そして一番難しいのは、他の誰かと一緒にその決断を下そうとしているときです。そんなとき、いくつもの選択肢の間でシーソーのように揺れ動きます。もし今、正反対の考えを持っているように思える人物と合意に達しようとしているなら、スーパームーンが起こる春分の日だからといって完全にお互いを理解し合えることが保証されているわけではありませんが、少なくとも、相手を認めて受け入れることにつながる意識の変化が起きることは期待できそうです。
私は現在、某アプリゲームにハマっている。
そのアプリゲームの公式さんから、メインシナリオの配信が延期になるツイートが流れた。
そのアプリゲームに関わらずだけど、私はそういう配信延期やメンテナンス延長のお知らせに対して、残念だと思うことはあるけど、怒りだとか文句が湧くことはない。
大変だなぁ、とぼんやり思ってのんぴり待つタイプだ。
今回のそのお知らせに対しても、大変だなぁと思いながら、そのツイートを開いてみた。
ツイートには、謝罪ポーズのキャライラストがついていたからだ。
ちなみに、この「大変だなぁ」には作業の苦労へと、ユーザーからのクレームの心労へと、二つの意味があって。
だからこのツイートに集まっているコメントも、クレーム混じりかなぁと覗いてみた。
するとどうだろう。
コメントには、
「頑張ってください」
「ゆっくりで大丈夫です」
「待ってます」
みたいなあたたかいものばかり。
更に、
「ご無理はなさらず」
「お身体にお気を付けて」
といったスタッフへの心遣いまで集まっていた。
コメントは3桁程いっていたけれど、ほぼこういうプラス要素のコメントだった。
これを見てすごく感動したし、なんてあたたかいユーザーさんばかりなんだろうと思ったし、このアプリゲームやってて良かったなぁとすら思った。
素敵な運営さんとユーザーさんと。
これからのこのアプリゲームの展開が楽しみに感じた今日この頃。
数十年来の友人と決別してから、1年が経とうとしている。
子供の頃から仲良しでいたけれど、環境が変わり、置かれている立場も変わり、二人の関係性も、変わっていくのが普通なのに、いつまでも仲良し、というものを変えないように意識的に無意識的にしていくなかで、歪みがたまっていったのだと、いまは思う。
裏で私のことを散々にこき下ろしていたのを見てしまったときはショックだった。相手は見ていないと思っているものを、見てしまったという後ろめたさと、それが本音なのかという不信感というか裏切られた気持ちというか。後悔や、怒り、喪失感、悲しみなど、色々な感情で混乱に陥った時期は苦しかった。いまでも心のどこかには引っ掛かっているけれど、敢えてそのままにする、ということが一番良いように思っている。
気になっているなら、再びコンタクトをとってみては?という考えも理解できるけれど、どうしたいか?とシンプルに自分に問うたときに、会いたくない、という答えになる。それが答え。それで良いのだと思う。
寂しさはあるけれど、元通りにはならない。
せめてもう少し良い形で別れられていたら良かったと思うし、楽しかった思い出や、感謝の気持ちまでは、嫌な思いで塗りつぶしたくはないと思う。
ただ、いま、何かすることもない。そう思う。
明日は無事、休みになった。
せっかくの休みだし、ヨガスタジオにでも行こうかと思っていたけれど。
特別忙しかったわけではないけれど、今日は夕方からかなり眠い。
今ももうすでに眠い。
ご自愛だ、一旦いろんな考え事からはなれて予定のない一日を過ごそう。
そうしよう。
だれがなんと言おうと、明日の私はしっかり休む!