絵画、音楽、文学の分野で傑作と言われる作品の多くは、表からは見えないところに秘密のメッセージや手がかりを隠していて、それらがいつの日か発見されて解読されるのを待っていると信じられています。当然のことながら、どんな表現も、いやというほど目を凝らしてじっくり見てみれば、何か複雑で秘密めいたことを意味しているように解釈できるものです。取るに足りないことの一つひとつに、その裏には深遠な......まだうんざりしていませんか? 私はもううんざりです! そろそろ目を覚ます時です! あなたは単純な何かの意味を解釈しようとすることにエネルギーを費やし過ぎています。自分の直観を信じてください。
たいして好きでもない人間でも、その人があまりにも悲しそうだと同情する。落ち込んでいる理由がわかると、なるべくその不安を取り除こうとしてしまう。それって過剰サービスじゃないだろうか。誰に対してもそういう風に接している時期があった。「ああ、わかるよ。とてもつらいよね。私も同じ状況にあったけど、こういう風になったから大丈夫だよ。心配しなくていいよ」って。
最近わかったのは、私はこんなことを誰かに言われたことがないってことだ。私がどうしてそう好きでもない人間にも、その人の不安を解消しようと努めるのかって、他でもない私が誰かに言ってほしいと強く願っていたからなんじゃないのか。
惨めな気持ちになった。相手はその不安を解消したいとか、「大丈夫だよ」って言われたいわけじゃないのかもしれない。それなのに私が誰かに言ってほしかったから、そんなエゴで巻き込んだ。だから「私には優しくしてくれないんだ」とかって思っている。控えめに言ってダサいよね、私。
また悔しくてつらくてしんどい夜が何日も何日も続いている。雨は降らない。カレーライスは常に美味しいものだと思っていたけど、今日はそうじゃなかった。
誰にも心配されなかったなあと思い出した。ずっと大好きだった友達にも、一切。大丈夫かとかは勿論だけど、そもそも連絡などもなかった。ひどく辛い時期に、「友だち」の人々は誰一人として関わりがなかった。
それなのに何年も何年も、LINEに彼らがいる。
数年経って久しぶりに連絡を寄越す人もいた。けれどそれは私の傷を抉るだけだった。
消し去る覚悟ができた。時間がかかりすぎた。あまりにも時間がかかってしまった。ようやく断ち切る準備ができたかもしれない。さようなら
ちょっといいなあと思っているひとがいる
けれどいろんな事情でそれを表立たせることは出来ないので、僕たちは仲のいい友人同士だ
思いを気取られれば距離を置かれるのもわかっているから、良く喋った次の日は彼女の近くに行かないようにしている
彼女はいつも皆に対して丁寧だけど僕にだけは時々砕けたしゃべり方をすることがあって、僕はそれがとても好きで、いつもそれを引き出そうとしてつい彼女を笑わせてしまう
そうすると彼女と僕の間に時間が流れてしまうので、僕は他の誰かに静かにその場所を明け渡す
勿論、彼女が向ける視線の先に嫉妬をするんだ、目を逸らしながら
ここ二週間ほどあまり見かけないなと思っていたら嫌な予感は当たった
彼女が僕にしてくれた説明は事実なのか、確かめる術は僕にはない
ただただ、いつも通りの日常が戻ってきてくれることを待っている
コンビニに行ったらもう肉まんが売ってた。おでんはあったかな。見てないからわからないや。冬商戦は始まっているのか。早いなあ。残り一個だったからさっき肉まん一つ買ってしまった。今食べた。かなりおいしい。大阪なのでカラシをつけてくれる。全国ではどうなのだろうか。でも私は少し醤油をつけて食べるのが好き。カラシも好きだけど。ピザまんなんてハイカラなものも最近は並んでる。これも好き。おいしい。今日はもう売り切れだった。また明日。
今日は悪口を言った。
その人のことを直接知らない人だけど、知らない人の悪口聞いてもそれはそれで大変だよね…
でも、近況報告を兼ねると、そういうムカつくやつに囲まれてなんとかやってます!みたいになってしまう。
何もかもいいところばかり抽出して話すのもなかなか嘘っぽくそれはそれで話している自分がしんどくなるし、自分が聞く立場でも状況によっては面白くないと感じるだろう。
そんなにしょっちゅう会う人ではないから、たまにはこういう話題もありかな?
悪口は良くないともわかってるけど、嘘っぽい会話にも意味を見出だせないので今日はこれで良かったんだと思うことにする。
そんな話を言える間柄になれたことには感謝します。
また何か別の話題で楽しくいられるように自分の時間も大切にしたい
うちのマンションに、311直後に南相馬市から避難してきてそのまま住んでいる方がいる。
津波でご自分と奥さんのご両親・兄弟を亡くされている。「みんな津波にもってかれちゃったから」と言って笑っていたのを今でも思い出す。
そんな境遇であるのにもかかわらず、越してきた直後から明るく、周囲を笑顔にさせてくれる素敵なおじさまである。一体なぜそんなにも強く前を向いて居られるのかが不思議で、同時にとても憧れている。
同じ経験をもしも私がしたら、多分こんな風に立つことはできないと思う。
今日も私が仕事でミスをしてしょんぼりしながら帰ってきたところに出くわすと「元気ないね、俺の肴を分けてあげよう」と言って袋入りのミニカルパスを5つ分けてくれた。
おっちゃんいつもありがとう。困った時は声かけてね。また晩御飯のおかずおすそ分けに行くよ。
仕事を辞めたい。
けど、私の任されているチームはかなりギリギリの状態で、まさかそのままの状態で辞めますなんて言えやしない。
仕事も会社ももう嫌だけど、関わった人たちはいい人たちで、
育ててくれた人もいるから、この場で辞めるっていうのがちょっと怖くて、別のとこに異動してもう少し頑張ってから、そっとまさか辞めた方がいいんじゃないかとか、
それにしたって私がまだ心苦しくないからというひどい理由だ。
まとまらない。仕事に戻らなきゃ。
人が誰かに無礼なことをしたり、あるいは誰かを傷つけたり怒らせたりする時に、意図的にそうしていることはめったにありません。自分の行動がどれほど相手を不愉快な気分にさせているのか分かっていないケースがほとんどです。それでも、やられた側にしてみれば、そのような行動が残酷で意図的な選択の結果でないなんてとても信じがたいことに思えます。彼ら被害者はこう思います。「どうしたら 鈍感になれるのだろう?」と。でも、そういう言動を取ってしまった当人たちは、どうして自分が責められているのか理解できないのです。今日は、非難合戦を繰り広げたところで誰の役にも立たないでしょう。でも和解を求めれば皆の役に立てるに違いありません。
夫婦や恋愛関係だからといって、全てを晒け出せるわけではないというスタンスなのだけど、夫はちょっと不満みたいで浮気を疑われている。
もちろん浮気やそれを疑われるような行為は全くしていない。
実家の家族は仲良いんだけど、個人主義の人たちの集まりでそれぞれ無自覚に秘密の部分があったような気がする。そんな中で育ったので、全部晒け出すって自分にとって普通じゃなくて嫌なんだよな。
例えば、友人や家族とのやりとりはすすんで他人に見せるものではないと思っているし、
自分の好きな音楽を全部共有する必要もないと思っているし、
どんな写真を撮ったとか、自分の画像フォルダに入っているものを全て把握される必要もないと思っている。
そういう秘密の部分を常にオープンにしてしまったら、ふとしたときに見える相手の新しい面みたいなのがなくなって、ときめきとかなくなってしまうんじゃない?というのが私の意見。
10年ぐらい前に流行った「妄撮」っていうグラビア写真のシリーズ本があったけども、秘密の部分があるから魅力的に見えるというか、そういうのもあるんじゃないかなと思っているのは私だけなのかな。